自著紹介『GEIDO論』(熊倉敬聡著)

「GEIDO」って何だろう?
 本のタイトルだけ見てもよくわからないし、目次を見ても、挙がっているキーパーソンたちから内容はなんとなく「あたり」がつくかもしれないけれど、今ひとつしっかりしたイメージを結ばないことと思う。そこで、この場を借りて、なるべくわかりやすくこの本の紹介をしてみようと思う。

 「GEIDO」とは、端的に言えば(あまり端的には言いにくいので誤解を招くかもしれないが)、とりあえず「Art (2.0)」以降の人類の創造性の在り方と言えよう。私の歴史観では、そして最近では小田部胤久などのきちんとした美学者も言っているが、Artとは、何も人類に普遍的な概念・実践ではなくて、いたって歴史的で地域的な概念で実践であるということ、具体的に言えば、18世紀中頃の西ヨーロッパで「作られた」概念・実践であるということをまず押さえる必要がある。この点をきちんと押さえないと(日本では押さえられる人がいたって少ないのだが)、Art、あるいはその日本的翻案である「芸術」や「アート」についての議論は混乱するし、不毛にさえ終わる。
 歴史的に「作られた」、つまり「生まれた」概念・実践であるがゆえに、当然、歴史的に「終わり」、「死ぬ」わけで、これも私の見方だと、Artはもうとっくに「死んで」、「終わって」いる。というか、「殺されて」しまった。いつ?――20世紀初頭。殺したのは誰か?――いわゆる「アヴァンギャルド」たち。どのように?――Non-Art、Artの〈外部〉をArtにぶつけ、粉々にすることによって。典型がマルセル・デュシャンの『泉』。「便器」という(美術館にはあるけれど)およそ「美しい」Artの対極にある「汚らしい」しかも「既製品」。そのArtの〈外部〉=Non-ArtをArtの真っ只中に時限爆弾のように仕込み、それがArtを爆破するたびに、ややこしいことにその爆破行為自体を新種のArtであるかのようにみせるパフォーマンスが繰り返される。その「Art2.0」ともいうべき、Artの死としてのArtを、以降「Contemporary Art」などともっともらしく名づけ、20世紀全般にわたって反復しつづけた。でも、そのArtの死としてのArt=Art2.0のロジックも、反復されつづけた結果、20世紀末疲弊の極に達し、自壊するにいたる…。(ここら辺の詳細は、前著『藝術2.0』に当たってもらいたい。)
 では、Art2.0が自壊するとしたら、これからの人類の創造性はどうなるのか? 消えてしまうのか? そんなわけはなく、ただ、近代においてそれが重点的に注がれていたArtと、その対極的システム=資本主義から、まったく別の未到の地へと移動していくだろう、という予測を私はもっている。その「処女地」に萌える創造の兆しを、前著では(他にいい命名法がなかったので)苦し紛れに「藝術2.0」と名づけ、今回は「GEIDO」と呼んでみた次第。
 「GEIDO」の背景にはもちろん「藝道」という古来からの身心の行の伝統があるわけだが、単にそこに回帰すればいいというのではなく、(レヴィ=ストロース風に言えば)その「冷たい」クリエーションに、現代の「熱い」クリエーションがハイブリッドに再接合することによって、第三の(「冷たく」も「熱い」)クリエーションが生みだされる。でも、なんでそれを「GEIDO」と、わざわざアルファベット表記にしたのか。それは、日本で生まれつつある第三のクリエーションの萌芽は何もこの国に特権的なものではなく、他のさまざまな国・地域で今まさにその国・地域に固有な第三のクリエーションが生まれつつあって、それを(たとえば「JUDO」や「AIKIDO」が外国でも十分市民権を得ているように)「GEIDO」と呼んでもいいのではないか。そうした国内外の動向を視野に入れるべく、あえてアルファベット表記したということ。
 
Artからアートへ、そしてGEIDOへ

 でも、そもそも、私は、若いとき、誰よりもArtにどっぷり浸かっていたのではなかったか。ステファヌ・マラルメなどという、それこそArtの可能性を極北まで追究し、しすぎたゆえにArtの不可能性へと座礁してしまった、そんな「詩人」のArtの冒険を追体験した結果、Artが孕む毒までも存分に堪能し、いつのまにか心身ともに「廃人」と化した…。そんなフランスでの7年間をなんとか切り抜けて、帰国したところが、なんとバブル真っ盛り。1991年だから、経済的にはまさに「バブル崩壊」の真っ只中。でも、文化的にはまだまだバブリーな徒花が咲き乱れていた…。そんななか、「現代アート」もまた、80年代の「くら〜い」ヨーロッパ(フランスは爆弾テロが相次ぎ、人種差別も公然と行われていた)から帰ってくると、まさに「浮世」の華やかさ満載。急にその「空元気」にほだされて、気がついてみたら、「現代アート」を研究するのみならず、評論したり、創作したり、さらには某「コンテンポラリー・ダンス」カンパニーの「ワークショップ」(当時は珍しい語だった)に7年も毎週通ったりしていた。
 そんなある日、銀座で、ドクメンタⅩのディレクターで、作家のリサーチに来日していたカトリーヌ・ダヴィッドに会ったが、開口一番、(もちろんフランス語で)「この国のどこにArtがあるの? どこにArtistがいるの?」と詰問され、こちらはいくつかの名前を挙げつつも、彼女は全く意に介さない風であったことを思い出す。つまり、当時(1990年代半ば)の日本には、彼女から見て(そしておそらく多くのヨーロッパ人から見て)Art――Art2.0も含む――がなかった、Artistがいなかったのだ! 「現代アート」は、Art(2.0)の「模造品」としか見えなかったのだ。
 もちろん、彼女のような(ヨーロッパ的に)「保守的な」キュレーターばかりでなく、「現代アート」を、欧米にはない表現だとして面白がる(たとえばMOMAの)キュレーターなどもいたが、少なくとも当時(1990年代後半)は、今では国際的にも有名・無名の「アーティスト」たちがこぞってニューヨークに移り住み、彼の地のマーケットで「Artist」として認知され、評価されるべく、自らを「売り込もう」としていたのだった。そんな最中、私自身も1998年から2年間、マンハッタンに住むことになる。当時は、トランプ元大統領の顧問弁護士となったルドルフ・ジュリアーニがニューヨーク市長の時代。彼のジェントリフィケーション政策により、少なくともマンハッタンは、夜中に平気で地下鉄にも乗れるほど治安が良くなった反面、あらゆる「やばい」ものは、島外に一掃された結果、「いかがわしい」Art2.0もきれいに「掃除」されて、ニューヨークの「アートワールド」は商業的に小洒落たもので満ち満ちていた。
 いよいよ(Artの「死」の反復で逆説的に「生き延びて」きた)Contemporary Art (=Art2.0)それ自体が末期症状を呈するのを尻目に帰国した私は、もはやそれへの「売り込み」に活路を見出そうとしていた「現代アート」にも、当然のことながら、興味を失い、徐々に研究、評論、創作などをやめていった。そして、それと同時に「では、人類の創造性がもはや(資本主義とともに)Artから離れつつあるとしたら、それはいったいどこに向かうのか?」と自問自答するようになる。しかし、その決定的な「答え」はそう簡単には見つからず、月日だけが過ぎていった…。私はとりあえず、自分の「現場」である教育の現場(それもまた過度な機能不全に陥っていた)に、自分の創造性を新たに注ぎ込み、少なくとも当時の教育界では前代未聞の「自己生成」的学びの場(「三田の家」にいきつく)を、同志たちと日夜楽しんでいたのだった。

三田の家


 そんな中、東日本大震災が起きる。当時、1歳になるかならないかの娘を抱えていた私は、放射能汚染などの不安から、西日本への移住を決心する。たまたま縁あって、京都に移り住んだ私は、この地で数々の「カルチャー・ショック」に見舞われる。その一つが、先に述べた「第三のクリエーション」の萌芽であり、「冷たい」クリエーションがおよそ存在しない東京などでは見たことのない、「冷たく」も「熱い」クリエーションの気配をここかしこで感じとり、しかしその「気配」をなんともうまく言葉や概念に落とし込めない日々が続く。
 そんなある日、ある友人が「東アジア文化都市2017京都」の一企画「PLAY ON, KYOTO」のチームに誘ってくれ、そのメンバーたちとブレストを重ねるなか、その「気配」をなんとか概念的に把捉し、表現できる機が熟していった。それが「藝術2.0」という言葉だった。その「気配」をなぜ「藝」という旧字を使い、それなのに「2.0」なのか。その経緯は、前著を参照してもらうとして、その原稿を書きながら、徐々に奇妙な二つの形象が現出してきた。「V」と「◯」である。しかも「いびつなV」と「いびつな◯」である。

いびつなV、いびつな◯、そして一休さん

 私は、「藝術2.0」(すなわち「GEIDO」)の萌芽を、「工芸」、「発酵」、「坐禅」、「カフェ」、「学び」、「コミュニティ」、「茶道」などと今は呼ばれている領野にとりあえずは探し求めたが、そうしているうちそれらに共通する実存的道程があることに気づいた。藝術家2.0=GEIDO-KA――JUDO-KAなどが国際語となっている昨今、こうした表現も許されるだろう――のほとんどが、この「有」の世界から己の実存を深掘りする行の道に入り込んでいく。そうして「無」「涅槃」などと呼ばれる境に辿りつく。そして、そのまま独行をつづけ、境のさらなる深まりに自らを委ねることもできようし、あるいは一念発起翻って、あえて立ち去ったはずの「有」の、衆生の世界に立ち戻り、その世界=〈有〉――一度は立ち去った「有」を解脱して「無」の境位から翻って離見するゆえに違う風貌で現出するので〈 〉付きで記載しよう――と「戯れ」なおすこともできる。しかも、彼らは、単に古来の「藝道」をなぞるだけに満足せず、そこに同時代的な「熱い」クリエーションを注ぎ込み、自らに特異な「サムシング・スペシャル」(小倉ヒラク)を創出するにいたる。その藝術家2.0ないしGEIDO-KAたちの実存的道程=「V」(「有」→無→〈有〉)は、しかし、各自――独行におけるように究めつづけることなく――哲学者の田辺元や禅僧の藤田一照も言うように人それぞれ究道を「差し控えて」も、「物足りない」ままでも肯んずるような、各々に「いびつな」V=道程で差し支えないのだ。
 そして、そうした実存的行=いびつなVを日々営む者たちは、ときに互いに互いを招き、円く座り、が、「中心」などを置かず、「中空」のままに、その一期一会に賭け、興じたりもする。その折々の円座=「いびつな◯」は、決して閉じられることはなく、むしろ見知らぬ「異人」をも平然と招じ入れてしまう「無条件の歓待」(ジャック・デリダ)といういたってラディカルな政治性すらもちうるだろう。
 そんな「いびつなV」たちの「いびつな◯」のフィールドワークを、『藝術2.0』では行ったといえる。そして新著『GEIDO論』は、それをさらに展開し、「GEIDO」という概念をよりシャープにするために、

酬恩庵

人によってはそれに見紛うかもしれない「限界芸術」(鶴見俊輔)や「民藝」(柳宗悦)といった概念とすり合わせつつ差別化し、フィールドも「性愛」や「貨幣」といった「禁断」の領域へと押し広げていった。
 ついには、千葉県・鴨川での林良樹らの「小さな地球」プロジェクト、そして私が京都で私淑する茶の「陶々舎」の活動に、これまでの文明を「反転」するやもしれぬ潜在力すら嗅ぎ出し、人類とガイアとの共―創造としての新たな文明の気運を探り出そうとした。
 ところが、執筆の最終段になって、突如として、私は車に乗り込み、京都市は京田辺に今はある一休寺こと酬恩庵に赴くことになる。なぜ、私はそこに引き立てられたのか。「一休さん」こと一休宗純こそ、当時の第一級のGEIDO-KAであり、GEIDOの「総合プロデューサー」だったことに突然気づいたのだ。しかも、彼は、GEIDOの探究=行を、同時代の藝道家たちと興じていたのみならず、森女という盲目の琵琶弾きとの睦みのなかでも堪能していたのだった…。

 こうして、古今東西の「冷たい」クリエーションと「熱い」クリエーションが相俟って、「GEIDO」という第三のクリエーションが紡ぎ出されるとともに、本書『GEIDO論』そのものもまた、一つの「GEIDO」であるかもしれぬことを、今これを書きながら改めて実感しているところである。



熊倉敬聡(Takaaki Kumakura)
1959年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒、パリ第7大学博士課程修了(文学博士)。芸術文化観光専門職大学教授。特定非営利活動法人アート&ソサイエティ研究センター理事。フランス文学 ・思想、特に詩人ステファヌ・マラルメの〈経済学〉を研究後、コンテンポラリー・アートやダンスに関する研究・批評・実践等を行う。大学を地域・社会へと開く新しい学び場「三田の家」、社会変革の“道場”こと「Impact Hub Kyoto」などの 立ち上げ・運営に携わる。博報堂University of Creativityにて講師を務める。主な著作に『藝術2.0』(春秋社)、『瞑想とギフトエコノミー』(サンガ)、『汎瞑想』、『美学特殊C』、『脱芸術/脱資本主義論』(以上、慶應義塾大学出版会)、編著に『黒板とワイン――もう一つの学び場「三田の家」』(望月良一他との共編)、『女?日本?美?』(千野香織との共編)(以上、慶應義塾大学出版会)、『practica1 セルフ・エデュケーション時代』(川俣正、ニコラス・ペーリーとの共編、フィルムアート社)などがある。

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RMCA国際デザイン・コンペに参加して

アート&ソサイエティ研究センターでは、COP26に関連した国際デザイン・コンペ「Reimagining Museums for Climate Action(RMCA)」に注目し、建築家と景観デザインの専門家に呼びかけてThe Water Seeds-Sumida River Design Collectiveを結成、都市を流れる川をミュージアムに活用するプランでこのコンペに応募しました(詳細はプロジェクトページ参照)。以下、このデザイン・コレクティブのメンバーとして参加したA&Sインターン、徳山貴哉さんのレポートを掲載します。


 

私が今回の国際デザイン・コンペへの参加を強く希望した背景に、その題目『Reimagining Museums for Climate Action (気候アクションに向けたミュージアムの再考)』への大きな共感があった。国際系の学部を卒業し、現在福岡にてメーカー勤務をしている自分は、元々アート専攻といったようなバックグラウンドは持ち合わせていない。しかし、学部時代から興味があった気候変動やソーシャルジャスティスなどのアクティビズムの事例を調べるにつれ、アートと社会の接点から世界にメッセージを訴えかける人々の姿に大きな興味と可能性を感じた。加えてミュージアムは、私にとって気候変動への危機感が自分事となった空間でもあったからこそ、なんとしても今回のコンペに携わりたいと強く懇願したのだった。

日加コンソーシアムでプレゼンテーションする筆者  Courtesy of Takaya Tokuyama

私は海外に行くと – その目的が旅行であっても何かのプログラムであっても – 空き時間を見つけてはコーヒーショップとミュージアムを巡るのを楽しみとしている。学生時代、日加コンソーシアムの学生フォーラムに参加するためにカナダの首都オタワを訪れた際も、空き時間を見つけてNational Gallery of Canadaに足を運んだ。「たまたま余っていたから」とフロントスタッフが無料で渡してくれたチケットが思い出深く、今思えば、その時手渡されたのは「小さなつながり」だったのかもしれない。その日の展示内容は、カナダの写真家Edward Burtynskyによる写真展《Anthropocene – the Human Epoch》。Anthropocene、通称「人新世 (じんしんせい)」とは、産業革命以降の人間活動による環境負荷が地球に半永久的な痕跡を残すほどのレベルに達し、地球の地質年代が完新世の時代から、新たな「人間の時代」に突入したことを指す。この用語によって、人間の地球に与える影響が無視できないほど大きなものとなっていることを警告している。展示エリアに足を踏み入れ、数々の美しい写真たちに近づくと、そこには自然の摂理では「起こり得ない現実」が映し出されていた。機器学的に掘り起こされた地面、色鮮やかなゴミの山、伐採地帯と森林のコントラスト。目の当たりにした「新たな現実」が自分に流れ込み、美しさと悲しさの入り混じった感情が心に湧き上がり、思わずその場に立ち尽くした。度々口にしていた「自分事にする」という言葉の重みを、初めて受け取ったように感じた。今でも鮮明に覚えているあの時の感情は、今振り返っても大きなターニングポイントだったと確信している。あの瞬間から、自分が「見えていない現実」に目を向けること、そして自分の持つ特権 (Privilege)について、常に意識するようになった。

この「見えていない現実」は、現代のグローバル化によって負の影響を受けている世界中の場所や人々を意味する「グローバル・サウス」という概念で説明されている。昨今話題の著書『人新世の「資本論」』[1]によると、資本主義における先進国の豊かな生活の裏側では、様々な被害や悲劇がグローバル・サウスに集約され、あらゆる災害、人災、環境破壊などは、遠い地で起きた「不運な出来事」として先進国とは切り離され描かれてきた。しかし同書が示すように、日本をはじめとする先進国は、間違いなく今日のグローバル・サウスの問題に加担してきたのだ。

この現状が続く原因の一つとして、「つながりの欠如」が挙げられるだろう。日々の生活で目にする物資の多くは、グローバル・サウスから複雑なサプライチェーンを経由し先進国へと送られてくる。しかし資源の出所である「遠い地 (見えていない現実)」の実情について、私たちは一体どれだけ理解しているのだろうか。ある種「ソーシャルディスタンス」が世に浸透するずっと前から、私たちと社会の距離は日に日に遠ざかっていたとは、なんとも皮肉な話である。しかし、私たちと社会の “ソーシャルディスタンス” が深まる一方で、人権、気候、ジェンダー、貧困など、すべての問題は相互に作用し合い、その被害はグローバル・サウスへと不平等に分配されていく。にもかかわらず、例えば気候危機というグローバルな問題が、社会の断片化(≒つながりの欠如)を背景に、どこか「他人事」のように扱われてしまう。現代を生きる私たちが問われているのは、そんな断片化された世界とのつながりを取り戻すことなのではないだろうか。

同書の終盤では、解決の糸口としてミュニシパリズム(地方自治主義)の事例が紹介されている。国境を超え、世界中のさまざまな都市や市民が自治体レベルで連携し合いながら革新的な都市改革を行うミュニシパリズムが、バルセロナをはじめとする世界中の地域に広がり、新たなエコロジカルな民主主義社会を築こうとしている。ローカルとグローバルが交錯しながら、市民による積極的な政治参加を通じて、社会のつながりを取り戻そうとしているのだ。ここに、今回の「Water Seeds」プロジェクトのさらなる可能性を感じてならない。歴史的に人々の生活の基盤を担ってきた隅田川を、パブリックスペースとして再び地域社会へと開き、ローカルコミュニティおよび世界の都市とのグローカルな連帯を育みながら、気候アクションを広げていく。人々がつながり、学び、そして行動の実践へと発展していく「Water Seeds」という空間は、地域、国境を超えたアートと社会の接点を生み出し、大きなアクティビズムを後押しする新たなミュージアムのあり方を示すと同時に、日本におけるミュニシパリズム発信の拠点として大きな可能性を秘めていると強く感じている。

この「つながりを取り戻す」という文脈と並行し、今回のコンペティションの審査員の一人であるMiranda K. Massie氏は、気候アクションにおける「対話」の重要性について言及している。Massie氏はインタビュー[2]の中で、気候ミュージアム、通称アクティビスト・ミュージアムという空間は、①気候変動についての「対話」の場である、②気候アクションを実施する場である、③インクルーシブな共同体を創造する場である、ことが必要だと説いている。気候危機というグローバルな問題を前に、人々が沈黙や絶望感に陥ってしまうのではなく、まずは「対話」という小さな一歩を促し、共同体としてアクティビズムを拡大させながら、さらなるアクションへと発展させていく。「対話」という気候危機への積極的な関わりを促すことで、共同体としてより大きな気候アクションの実現を目指すのだ。

ここで重要なのは、「対話」とは意見の一方的な伝達ではなく、コンシャスネス・レイジングのように、セーフスペースの中で各々の考えや経験を語り合いながら、知識の共有や自己内省へと発展させていくということだと思う。用意されたレールをただ歩き、明確に設定された目的地へと向かうのではなく、一人ひとりの主体性を前提に、人々が対話を通じて目的地を模索しながら、共に歩みを進めていく。言い換えると、対話とは、今歩んでいる道を自分たちの手で正しい道にしていく、という強い意志を育む場でもあるということだ。気候危機に対して、自分の行動の規模や影響力の大きさにかかわらず、自分が自分の行動の主体として生きる意思を持って取り組むことこそが、共同体全体の大きなエネルギーとなるのではないだろうか。

自分が福岡市在住ということもあり、那珂川沿いを散歩すると、ふと福岡版Water Seedsプロジェクトの展開について想像する。そしてその度に福岡でのWater Seedsは、隅田川で展開するWater Seedsとコアバリューを共有しながらも、全く異なった表情をしているだろうと感じている。非常にコンパクトでアクセスの良い福岡市内の中心を流れる那珂川が、新たなパブリックスペースとして地域に開かれたとき、屋台文化に続き、どのような都市の新たな交わりが生まれ、どのような地域の共同体意識が育まれるのか。そんな考えを巡らせながらいつも思うのは、人間的な営みの中に完全な再現性は存在しないということだ。たとえ同じ枠組みを展開したとしても、展開される地域、利用する人々、その地域ならではのカルチャーによって、Water Seedsは全く違ったものになるだろう。そしてその不確定さを持ち合わせていることこそ、Water Seedsの大きな魅了の一つではないだろうか。あるべき姿を設定してそこから逆算的にではなく、多様な接点が生まれやすい空間づくりと、そこから新たなアクションへと発展できる「余白」を常に持ち合わせているWater Seedsは、人間的な営みの魅力そのものであると感じている。

福岡市を流れる那珂川 photo:Michiko Akiba


ここで、先日読んだ『ひび割れた日常 − 人類学・文学・美学から考える』[3]の中で語られている「足し算の時間」について紹介したい。私たちは、未来のある地点から逆算して現在の行動を決めるという「引き算の時間」をベースに物事を考えてきた。最近ではオリンピックの誘致が、その最たる例と言えるだろう。しかし、本書ではパンデミックが引き起こした「引き算の不能」によって、私たちの生活の中に、今できることを少しずつ足していく、不均一で、より生理的な「足し算の時間」が生まれたのではないかと指摘されている。常に合理性と効率化を念頭に置く今日の社会は、明らかに「引き算の時間」をベースに成り立っている。しかし、限定合理性という言葉が示すように、私たちが見出す合理的な意味とは、あくまで自分たちが認識できている範囲(もしくはそれ以下)でしかない。大いなる自然に背を向けて経済成長を追求した結果、気候危機やグローバル・サウスの深刻化を招いている今日の現状は、私たちの合理性の限界を示しているのではないだろうか。
私は同書で示される「足し算の時間」が、ここまで語ってきた「つながりを取り戻す」ことに通じていると感じてならない。気候危機に対し、一人ひとりが行動の主体として大きな共同体を形成し、対話と行動の中で目的地を模索していく。その過程で、私たちが断片化された世界と、地域社会と、人々と、そして自分自身とのつながりを取り戻すとき、私たちは「明日何が起こるのかも分からない」という予測不能性を受け入れながら、常に世界に対して謙虚さを持って生きていくことができると思う。「分断」ではなく、常に「かかわること」を選択し、対話の中でより良い世界を目指していく。これからも世界との間に、能動的で、積極的な人間的つながりを育んでいきたい。

東京湾に注ぐ隅田川 photo:Michiko Akiba



[1] 斎藤幸平 (2020)『人新世の「資本論」』、集英社
[2] https://climatemuseum.org/blog/2020/7/28/museum-programming-for-civic-engagement-on-climate-change-with-miranda-massie?fbclid=IwAR1wu7AXJvO4JAxoLI0fsyLgX4oKqAoVX2W3Mbs8HreAguJ01J0ux47XtnI
[3] 奥野克巳、吉村萬壱、伊藤亜紗 (2020) 『ひび割れた日常 − 人類学・文学・美学から考える』亜紀書房

徳山貴哉 (Tokuyama Takaya)
1997年生まれ。ソニー株式会社のセールス&マーケター、アート&ソサイエティ研究センターのインターンシップ生。関西学院大学で学士号を取得し、現在、福岡の地域コミュニティ・プロジェクトとペルーのスタートアップ・プロジェクトの両方に携わっている。2020年には、内閣府の「世界青年の船」事業(SWY32)に日本代表として参加。

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私自身の言葉:COVID-19(新型コロナウイルス感染症)に対するハノイの反応 サバイバルと長期的発展のための教訓—ウット・クエン(Út Quyên)

本稿は、ハノイ在住のウット・クエンによるテキスト、「My Own Words: Hanoi’s response to COVID-19」を邦訳したものである。友人であるクエンから文章を書いたと知らせをもらったのは、6月下旬のことだった。まだ世に出ていない原稿を光栄にも受け取ったのだが、ベトナム人以外の反応を知りたいという思惑も彼女の中にあったのかもしれない。
現代アートスペースのスタッフとして、またアート分野のライターとして培われた視点やネットワークをもって書かれた原稿からは、未曾有の状況を書き留めることに対する彼女の熱量を感じた。ハノイの芸術文化スペース、団体によるCOVID-19への対応を文章の核としながら、それらが抱える恒常的な課題についても述べられている。局所的な事象が描かれているが、他の場所でも起きていることかもしれないとも思った。多くの読者が待ち望んでいるはず、とクエンに向けて読後のメッセージを返信した。推敲を経たクエンの最終稿が書き上げられてからも、ハノイの様子は日々変化している。99日間の平穏ののち、ベトナムでは7月下旬より再び新型コロナウイルスの感染者が増え始め、感染拡大の第2波に見舞われた。現在ハノイの状況は落ち着きつつあるが、公共の場でのイベントに対する一定の制限は解かれぬまま、スペースや団体は活動を続けている。
本稿内でCOVID-19の一過性に言及したハー・ダオの言葉は力強く響く一方で、クエンは持続可能な活動の難しさを記す。両者とも文化芸術活動を取り巻く環境に対する危機感は共通している。クエンが言うような文化芸術に関する体系的な働きかけの実現に向けては、個人や団体間の水平的な連帯が重要度を増すだろう。COVID-19がもたらした繋がりの変化、繋がるものや方法の変化は、明らかに個々の活動に影響を与えていることが本稿からも読み取れるが、より大きなうねりに波及するだろうか。これまでも常に戦術を駆使してきたに違いないハノイの実践者たちから、新しい生活様式の下で生み出されるものを、今後も辿っていきたい。

拙訳の掲載を快諾してくださったアート&ソサイエティ研究センターの皆様に心より感謝申し上げます。
(金子望美)


 

ベトナムはCOVID-19の抑え込みに成功したといってもさしつかえないだろうが、世界的なパンデミックの影響はこの国の生活のあらゆる面に及び、軽視できない。芸術文化産業も例外ではない。本稿はハノイの芸術文化関連のスペースへのインタビューをまとめたものであり、彼らの懸念や、変動する世界で持続的な将来を構築するために彼らがとった短期的・長期的対応を明らかにすることを狙いとした。

「レッド・ダスト・ホライズンズ」コンサートの観客。Photo by Le Huong Quynh. Image courtesy of DomDom.

「新しい日常」
ベトナムで全国的なロックダウン1)措置が解除されたのは2020年の4月下旬だった。5月末には公共の場での芸術文化活動が慎重に再開され、公共の場でのイベント開催は徐々に以前の頻度に戻りつつある。実のところ、芸術文化関連の団体の多くは、オンライン上や現実空間でのイベントに対する関心の高まり、参加者の増加を感じていた。例えば実験音楽のような、挑戦的な芸術形式(art forms)もその一つである。実験音楽とアートのハブであるドムドム(DomDom)によるライブパフォーマンス「レッド・ダスト・ホライズンズ・コンサート(Red Dust Horizons Concert)」には、300人が来場した。

参加者の急増は、参加可能な公共の場でのイベントが少ないためと考えられる。これは好ましい兆候であるとして、ローカルのアーティストたちは歓迎しているものの、一方では、一過性のものかもしれないと慎重に見ている。

 

孤立する芸術文化コミュニティ

トークイベントの司会を行うグエン・アイン・トゥアン氏(右)。Photo by Nguyen An. Image courtesy of Heritage Space.

先日、シンガポールの『ストレーツ・タイムズ(Straits Times)』紙は、生活に必要不可欠なサービス(essential services)に関する調査記事を発表し、必要不可欠ではない職業(non-essential jobs)ランキングの1位に「アーティスト」を挙げた。これは他国の記事にもかかわらず、ベトナムのアートコミュニティの人々の間に怒りや皮肉といった反応を次々と引き起こした。しかし、この調査が明らかにしたのは、COVID-19の流行に対処するにあたって芸術文化コミュニティがいかに孤立しているか?ということだ。インディペンデントな現代アートスペースであるヘリテージ・スペース(Heritage Space)のディレクター、グエン・アイン・トゥアン(Nguyễn Anh Tuấn)は言う。「芸術は社会の上部構造の総体に属しており、それ独自のインフラや経済的・精神的価値体系を備えているが、国や人々から適切に注意を払われるのはいつも最後になる」。さらに、「我々は常に最低限のリソースしか与えられず、社会的な危機が訪れる時はいつでも、それどころか平常時においても自力で何とかしなければならない」と付け加える。

このパンデミックによって、アートコミュニティとベトナムの政策立案者との折り合いの悪さは浮き彫りになるばかりだ。文化スポーツ観光省は、インディペンデントな芸術文化コミュニティを支援するための緊急対応策をいまだに講じていない。政府による620億ベトナムドン(およそ260万ドル)もの金融支援パッケージ(Financial Assistance Package)は、COVID-19の影響を受けた人々に向けて打ち出されており、清掃員から食料雑貨店の販売員、個人事業主の運転手まで、幅広い職種をその対象としている。しかし、ザ・ベトナム・ナショナル・インスティテュート・オブ・カルチャー・アンド・アーツ・スタディーズ(the Vietnam National Institute of Culture and Arts Studies、以下VICAS)のリサーチャーであり、ヴィカス・アート・スタジオ(VICAS Art Studio)のマネージャーであるグエン・ティ・トゥ・ハー(Nguyễn Thị Thu Hà)は、インディペンデントなアーティストはこの対象外であることを指摘している。

 

共通の状況に対する様々な反応

ザ・ベトナム・ナショナル・インスティテュート・オブ・カルチャー・アンド・アーツ・スタディーズ(VICAS)のリサーチャーであり、
ヴィカス・アート・スタジオのマネージャーであるグエン・ティ・トゥ・ハー博士。

ロックダウン後のVCCAでの展示ツアー。Image courtesy of VCCA.

国から支援を受けている組織は、経済的な安定を得ている一方で、危機に素早く対応する力を犠牲にしている。2017年に設立されたヴィカス・アート・スタジオはベトナムで唯一、政府が支援している現代アートのスペースである。外から見る分には、彼らは恵まれた立場にいるように思える。インフラへの支援があり、従業員の給与は保証され、活動やプロジェクトの予算は確保されている。3ヶ月の社会隔離期間中でさえ、VICASのスタッフはリサーチャーとして国の予算から給与が支払われていた。将来のプロジェクトはどれも中止を免れており、既存のプログラムは再開されるはずだ。パンデミックが終わればVICASは運営を再開し、鑑賞者やコレクター、コミュニティとの結びつきは以前と変わらぬままだろう、とVICASの協働者やアーティストの皆が確信していた。

しかしグエン・ハー博士2)は、国からの支援を得ているがために、危機に対応する能力を構築することに対してメンバーがかなり消極的になっていると言う。スタッフ全員は研究所のリサーチャーとしての職務を優先させなければならない一方で、ヴィカス・アート・スタジオの運営を無償のボランティア活動として行う。したがって、アートスペースのためのチームを安定して維持することは難しく、メンバーは過重労働になることが多い。パンデミックの間、彼らは組織を変えるための解決策を積極的に提案することはできなかった。

ベトナム最大の企業の一つであるビングループ(Vingroup)傘下のビンコム・センター・フォー・コンテンポラリー・アート(Vincom Center for Contemporary Art、VCCA)もまた、先行き不透明な状況に直面している。彼らの活動は企業の決定に左右されるためである。もし経済状況が悪化すれば、非営利事業のアートセンターは真っ先に閉鎖される可能性がある。

マッカ・スペースの展覧会ツアー。Image courtesy of Matca.

資金提供の削減と移動の制限に見舞われ、文化芸術関連のスペースや団体の大半は、プログラムの延期や中止を迫られている。しかしながら、パンデミックの有無にかかわらず、芸術文化のためのインフラが不十分であるという状況の中で自分たちが活動していることを、文化芸術の実践者は理解している。写真家であり批評家、またマッカ・フォトグラフィー・スペース(Matca Photography Space)のマネージャーでもある、ハー・ダオ(Hà Đào)は言う。「おそらく、インディペンデントなアートスペースは激変する生活に慣れすぎている。アンダーグラウンドで活動していて、生き残るための方法を常に探す必要があるので。そういった意味では、COVID-19はすぐに過ぎ去る出来事でしかない」。アートギャラリー兼カフェのマンジ(Manzi)はいち早く活動を取り戻した場所の一つで、展示のオープニング、イベント、トークイベントの予定が詰まっている。経済的に自立し続けること、そして地元当局とうまくやる方法を知ることは、スペースの存続に初めから影響を及ぼす課題である。

 

サバイバルのための改革

TPDの映画制作クラス。Image courtesy of TPD.

ハノイの芸術文化関連のスペースの多くは、ロックダウンの期間を運営の見直しや能力開発のための機会とみなした。建築とアートのためのスペースであるアゴハブ(AGOHub)は、パフォーマンスの向上とリソースの十分な活用のために、仕事を特徴的なカテゴリーに振り分ける必要があることに気がついた。現在アゴハブは、物理的な施設を管理するチーム、専門分野のイベントを企画するチームという2つの独立したチームを抱えている。ザ・センター・フォー・アシスタンス・アンド・ディベロップメント・オブ・ムービー・タレンツ(The Centre for Assistance and Development of Movie Talents、以下TPD3) )のディレクターであるグエン・ホアン・フォン(Nguyễn Hoàng Phương)は、人的・金銭的リソースが限られている組織にとって、共同体の形成(community building)は最も重要であると述べている。ロックダウン期間中、TPDは組織内のコミュニケーションを深めることや、彼らのサポーターに無料で授業を提供することに力を尽くした。

ATHの子ども向けの演劇プロジェクト。Image courtesy of ATH.

デジタル化は、COVID-19への対応にみられる世界的な傾向である。パフォーミングアーツの団体は、ライブイベントに代わるものとしてのデジタルの有効性に当初は疑いをもっていたものの、現在はより多くの観客の獲得や、より活発で国際的なプログラムを可能にするという利点を見出している。例年のパフォーミング・アーツ・スプリング・フェスティバル(Performing Arts Spring festival、PAS)に代わり、そのオンライン版を2020年6月に2日間にわたってZoomで開催したことで、ATH4)はいつもより多くの専門家をゲストに招くことができた。その中には、英国とフランスから招待した影響力のある演劇とダンスのアーティスト2名が含まれ、彼らによるワークショップが行われた。この仕組みにより、生徒によるパフォーマンスや舞台新作についての録画配信や、本フェスティバルのために特別に行われたコンサートや演劇2本のライブストリーミングも可能になった。

数々の団体は、協力する機会や潜在的なパートナーも新たに獲得した。ヘリテージ・スペースはゲーテ・インスティトゥート・ハノイ(Goethe-Institut Hanoi)とのコラボレーションにより、映画『ザ・スペース・イン・ビトウィーン:マリーナ・アブラモヴィッチ・アンド・ブラジル(The Space in Between: Marina Abramović and Brazil)』を上映した。観客とオンラインで共有するこの試みに、思いがけずアブラモヴィッチが参加した。ヘリテージ・スペースのグエン・アイン・トゥアンは言う。「アブラモヴィッチと連絡を取ったのはイベントのほぼ1週間前だったが、こちらの出演依頼に応じてもらえるとはあまり思っていなかった。いつもなら彼女のスケジュールは1年先まで埋まっているはずなので」。レジデンススペースのバー・バウ・アーティスト・イン・レジデンス(ba-bau AIR)は、外国人アーティストへ宿泊施設を提供する方針から、ローカルのアーティストや団体を招いてのイベントや短期のワークショップに施設を利用する方針へと移行した。旅行が制限されているゆえにコラボレーションの機会を国内で探さざるを得ないことが、結果的に地元の芸術文化の実践者、スペースや団体間のつながりを強めている。

パンデミックに対処するためにそれぞれのスペースが取った即時の行動もまた、長期的に運用されるモデルになる可能性を秘めている。例えば、ア・スペース(Á Space)はオンラインプラットフォームであるバーチャル・ア・スペース(Virtual Á Space)を展開し、現実空間のスペースから独立して運営している。アーティストでア・スペースを設立したトゥアン・マミ(Tuan Mami)は、「バーチャル・ア・スペースは若手のアーティストやアートの実践者がプロジェクトを発展させたり、展示を企画したりする可能性や、物理的な空間に関しては通常よりエスタブリッシュな実践者のための場所を使う機会を提供できる」。バーチャル・ア・スペースでの初めての展示となる「アイ、アザー・エグジスタンスィズ(I, Other Existences)」は2019年に結成されたマルチメディア・アートコレクティブであるモー・ホイ・モーモ?(Mơ Hỏi Mở – MO?)がキュレーターとなる予定である。

 

持続可能な将来はあるか?

ロックダウン後のアゴハブ主催によるデザイン思考に関するワークショップ。Image courtesy of AGOHub.

COVID-19が発生して初めて、ベトナムの実践者から持続可能な発展の問題が提起された。アゴハブの創設者兼マネージャーであるグエン・トゥアン・アイン(Nguyễn Tuấn Anh)は、「持続可能であるためには、アートや非営利の活動と実利的で商業的な活動とのバランスを取ることが必要だ」と述べる。しかし、これは他の多くのスペース、特に実験的なアート様式を扱うドムドム、ア・スペース、ヘリテージ・スペースなどにとっては、難しい問題である。さらに、今回インタビューしたマネージャーやオーナーの中で、感染拡大の第2波や再度の長期休業を自身の組織が乗り越えられると確信している者は一人もいなかった。

サバイバルと長期的な発展に不可欠な教訓(lessons learnt)を以下に記す。

・危機に対応する力を高める
・市民との結びつきを強める
・内部のリソースをより有効に活用する
・活動やプロジェクトを局地化(localise)、地域化(regionalise)する
・海外の団体や機関からの資金提供への依存度を減らす
・非営利活動と収益性のある活動のバランスを探る

これらのアクションに加えて、国民への教育やコミュニケーションのプログラムを通じて、文化芸術産業に対する理解を体系的なレベルで向上させる必要がある。

 

筆者について
ウット・クエン(Út Quyên)は芸術分野のライター、芸術文化関連のコーディネーター、オーガナイザー。インディペンデントのライターおよび芸術文化を扱うウェブサイトであるハノイ・グレープバイン(Hanoi Grapevine)の寄稿ライターとして、芸術活動に関する論評を執筆する。また、ハノイのインディペンデントなアートスペース、ヘリテージ・スペース(Heritage Space)でのクリエイティブイベントやアートプログラム・プロジェクトのほか、ハノイ市内にある他のアートセンターと協働する分野横断的なクリエイティブプロジェクトにて、企画・運営に従事する。現在はベトナムのハノイに在住し活動している。

本稿記載の見解や意見は筆者個人のものであり、必ずしもArt & Marketの見解や意見を反映するものではありません。本稿は長さ、明確さのため編集されています。

(訳者/金子望美)


訳者による注釈
1) ベトナムにおいて、全国的な社会隔離措置は4月1日より開始された。政府により、買い出しや救急、必要不可欠な商品・サービス関連勤務以外の外出自粛要請が発出され、また公共の場所において3人以上の集合が禁止された。これに先立ち、グエン・スアン・フック(Nguyễn Xuân Phúc)首相やマイ・ティエン・ズン(Mai Tiến Dũng)政府官房長官は、本措置はあくまで要請であり都市封鎖(ロックダウン)とは異なる旨を強調した。しかし訳者の所感では、ベトナム国内における制限の強さを他国の都市封鎖の状況と比較した場合、隔離措置期間中のバス・鉄道等の公共交通手段およびタクシー・grab等の輸送サービス停止や、ベトナム当局が街中を巡回して監視する様子(報道によれば、複数地域において政府の要請を遵守しない者への罰金例が多数挙げられている)等より、ベトナムもそれに準ずるように感じた。
本文では、筆者が原文内で「lockdown」を使用する限り、「ロックダウン」と訳出している。
2) 既述のグエン・ティ・トゥ・ハー(Nguyễn Thị Thu Hà)博士を指している。
3) ベトナム語の団体名「チュン・タム・ホー・チョ・ファット・ティエン・タイ・ナン・ディエン・アイン(Trung tâm hỗ trợ Phát triển tài năng Điện ảnh)」の略称。
4) 当該団体設立時の名称であるアトリエ・テアトル・ド・ハノイ(Atelier Théâtre de Hanoi)の略称が転じて、現在はATHが団体の正式名称となっている。団体設立当初は活動の主眼を演劇に置いていたが、現在は音楽・ダンス、アートやクラフトにまで活動領域を広げている。それに伴い当初の名称であるアトリエ・テアトル・ド・ハノイの使用をやめて、代わりにアトリエ・テアトル・エ・アーツ(Atelier Théâtre et Arts、ドラマ・アンド・アーツ・スペースの意)という説明が用いられるようになった。

金子望美 (Nozomi Kaneko)
都市、文化、資本とその関係性を関心の軸に据えながら、文化芸術分野の翻訳やリサーチに従事する。パフォーマンスアートのデジタルアーカイブ、Independent Performance Artists’ Moving Images Archive (IPAMIA)のメンバー。ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ、Culture Industry(MA)修了。現在ベトナム・ハノイに在住。

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自然農とアートにみる生物多様性という生存戦略

2020年オリンピックイヤーが幕をあけた。東京では様々な文化イベントが予定されている。これは2012年のロンドンを参考にしていると言う。私は以前、ロンドンのNPOでコミュニティアートを実践する現場に数か月立ち会った。2004年当時は、オリンピック開催の最終候補都市に選ばれ、早くもカルチュラルプログラムが意識され始めていた。当NPOはイーストロンドンの、移民や低所得者層の多い地域にあった。地域の若者たちの文化的体験を支援しており、あるプロジェクトでは「NEW ROOTS- Young Hackney Voices」として音楽が好きな若者たちに対し、プロで活動するアーティストをコーチに迎え、詩をつくるワークショップから本格的な録音スタジオでの楽曲の収録、CDの制作、それをライブという場で表現するまでの機会を提供した。NPOのギャラリーで行われたライブには、区長や地域の人々が訪れ盛況だったが、ラップまじりのヒップホップを聞いて、涙を流すほどの衝撃を受けたのは私だけであっただろう。そこにはいわゆるマイノリティである彼らの「生きるための表現の場がある」と強く感じたのだ。アートが生き方の多様性を保障しているように見えた。

NEW ROOTS-Young Hackney Voicesライブの様子(2004年)


左:ライブの後は区長と若者たち、地域の人々が歓談 右:プロが立ち会い本格的に仕上げられたCD

さてここから農の話をしよう。「切り干し大根をつくる」と聞いて直ぐにアートのような創造性を、あるいはアートに触れたときのようなひらめきや高揚感を想像できるだろうか。

秋空の下で切り干し大根をつくる

2019年秋、北信州に住む私たちは切り干し大根を作るワークショップを行った。湖と森と山を抱く小さな町での小さな出来事だ。その日、自然農法で米と野菜を栽培する農家「りんもく舎」の畑に集まったのは、鍼灸師、絵本作家、元教師など数名。職種や働き方も様々な人間が集まり、畑から大根を引き抜き、水路で泥を落とし、空の下で包丁やスライサーを持ってひたすら大根を切る。ただそれだけのことだが、皆で手作業を共有すると普段はしない対話が自然と生まれる。
例えば、皆で昔の暮らしを想像してみる。保存食や伝統料理、その背景にある資源循環型の生活が当たり前にあっただろうことに話や想像は及ぶ。あるいは、そもそも切り干し大根を作ることとなった発端を自然農家とともに話し合う。出荷されずに畑に根付いたままの大根たち。自然農は農薬や肥料を使わないため、天候の変化による微生物の動きの影響を受けやすい。その結果、今年は大根の肌がきれいに仕上がらなかったというのがその理由だ。そこには気候変動も身近なものとして浮かび上がり、また、画一的に整うことが求められるスーパーマーケットの野菜たちの姿も、さらには学校教育のなかにある子どもたちの姿も重なってみえてくる。
この体験は、ひとつの作業や事柄を通して、多くの想像を引き出す、新たな視点を得るという点において、まさしくアートにおける体験と似たような感覚をもたらした。

切り干し大根づくりの一連の作業風景



自然農の農家との対話では世界の真理の一端をみるようなことが起きる。ある時、畑の一角で団粒化した土を見せ、バクテリアの仕業なのだと教えてくれた。それは作物の栄養分を生成するバクテリアが生息し、住みやすい環境を生成していることを意味する。
「慣行農業ではいかに害となる菌を排除するかと考えるけれど、ぼくら自然農では、いかに多種多様な微生物を土のなかに生かすかと考えるんだ。多様な微生物が生息すれば一種だけが突出して繁殖し栽培に害を及ぼすということが起きないから。」と言う。彼の畑ではキノコも時折顔を出す。キノコ(糸状菌)が優位に働く土は自然のバランスが整っている証なのだと嬉しそうに話す。「土も草木も野菜も人も、それだけで生きている訳ではなく、いろんなものに生かされて生かし、持ちつ持たれつしながら生きている。単純、単一であることは効率的で便利かもしれないけれど、とても弱い。」ということを畑は教えてくれる。そして、多様性のある世界(土)がいかに美しく、その一部として育ち、共存する様々ないのち(野菜や雑草)の力強さを語ってくれた。
この対話を通して、彼がアーティストと同様な立場にあると感じた。アーティストはいわば世界の多様性を表す存在だ。定常化した社会の理を見つめなおし、異なる角度から表現し、私たちにあらゆる世界の在り方を提示してくれる。

左:枯草や稲藁の下で団粒化した土 右:キノコが生える畑の土 (りんもく舎提供)


自然農では野菜も雑草もいきいきと共存する (りんもく舎提供)



この自然農とアート、あるいは農家とアーティストの共通点は何だろうか。現在日本で自然農を含めた有機農家の割合は農家全体の0.5%に過ぎない。年々増加傾向にあるそうだが全国でわずか1.2万戸だ。(*1)一方アーティストの数は定義があいまいで計り知れないが、国税調査によると「文筆家・芸術家・芸能家」という社会経済分類で871,910人。(*2)ここで想定するアーティストの範囲はその中のさらに一部であるため、随分荒っぽい比較だが、少数派だと思われるアーティストと同様に、もしくはそれ以上に有機農家は極めて少ないことがわかる。有機農家もアーティストも選択的マイノリティとでも言おうか、オルタナティブな視点をもって社会を見てきた少数の人たちなのだ。彼らは今ある社会やシステムに違和を感じとり、ある人は自然農法という技法で、ある人はアートという表現方法で、問いを投げかける。それは藤浩志が自身の作品を「OS作品」というように、あるいは『藝術2.0』(熊倉敬聡著)のなかで小倉ヒラクが「OSとしてのアート」と表現しているように、OSの違いこそあれ、そこにある精神性や創造性という点で共通しているのではないか。そしてさらに言うならば、今まさにそれぞれのOSを持ち寄り、新たな価値を共有する、新たなOSを作り出すといった、いわば創造性の複合形がアートの文脈の内にも外にも増えつつあるように思う。
彼らは、多様性をもち、すべてが循環して複合的に関わり合うなかで奇跡的に世界が成り立っていることを知っている。そして自らも多様性を表出する一部となり、同時に、世界の多様性を持続することを助けているという意味で二重に役割を担っているのだ。
今私たちはとても不確かな時代にいる。グローバル資本主義が引き起こす経済格差、環境汚染、気候変動、自然災害、エネルギー問題、政治的緊張関係から移民、貧困、孤独まで世界共通の課題は枚挙にいとまがなく、しかもそれらは複雑にからみあい、決して他所の問題とは言えない関わりをもって私たちの眼前に立ち現れる。当たり前だと思っていた価値観をこのまま続けていいものか。それに気づいた人から行動を始めている。依然少数であることに変わりはないだろう。しかし、不確かで複雑で先行きがわからない時代だからこそ、少数のオルタナティブな視点をもった人々が新たな光をもたらすかもしれない。生物は時に脆弱な種や能力も持ち合わせながら生き延びてきた。それは変わりゆく世界で何が生き残る手段に変貌するかわからないからだ。生物多様性を担保することこそが不確かな時代を生き延びる戦略であり、それを知っているのが農とアートなのかもしれない。
(文:天野澄子)


*これは決して慣行農業を否定するものではなく、また自然農に携わる農家がすべてこの通りであるとは限らない。アートやアーティストに対する考え方もここで示すものは一部である。
*1)農林水産省平成25年8月発表「有機農業の推進に関する現状と課題」より
*2)国勢調査 平成27年国勢調査 抽出詳細集計(就業者の産業(小分類)・職業(小分類)など)より
参考文献:
『藝術2.0』熊倉敬聡 著(春秋社)
『発酵文化人類学』小倉ヒラク 著(木楽舎)
取材協力:りんもく舎 http://rinmoku.com/

天野澄子(Sumiko Amano)
横浜国立大学教育学部総合芸術課程卒。1997~2013年まで株式会社タウンアートにてアートプロデューサーとしてパブリックスペースにおけるアート計画の企画から作品設置まで多数のプロジェクトに携わる。2004年文化庁芸術家海外研修によりロンドンのアートNPO「Free Form Arts Trust」にてコミュニティアートについて学ぶ。2013年子育てを機に長野県へ移住。現在は公共文化施設計画の設計支援等、アート思考をOSとしてフリーに活動中。

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台北ビエンナーレのキュレーター ウー・マリ氏(Wu Mali)へのインタビュー
 アート+環境団体+市民を結ぶプラットフォームとしての台北ビエンナーレ
 美術館がアクションへの発信基地へ

ヘンリク・ハカンソン《逆さにされた木 (鏡に映された)》
Henrik Håkansson, Inverted Tree (Reflected), 2018, Taipei Biennial 2018エントランスロビー
photo: Michiko Akiba エントランスロビーに吊り下げられた巨木と床の鏡によってインタラクティブに作品と対話でき、大人気の撮影スポット。

第11回台北ビエンナーレが2018年11月17日より2019年3月10日まで台北市立美術館で開催された。タイトルは「ポスト・ネイチャー 生態系としての美術館(Post –Nature A Museum as an Ecosystem)」で、アートをはじめとする多様なアクターが美術館に結集、我々の身の回りにある環境との関係性を多角的に再構築し、ひいてはボトムアップな変化につなげようとする意欲的な試みである。
台湾では1980年以降の民主化の過程で住民参加という機運が高まり、近年では多くの市民団体が活発な活動を続けている。そこで、ローカル+インターナショナルな作家、映像作家、小説家に加えて、地域環境の保全、再生に関わる市民団体、大学、NGOなど異なる分野もフラットに参加して、ビエンナーレ自体が領域を超えて繫がるエコシステムとなり、市民の協働をめざすプラットフォームを提供している。
本ビエンナーレのキュレーターは、11回目にしてはじめて地元台湾人アーティストのウー・マリ氏が(イタリア人のフランチェスコ・マナコルダ氏Francesco Manacordaとともに)選ばれ、その結果、ビエンナーレがより地域社会と結びつき、美術館が地域にひらかれた場となり、多くのポジティブな反響が寄せられている。

ウー・マリ氏(Wu Mali)photo: Rich Matheson


ウー・マリ氏は環境や地域コミュニティを主要テーマとして台湾におけるソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)の最も影響力のある実践者で理論家であり、1990年代より地域住民とともに周辺環境への認識と行動を喚起する対話のプロジェクトを継続している。なかでもバンブーカーテンスタジオ(Bamboo Curtain Studio、註1)とともに実践している《Art as Environment – A Cultural Action at the Plum Tree Creek(台北市、樹梅坑渓、2009- 本文中参照)》 や 台風で荒廃した茶の産地に30人のアーティストを派遣して、各地で土地の再活性化を住民とともに考える、《Art as Environment—A Cultural Action along the Tropic of Cancer》(嘉義州、2005-07- )などが挙げられる。またSEAの代表的作家で論者スザンヌ・レイシ—の Mapping the Terrain New Genre Public Artや、研究者グラント・ケスターのConversation Pieces を中国語に翻訳紹介、現在は国立高雄師範大学で教鞭を執っている。

2019年3月初めに、アート&ソサイエティ研究センターのメンバー(秋葉、小澤、川口、清水)と『ビオシティ』の藤元編集長が台北ビエンナーレを訪ね、ウー・マリ氏(以下WM)をはじめ、マーガレット・シウ(Margaret Shiu、以下MS 註2)、イェン-イン・チェン氏(Yen-Ing Chen以下YC 註3)にインタビューして、台湾におけるSEAの先駆者、ウー・マリ氏がキューレートしたビエンナーレのコンセプトや意図、さらには自身のSEA活動について取材した。

ヴィヴィアン・ズーター《ララ マウンテン・パナジャケル》
Vivian Suter, Lala Mountain・Panajachel, 2018 ©Michiko Akiba
ハリケーンで破壊されたスタジオの土に埋まったペインティグを乾燥して、その時間による変化をそのまま提示する作品。今回は実際に台湾茶
の産地で制作した。


ヘレン・メイヤー・ハリソン&ニュートン・ハリソン《この国、スコットランドの深遠なる豊かさ》
Helen Mayer Harrison & Newton Harrison, On the Deep Wealth of this Nation, Scotland, 2018, © Taipei Fine Arts Museum
環境アートのパイオニアとして夫妻で、世界中の環境を科学者、歴史学者、住民とともにリサーチして、ひとつの作品へと昇華する、その
過程で夫妻の対話が土地の環境を詩的に表現する。


レイチェル・サスマン《世界で最古の生き物》
Rachel Sussman, The Oldest Living Things in the World, 2004–2014, © Taipei Fine Arts Museum
科学者とのコラボレーションで世界中の最古の植物を撮影した写真作品。

「ポスト・ネイチャー」 とは?
Q1 最初に、台北ビエンナーレのタイトル、「ポスト・ネイチャー」とはどういう意味で使っているのでしょうか?

WM 我々が「自然」ということばで理解している概念は100年前とは大きく変化しています。我々の存在や生活は人びとと自然の関係性を大きく変え、その結果、「自然」という概念を作り替えてきたとも言えるでしょう。例えば公園の木は一見自然に見えるが、それは人工的に植えられ、人間によってデザインされたもの。このように現在の自然環境はもはやナイーブではない、純粋なものではない。その状態を「ポスト・ネイチャー」と呼んでいます。
本来の自然には戻れない、とすると我々はどのようにこの「ポスト・ネイチャー」に関わればいいのか、ここではそれに対する多様な興味深い問いかけを提示しています。しかし、具体的な提案や解決法を示しているわけではない。このビエンナーレは、我々がその一部でもある自然への関係性を再解釈、再定義、再構築する契機となり、それによって議論をはじめ、引いてはアクションや変化につなげようとする試みなのです。

Indigenous Justice Classroom、The First Ketagalan Boulevard Arena Seminar, 2018/11/24
Speaker: Panai Kusui, with musician Chen-Chung Lee. Photo: Ming-Hsiu Tsai
ドキュメンタリー映像作家、音楽家、クリエイターなどによるコレクティブ。2017年、先住地域に関する法改正への抗議運動から結成され、
ビエンナーレでは連続レクチャー、音楽パフォーマンス、ワークショップなどを活発に開催した。


ケ・チン・ユエン(柯金源)《前進》
Ke Chin-Yuan, The Age of Awakening, 2018, documentary, color, sound, 108 min. © Taipei Fine Arts Museum
台湾公営テレビのプロデューサーとして30年にわたり台湾の環境課題やエコロジーについてのドキュメント映像を制作。


チェン・チュ-イェン(陳珠櫻)《ソーラー・インセクト動物園》
Chen Chu-Yin + Solar Insects Vivarium Workshop, Paris 8 University, Neo Eden – Solar Insects Vivarium, 2015-2018, electric parts, solar cells ©Michiko Akiba
ソーラーシステムで動く様々な人工昆虫を展示。

台湾で今開催する意味?
Q2  この展覧会は環境というテーマに絞って企画していますが、このような明確なテーマに基づいたビエンナーレを台湾でおこなう意味、それはもちろんグローバルにも大きな意味を持つと思いますが、今この企画をここでおこなう背景とはどのようなことでしょうか?

WM 台湾では都市環境が産業化と開発によって急激な変化を起こし、課題が山積しています。大気汚染、騒音、土壌や水の汚染といった環境問題に対する関心や抗議の動きはますます広まり、多くの環境団体が活動を展開し、環境に関する緊急の対話が必要だと感じています。
ただ環境といっても、それは歴史、政治、経済、産業などに大きな影響を受けており、多様な積層で構成されるもので、基本的なエコシステムは総合的に理解しなくてはいけない。
そこで本展は複雑だが新たな持続可能性について探る実験と対話の場となることをめざして、分野横断的で参加型の形をとっています。まずは身の回りの身近な環境から考え実践につなげるためコミュニティの参加を非常に重視しています。

Ecolab風景 :ヅォ・リン《雑草から一杯のお茶まで》ワークショップ
Zo Lin “From Weeds to a Pot of Tea” Workshop, Taipei Biennial 2018 ©Taipei Fine Arts Museum


Ecolab風景 : Taiwan Thousand Miles Trail Association Lecture, Open Green Lecture ©Taipei Fine Arts Museum


Ecolab風景 : Kuroshio Ocean Education Foundation Performance ©Taipei Fine Arts Museum

エコラボ(EcoLab)とは?
Q3 エコラボという展示コーナーに、地元の環境団体やNGOが参加しており、これが大きな特徴のひとつといえると思います。それらには必ずしもアート活動とはいえない団体も含まれますが、その意図するところや意味を教えてください。

WM このビエンナーレにはアートとして強い印象を残す作品が展示されていると同時に、環境団体、NGO、社会学者、活動家、科学者、都市計画家なども参加しています。それはこの展示が単にエコシステムの現状や課題を指し示し解説するだけの場ではなく、異なる分野をフラットなプラットフォームとして提示し、協働、変化、発信、統合の場を再構成する試みであるからです。

YC Ecolabには台湾を拠点とする多くの環境系団体が参加しています。
それらは、Kuroshio Ocean Education Foundation、Taiwan Thousand Miles Trail Association、Open Green、Jui-Kuang CHAO+Taiwan Community University、Zo LIN – Weed Day、Keelong River Watch Unionの6団体です。
ビエンナーレの準備期間は2017年10月から10か月間で、それぞれが本展のためにプロジェクトをおこなったり、コラボレーションを始めるための時間がなかったので、「エコラボ」というコーナーにそれぞれの活動を集め紹介する形となっています。
この準備のプロセスで、多くの団体にとって自分たちの活動をどうやって見せるか、が課題でした。彼らはとにかくデータ、マテリアル、写真など活動をトレースする興味深い貴重な素材をたくさん持っています。そこで、美術館専属の建築家、デザイナー、アーティストグループが彼らの活動を展示する協力をおこない、我々は必要に応じてそれぞれを結びつけ、彼らのエネルギーや多様な経験、知識をわかりやすく表現、展示することに徹しています。そこから協力関係や新たな取り組みを始めることに繫がればと思います。

WM 多くの団体が参加しているので、この経験を消化するにはさらに時間が必要です。ただ、毎週末、彼らはアーティストとともにレクチャー、ツアー、ワークショップ、フォーラム、パフォーマンス、シンポジウムなどを活発に実施して、市民が自身でなにができるかということを議論する場、発信する場をつくり出しています。

Ecolab風景 : Keelong River Watch Union UBike Tour, Jui-kuang CHAO + Tainan Community University Lecture ©Taipei Fine Arts Museum

市民活動とアート?
Q4 このような活動や市民への教育活動とアーティストの活動が相互に変化を与えあっていると思いますか?

WM 難しい質問ですが、アーティストは分野横断的に活動できると思っています。アーティストは大きく重要な課題について問いかけをおこないます。
一方でアクティビストやNGOは現実的なゴールをもち、質問への答えを求め、具体的な変化を起こすことをめざし、リサーチによるデータの収集、科学者との協働を通じた活動をしています。このように両者のコンビネーションが異なるので、当然アウトカムは変わってくるといえます。 
活動団体は一般の人びとと関係するためによりクリエイティブなアイディアが必要だと認識している。 その点でこの展覧会に参加して、多くの影響を受けているし、また一般の人びとの関心を広く集めることができたことに満足しています。
アーティストも深くリサーチをしなければならないが、なかなかむずかしく、表面的になってしまうこともある。一方で、NGOは深くリサーチをしており、その意味で多様な組織、団体に参加してもらい、これらの出会いはいいコンビネーションであり、互いに刺激となっています。

Q5 アーティストの創造性はソーシャル・ワークやコミュニティ・ムーブメント活動にとってどういう影響があるのでしょうか?ソーシャリー・エンゲイジド・アートのように、アーティストが社会や人びとと深く関わる場合、その存在がどのような違いをもたらすと思いますか?

WM 本展では準備期間も短かったので、本展のための「ソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)」を実施したわけではありません。SEAはプロセスが重要で長期間にわたる関係性の構築が必要になるので、展覧会という短期間でプロジェクトを実現するのはむずかしいのです。そのために、NGOも参加してもらい、さまざまなワークショップやツアーを日常的に展開し、現実的な社会的課題を展覧会に持ち込んだのです。

バンブー・カーテン・スタジオ(Bamboo Curtain Studio) ©Michiko Akiba
アーティスト・イン・レジデンスのスタジオ

MS 私は台北市の北部竹圍地区に設立したバンブー・カーテン・スタジオ(註)でウー・マリとともに20年余試行錯誤してきました。いくら科学者が説明をしようとしても、なかなか伝わらないことがあります。それを、アーティストの想像力によって人びとの心や意識に届けることが大事だと思っています。意識の変化には長い時間がかかりますが。

ウー・マリ+バンブー・カーテン・スタジオ《Art as Environment – A Cultural Action at the Plum Tree Creek (2009- ) 》©Bamboo Curtain Studio
Plum Tree Creekをたどるツアー(上), 朝食ミーティング(左下),Taipei MOCA 2013での展示(右下)

バンブー・カーテン・スタジオを拠点として実践している《Art as Environment – A Cultural Action at the Plum Tree Creek (2009- ) 》では周辺地域の急激な開発によって汚染された13キロメートルのプラムツリー・クリーク (樹梅坑渓)流域を対象に、専門家、住民、行政の間の協働をめざしアートで介入する活動を展開してきました。リサーチと対話を通じて、自分たちの身近な環境を知ること、そしてこの貴重な自然資源を自分たちのものとして再生させること。そのために教育プログラム、朝食ミーティング、学校とのコラボ、シアターなどのイベントを開催、できるだけ多くの人びとが参加して発言する機会を提供してきました。 最初流域住民は WM とのミーティングを待っている状態で、自発的でなく、その時だけの話で終わってしまっていた。私たちは活動をともに続けるが、最終的にはあなた方が気づいて活動しなくてはならない、というスタンスです。その結果、今では住民の受け身の姿勢も徐々に変わってきています。

WM アーティストがコミュニティと仕事をするとき、私たちはアーティストであり、建築家、科学者、政府でもない、資金を負担することもできない。クリエイティブな人は手助けをするが、問題に対してよりよい未来を実現するはあなた方自身。長期にわたって紡ぐことが大切、そこから自らのアクションを起こすこと、それによってドラスティックではないが、持続可能な活動になってほしいのです。

美的な価値?
Q6 アーティストが参加することによる美的な価値についてどう思いますか?

WM 私にとって美的という概念は倫理と一緒であるべきだと思っています。
すなわち、身体、意識が心地よいと感じることが美的であるということ。その意味でエコロジーはエステティックの一部なのだと思います。いわゆる従来型のファインアートやその美的な価値を批判はしないが、私が実践しているアート活動はコミュニティや人びととの対話や協働のプロセスがより重要で、エステティックを広い意味でとらえています。

美術館で展示すること? プロセスをフォームに
Q7 近年、マリさんが実践しているようなアート活動を美術館、美術界の文脈で展示することが増えていると思いますが、展示にあたってはどのようなむずかしさを感じますか?

WM & MS 《プラムツリー・クリーク・プロジェクト》は2012年の最も重要なプロジェクトとして台新芸術賞を受賞し、その結果「台北MOCA2013」に参加することになりました。《Plum Tree Creek Project》 のようなコミュニティと協働するSEAは美術館で展示する意図でやっているわけでないのに、美術館でアートとして展示しなくてはいけない。それはプロセスをなんらかのフォームにする必要があるということ。でもコミュニティが必要としているからやっているということをいつも心に留めなければいけないし、伝えなければならないのです。

ルアンサック・アヌワトウィモン《アントロポセン》
Ruangsak Anuwatwimon, Anthropocene, 2018, mixed media, dimensions variable. ©Taipei Fine Arts Museum


ルアンサック・アヌワトウィモン《アントロポセン》
Ruangsak Anuwatwimon, Anthropocene, 2018, mixed media, dimensions variable. ©Taipei Fine Arts Museum

本展に参加しているアーティストでも環境活動とアート界での展示のバランスをとっているアーティストもいる。例えば、タイ人のアーティスト、ルアンサック・アヌワトウィモン(Ruangsak Anuwatwimon)は、いつも「グリーンピース」のような環境活動団体とともに仕事をして情報収集、リサーチをしている。まわりからはアーティストというよりはアクティビストとして認知されているが、今回のビエンナーレでは、自らが集めた汚染された素材による作品を展示している。それは視覚的に美しい彫刻群のインスタレーションとその背後の壁面にはゴミ捨て場で汚染物質を集めるビデオが共存している作品です。

美術館がアクションへの発信基地?
Q8 この台北ビエンナーレでは美術館自体が対話と発信の場所になっていると思いますが、その意図や市民からの反応はどうですか?

WM 本展のように異なる分野を横断する創造的なプロジェクトを提示することによって、美術館はそれらを結びつける新たなプラットフォーム、知識の枠組み、そして創造的な生産の基盤へと変身することができると思ってます。《プラムツリー・クリーク・プロジェクト》のように、ここが新たなアート、プログラミング、リサーチを通じた、地域をめぐる相互コミュニケーションの接点として機能することを願っています。

地域コミュニティ、引いてはグローバルなレベルで美術館が異なる分野や組織間のコラボレーションを推進する発信基地になる可能性を問いたい。この意味で、美術館はホワイトキューブに完成された作品を展示する、地域から分離された空間だけではないという、美術館やその制度の新たなあり方をポジティブに問う機会ともなっています。

アーティストばかりでなく、市民活動団体、大学、都市計画家、建築家、NGOなどが参加した結果、ローカルで身近な課題が提示されることになり、いつもは美術館に行かない人が参加し、多くの若い人びとやファミリーが多様々な関心をもって訪れている。それによって美術館は高い壁ではない、地域や人びとと密接に関係しているというポジティブな反応が市や美術館に寄せられている。通常、現代美術の展示はわけがわからないという批判的な投書が多いが、今回は良い展覧会だったとの反応が多く、市も驚いている!(笑)

そのために毎週末多数のワークショップ、ガイドツアー、トーク、パフォーマンス、シンポジウムを開催しました。ビエンナーレはこのような体験やアウトリーチによってアートと現実をつなぐ機会となって今までとは全く違うイベントになっている。理解そして変化へとつながるということ。

徐々にではあるが、市民の関心が確実に高まっていることを実感しています。この展覧会には、学校の児童・生徒がクラス単位で訪れており、一般向けのガイドツアーもいつも満員になっている。ガイドからも非常に多くのポジティブな反響があると聞いているし、ボランティアも非常に熱心に自主学習をしています。

このように、地域の環境課題との関係性を扱うことによって、みんなが社会的な当事者であると再認識することが重要だと思っています。アートを通じて日常生活に根ざしたイッシューを自分自身の問題として関わること。アクションをおこすきっかけとなり実現に向かっての第一歩となること。それには、アートによって多分野を横断的につなぐ協働が今後ますます重要になってくるし、特にこのビエンナーレ後にその影響が着実に現れてくれることを期待しています。 

Q ありがとうございました!

ライラ・チンフイ・ファン(范欽慧)《ユアンシャン(円山)付近の風景:基隆河辺の静寂と騒音》
Laila Chin-Hui Fan, Scenery near Yuanshan: Silence and Commotion beside the Keelung River, 2018,sound installation,
5 min 51 sec. ©Taipei Fine Arts Museum
Left wall: Kuo Hsueh-Hu, Scenery near Yuanshan, 1928, gouache on silk, 94.5×188 cm. Collection of Taipei Fine Arts Museum


「円山サウンドスケープ」ガイドツアー Walking Tour: “A Guide Tour to the Yuanshan Soundscape,” led by Laila Chin-Hui Fan.
© Taipei Fine Arts Museum
(写真右)ツアーに同行してくれたイェン-イン・チェン氏(Yen-Ing Chen)と日本語での完璧な通訳ガイドをしてくれたビエンナーレ・ス
タッフ。

インタビュー翌日、ウー・マリ氏に薦められ、我々も実際に「円山サウンドスケープ(Yuanshan Soundscape)」のアーティストによるガイドツアーに参加してみた。ライラ・チン-フイ(Laila Chin-Hui)は子どものころから音を集めることに関心をもち、2015年に台湾サウンドスケープ協会(Soundscape Association of Taiwan)を設立、自然の音と地域の歴史の変遷を記録する活動をしている。この作品はビエンナーレ会場から徒歩圏の円山地区が舞台。90年前のどかな田舎の風景画からインスピレーションを得て、この絵が描かれた、日本統治時代の記憶を色濃く残す場所を歩きながら、当時のサウンドや現代の騒音を体験するツアー。
当日はあいにくの雨の中を2時間、場所の記憶と現代の風景の急激な変化をたどりながら急峻な山登りを含むハードなハイク。アーティスト、ボランティア(完璧な日本語スタッフも!)の熱意と、参加者みんなが熱心なことに驚いた!このような体験がウー・マリ氏の期待する、市民主体のアクションの第一歩になることを実感したツアーだった。

バンブー・カーテン・スタジオ(Bamboo Curtain Studio)にて
左からアイリス・ハン(Iris Hung) 、藤元、マーガレット・シウ(Margaret Shiu)、清水、秋葉、小澤、川口

(文/構成 清水裕子)


註1
バンブー・カーテン・スタジオ(Bamboo Curtain Studio )
バンブー・カーテン・スタジオはアートとコミュニティを結びつけ、環境の持続可能性を考える場所となっている。台北市北部、淡水河口に近い竹圍地区の養鶏場だった場所を、1995年Margaret Shiu(MS)がアーティストのスタジオ、展示スペースへと改装し、実験的な創作の場所とした。その後、台湾におけるアーティストインレジデンス(AIR)の先駆的存在として、国際的なアーティストの滞在、交流の中心地へと発展した。2007年より、台湾文化部がAIR支援をはじめ、MSはその政策策定にも尽力、東南アジアや日本のアーティストやAIR組織とも緊密な連携を図っている。
「クリエイティブな協働は変化への触媒」という思想にもとづき、近隣住民とともに周辺環境への認識と行動を喚起する対話のプロジェクト《Art as Environment – A Cultural Action at the Plum Tree Creek(台北市、樹梅坑渓、2009- 本文中参照)》を
継続的に実施している。現在はマネージングチームをつくり、ディレクターのアイリス・ハン氏(Iris Hung)を中心に、様々な環境活動や教育プログラムを周辺の学校と連携して実施、Bamboo Natural Parkでのプロジェクトの実施など、その活動の幅を拡げている。

註2
マーガレット・シウ Margaret Shiu
アーティスト、1995年バンブーカーテンスタジオ(Bamboo Garden Studio BCS)を創設。BCSにおいてアーティスト・イン・レジデンスを実施、国際的なアーティストの交流を支援する、台湾におけるアーティスト・イン・レジデンスの先駆者として、政府の政策づくりにも貢献している。ウー・マリ氏と立ち上げた《Art as Environment – A Cultural Action at the Plum Tree Creek (2009- ) 》をはじめとして、アートとコミュニティを結び、地域の持続可能性をともに考える活動を長期的に支援している。

註3
イェン-イン・チェン Yen-Ing Chen
台北ビエンナーレのウー・マリ氏アシスタント、ガイドブック及びカタログの編集長を務める。1997年から2004年まで台北市立美術館で展覧会を企画、その後Art & Collection Group の編集長、現在はフリーランス・エディターとして活動する。

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Borderのあわいをひらく
釜山ビエンナーレ、光州ビエンナーレの鑑賞に寄せて

今年度からオープンした釜山現代美術館


光州ビエンナーレのメイン会場となったアジア文化殿堂(Asian Cultural Center)

 
 2018年は、韓国にとって歴史的な年となった。軍事境界線、別名38度線の「Border」上に位置する板門店(パンムンジョム)で、文在寅大統領と北朝鮮の最高指導者である金正恩が握手を交わし、手を取り合いながら南北の国境を踏み越えたのである。10年半ぶりの南北首脳会談でのパフォーマンスは世界中に広がり、「朝鮮半島の非核化」宣言とともに人々の記憶に刻まれた。朝鮮戦争終結に向けたエピローグは、文字通り「分断を乗り越える」かたちで始まったと言える。朝鮮半島の融和に向けて未だ多くの問題が山積しているとはいえ、首脳同士が「終戦」を喚起するふるまいを披露したことは、人々に想像上の「終戦」を「真実」として導く活力を与えたのではないだろうか。

 この会談から半年後の2018年11月、筆者は釜山・光州で開催された釜山ビエンナーレ、光州ビエンナーレの鑑賞のために韓国を訪れた。両展はそれぞれ2001年、1995年から続く韓国の代表的な国際展である。前者は今年からオープンした釜山現代美術館に拠点を移し、公募制によって2名のアーティスティック・ディレクターを選出する新たな試みが行われた1。後者においても、北朝鮮のアーティスト集団「万寿台創作社」による作品——インフラ整備の大工事に従事する人々の姿等を通じて社会主義国家のイデオロギーを見事に表現する絵画が展示され、それぞれに今後の展覧会の方向性を左右する新しい動向が見られたと言える。
 また、今年はそれぞれ、「Divided We Stand(分断に立つ)」、「Imagined Borders(想像の境界)」というテーマが設けられた。どちらも朝鮮半島がたどった冷戦による分断をはじめとして、格差、ジェンダー、人種、国境といった、広範かつより複雑に展開される問題を意識し、歴史的・政治的Borderに正面から向き合う決意を感じさせるテーマだと言える。近くて遠い国とも形容される韓国を初めて訪れた筆者にとって、両展覧会はBorderの逆説的可能性、すなわち、あらゆる困難や断絶の象徴であるBorderが、一方でその存在によってオルタナティブな解決策や想像力を生み出す場としても機能しうることを雄弁に語っているように見えた。

 具体的な作品に言及する前にまず述べておきたいのは、両展覧会が、設立経緯やディレクション方針が全く異なるにも関わらず、Borderという同一のキーワードを採用しているという点である。
 「難解と見なされることの多い現代美術をひろく人々に紹介する場」となることをミッションに掲げる釜山ビエンナーレは2001年、表現メディアやアーティストの年齢、テーマがそれぞれ異なる展覧会2が組み合わさってできた、言わばハイブリットの展覧会である。
 一方、光州ビエンナーレの開始はその6年前、全斗煥の軍事政権によって引き起こされた光州事件(1980年)の末に民主主義政権を取り戻し、ようやくその政治責任を問うことのできる風潮になりつつあった時期である。「イデオロギー、領土、宗教、人種、文化、人間性、芸術の区分を超えて、地球市民としてのメッセージを伝える」3という方針のもと行われた第1回は、「Beyond the Borders(分断を超えて)」というテーマが打ち出された。30年以上続いた軍事政権のイメージを払拭するとともに、新たな民主的土壌のもとで「人間と美術との間に新たな関係性と秩序を打ち立てる」4第一歩として、展覧会は光州市民の熱烈な歓待5をもって開催されたという。その理念が現在にまで通底していることは、「Imagined Borders」というテーマ設定を見れば明らかだろう。

旧全南道(チョルラナムド)庁舎噴水広場を背に錦南路(クムナムノ)を臨む。光州事件において、全南道庁舎広場では市民の決起集会が開かれた。錦南路においては戒厳軍と市民が正面衝突し、多くの死傷者を出した。右手のビル壁面には、Nina Chanel Abneyの作品《Untitled》(2018)が展示されている。


錦南路での衝突を今に伝えるパネル。錦南路では、光州事件での出来事を伝えるパネルや石碑が散見された。


石碑と噴水広場の後方左手に現在も建つ旧全南道庁舎。


 こうした経緯を振り返った上で、釜山ビエンナーレディレクターのチェ・テマン(Choi Tae Man)による以下のステートメントは両展覧会に共通するBorderの役割を象徴しているようである。

  “本展の最も重要な目的は、民族国家のような共同体が生き残る上で創出し奨励した「団結」というスローガンを転覆させることです。20世紀において、世界は数々の分断や別離、分割統治、分裂を経験しました。植民地政策時代におけるこうした領土の分割は、先住民を追放し、あるいは支配のイデオロギーに追従する支配階級によって征服するという結果を招きました。第二次世界大戦後に始まった冷戦も、朝鮮戦争の勃発と朝鮮半島の分断を導いたのです。こうした身体的な分断と別離は、私たちの過去に作用するだけでなく、治ることのない傷跡となって次世代に伝わるでしょう。リクペロとハイザーが本ビエンナーレを通じて焦点を当てるのは、特定の地域や国に限らず、世界全体が経験する悲劇的遺産としての「トラウマ」です。すなわち、冷戦が「ポスト冷戦」としてその幕引きを行なって以来、釜山ビエンナーレは「冷戦へ戻る」試みを行なっているのです。(…)
 アーティストによって描かれた新たな「分断の精神的領土」を通じて、私たちはより柔軟に、真の社会的困難を生き抜くことができるのではないでしょうか。その意味において、「分断に立つ」という展覧会は、社会的困難が生み出した排除を乗り越え、沈黙のベールを取り去る意志を表しているのです。6

 コミュニティの頂点に立つ権力者が自らを存続させるために唱えた「団結」の欺瞞を批判し、彼らにとって死を意味した「分断」に潜む記憶をすくい上げようというこのステートメントは、大胆で力強い。同時にそれは、冷戦の勃発から今日の南北会談にまで連綿と続く分断のトラウマを受け入れるという、痛みを伴う行為でもある。チェは、これまで幾度となく繰り返されてきた統一/離散の予定調和的未来に回帰しないために、Borderをカタストロフとしてではなく、あらゆる想像力や解決策を導くこともできる諸刃の剣として解釈することを選んだのではないだろうか。おそらく、光州事件にルーツを持つ光州ビエンナーレもまた、こうしたスタンスのもとにBorderのテーマに立ち返ったのだろう。

YOO Yeun Bok & KIM Yongtae《Echo-DMZ》(2018)


 展覧会会場を歩いていると何度も目にするのが「非武装中立地帯(DMZ)」の文字である。冒頭に取り上げた軍事境界線を細いペンで引いた線に例えると、その線をなぞる太いラインマーカーのように、軍事境界線の南北に沿って続く幅約2kmの中立地帯だ。ほとんどの人が足を踏み入れることはおろか、メディアでもあまり目にすることの少ない領域であり、筆者自身、ビエンナーレのテーマに取り上げられるまで、極めて曖昧なイメージを抱いていた。ややもすると、朝鮮半島を真っ二つに分断する、抽象的な二次元の曲線を思い浮かべる人さえいるかもしれない。

Adrian Viller Rojas 《The War of the Stars》(2018)


 アドリアン・ビジャール・ロハスの《The War of the Stars》(2018年)は、DMZ内に存在する村に暮らす人々の風景を、異国情緒を感じさせる鮮やかな色彩で撮影した作品である。
 光州ビエンナーレのメイン会場、アジア文化殿堂(ACC)に入ると4階建のビルほどの天井高を備えた、コンクリート造りの薄暗いホール。ぽっかりと空いたボイドの真ん中に、一枚のスクリーンが屹立している。そこには、韓国の小村の日常風景――鮮やかな植物の花果に虫たちが群がる情景、老若男女の聖歌隊が合唱を楽しむ様子、寺の僧侶が暇を持て余しながら山門に佇む姿、家畜を殺して煮込み料理をこしらえながら談笑する主婦たち等――が静かに映されてゆく。軍事訓練によって引き起こされる「地震」を予告する屋外アナウンスが流れるまで、鑑賞者は彼らが戦時下の日常に生きる人々であることに気づかないだろう。断片的に投影される(非)日常は、一方で、日本における米軍機の低空飛行や騒音のように、忙しないルーティーンの中の小さなノイズとして埋もれてしまうようなささやかさをたたえている。
 光州市に建つ空っぽのホール/ホールの中でスクリーンを見る鑑賞者/鑑賞者の網膜に投影されるDMZの日々という入れ子状のスケールを経由すると、「星々の戦争」は切迫した臨場感と引き換えに、どこかSF映画のような悠然とした風格を与えられる。前線に近接し、戦争と並存する「近くて遠い」日常を外部と隔絶されたボイド空間に置き換えることで、半世紀という膨大な時間のなかに埋もれつつある戦争の狂気をあぶり出してみせているかのようである。

KWON Hayoun《489 Years》(2016)


 釜山ビエンナーレ会場で鑑賞したクォン・ハユンの《489 Years》(2016年)は、DMZに足を踏み入れたことのある元韓国軍兵士が自身の体験を語るナレーションと、その体験に基づきクォンが作成したVRを組み合わせた映像作品である。本作品のTrailerがYouTubeで鑑賞できるので、ぜひ一度覗いてみてほしい。7
 作品の冒頭、バリケードや二重門をくぐり抜けた男の視点が突如、地平線の下方へ潜り込み、砂利道の下から夕暮れに染まった美しいDMZの風景を見上げるという印象的なシーンがある。
 「日没あるいはその時刻を過ぎた頃に入るきまりでした。(…)そこはまるで自然の楽園のようでした」

KWON Hayoun《489 Years》(2016)


KWON Hayoun《489 Years》(2016)


 しかし、地下から見上げる「楽園」の光景は、砂利道が石膏ボードのように脆く崩れかけていたり、木々や巨岩がぽつぽつと散りばめられていたりして、レゴブロックで作られた世界のようにキッチュだ。地上と地下、地平線を隔てたパラレルワールドは一体どちらか?
 不安になるころに視線が浮上すると、そこはいつの間にかイノシシが闊歩し、鈴虫が鳴き、川が流れる奥深い森へと変貌している。
 つまりこのシーンには、人間が人工的に管理する中立地帯、無数に仕掛けられた地雷によって生まれた自然と動物の楽園、そしてその二つの世界のあわいが、一本の地平線のもとでせめぎ合っているのである。クォンはそのすべてを絶妙に真実「らしく」、しかしどこかキッチュな楽園の裂け目を見せることで、架空のリアリティを演出する。元兵士を除いたほとんどすべての鑑賞者がDMZに足を踏み入れたことがないにも関わらず、思わず「リアルだ」と言ってしまいたくなるような、アイロニカルな幻視の引力がそこにはある。当事者の証言によるリアリティと、アーティストによって創作された「もっともらしい」リアリティの統合・反転・撹乱によってBorderが「再現」され、現実と空想の不可逆的力学を麻痺させているのである。

 この二つの作品は、Borderに影響を受けた人々の境遇やその記憶に着目し、政治的・社会的問題を逆照射するという手法において共通している。これは、両展覧会の他作品にも散見される特徴である。
 しかし、それらの中核にあるのは「反戦」や「統一」といったクリシェではなく、むしろDMZに代表されるBorderがこれまでに抱え続けてきた「トラウマ」や葛藤、矛盾、あるいは未分化の記憶のようなものだろう。それは南北の首脳たちが、上述したアーティストたちが、朝鮮半島が今ふたたび向き合おうとしているBorderの遺産に通底している。両ビエンナーレはこうした遺産を逆説的可能性として掬い上げ、二項対立の「あわい」にある未来を、私たちに提起しているのではないだろうか。
(文/写真:高橋ひかり)


1. 2006年の光州ビエンナーレコミッショナーを務めたインディペンデント・キュレーターのクリスティーナ・リクペロと、ロンドン発のアートマガジン『frieze』の元編集者であり、現在ベルリン自由大学で教鞭をとるヨルグ・ハイザーの2名が選出された。
2. The Busan Youth Biennale、The Sea Art Festival、The Busan International Outdoor Sculpture Exhibitionの3つ。
3. 光州ビエンナーレ公式ホームページより。https://www.gwangjubiennale.org/en/biennale/past/50.do
4. 同上。
5. 草原真知子「光州ビエンナーレ1995」http://www.f.waseda.jp/kusahara/kwanjubiennale.html
6. 釜山ビエンナーレ2018公式カタログ、P6(試訳)。
7. 「489 Years|Trailer」https://youtu.be/Qad-hmC4t7M

高橋 ひかり(Hikari Takahashi)
1995年神奈川県生まれ。武蔵野美術大学芸術文化学科卒業。在学時より絵画制作・執筆活動を開始。ART TRACE Gallery、ギャラリイKにおける個展・グループ展、NPO法人アート&ソサイエティ研究センターインターン、藍画廊スタッフを経て、現在アートセンター職員。最近の記事に、「S.O.S.レポート『オルタナティブ・スペースが還るとき』」、「Watershed Conspiring Things “Might Be Possible”(“あり得るかもしれない”を共謀する分水嶺)」『S.O.S. BOOK 2018』Super Open Studio NETWORK、2018年など。

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彫刻に寄り添う時代へ
宇部とミュンスターを訪れて

UBEビエンナーレ会場風景 – ときわ公園内

1.はじめに

全国各地には、地元市民が主体となって身近な彫刻作品の維持活用をする活動が存在している。それらの活動は主に、1960年頃以降から各地公共空間で増加した彫刻の設置事業の後、彫刻の維持活用を趣旨とした市民グループが行政主導で形成されたケースが多い。私はその中でも立川市の市民グループであるファーレ倶楽部に所属しており、その他にも札幌、仙台、府中、清瀬、小平、大分などの活動に加わり、現地の彫刻作品に触れる機会を頂いてきた。いずれの作品も、私自身が生まれた頃か生まれる前に設置された彫刻作品ばかりであり、それらの作品の環境や市民活動、管理体制、設置の歴史もそれぞれの在り方があることを知った。そこには、専門家の中で彫刻が「彫刻公害」や「負の遺産」と揶揄された時代を越え、具体的な市民のコミュニティが洗浄やメンテナンスという活動を通して自身の街の彫刻に価値を感じている、という彫刻と市民との関係がそれぞれに築かれていた。筆者が訪れた地域の中でも、下記のグループは市民が主体的に屋外作品のメンテナンスの方法を作成し、学芸員や地元作家、修復家から専門的なアドバイスを受け定期的な活動を継続している。

札幌—札幌彫刻美術館友の会
仙台—彫刻のあるまちづくり応援隊
立川—ファーレ倶楽部
清瀬—キヨセケヤキロードギャラリーきれいにし隊
宇部—うべ彫刻ファン倶楽部

勿論、各地に多数設置された屋外の彫刻作品は様々な要因により破損や撤去の可能性を持ち合わせており、すべてが維持に十分な環境にはあり得ていない。もはや維持管理の問題は、現状の作品数の多さや素材の複雑性・専門性を考慮しても、上記のような市民のコミュニティや彫刻家ら専門家が、行政と連携して注視していかなければならない課題では無いだろうか。

そこで、昨年から今年にかけて宇部市のUBEビエンナーレとドイツのミュンスター彫刻プロジェクトに対し、現地取材する機会があった。双方ともに、芸術祭の開催とともに公共空間に彫刻作品を現在も残し続けている国内外の代表的なプロジェクトである。私はインタビューのみでなく、できるだけ多くの作品を鑑賞しようと市内を歩き回り、それぞれの街がその作品を維持してきたというエネルギーを現地で実感した。このレポートはUBEビエンナーレ2017とミュンスター彫刻プロジェクト2017の展覧会についてではなく、1960年代から急速に広がった屋外における彫刻作品の設置事業は今までどのように地域と寄り添ってきたのかについて、宇部市とミュンスター市の事例から、現地でこそ実感した大きな違いを踏まえて取材の内容を書き留めていく。

2.UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)

UBEビエンナーレは1961年から山口県宇部市の常盤公園で開催されているビエンナーレ形式の彫刻展である。1958年の戦後の混乱期(公害問題や空襲被害)の中で、緑化運動の予算の一部で購入されたEtienne Maurice Falconet の<ゆあみする女>(模造)が宇部新川駅前に設置されたことで、彫刻が駅を使用する市民の心を和ませた影響から「宇部を彫刻で飾る運動」が始まる。当時については美術評論家の柳生不二雄、竹田直樹らの調査に詳しいが、「宇部を彫刻で飾る運動」に参画していた当時の宇部市立図書館館長岩城二郎が、土方定一に助言を得たことで具体的に野外彫刻展が始まった。その後岩城や土方の他、当時の星出寿雄宇部市長ら行政関係者や柳原義達、向井良吉といった彫刻家、計16名が「宇部を彫刻で飾る運動」の中央運営委員として組織される。そして1961年から現代日本彫刻展(のちにUBEビエンナーレに改名)を2年に1度開催し、現在まで毎回の入賞作品を市のコレクションとして市内に設置し続けている。入賞審査には美術評論家、作家、宇部市市長などによって選考委員会が組織されており事前に公表がされている。 (屋内外のコレクション作品総数は400点を超え、屋外でも182点の彫刻作品を所有するに至る。)

Etienne Maurice Falconet <ゆあみする女(模造)>

現在、宇部市はビエンナーレの実施とともに、公園整備局の管轄のもとビエンナーレのアーカイブ、教育普及、広報事業が推進されている他、市民グループの「うべ彫刻ファン倶楽部」、「宇部市ふるさとコンパニオンの会」、「UBEビエンナーレ世界一達成市民委員会」の活動によって、市内の彫刻作品は維持活用されている。私は今回、宇部市渡辺翁記念会館・文化会館の山本麻紀子館長、宇部市文化創造財団の田中真由美さんに大変お世話になり、UBEビエンナーレの運営をされるときわミュージアムの学芸員である山本容資さん、また上記の3組の市民グループの皆様をご紹介頂いた。残念ながら、皆さんが一同に参加される彫刻メンテナンスの日に訪れることが出来たものの雨天により作業は中止となってしまったが、皆さんの温かいご対応によりそれぞれにお話を伺う機会を設けて頂いた。

半年に1度作品のメンテナンスを行う「うべ彫刻ファン倶楽部」、また作品のガイドを行う「宇部市ふるさとコンパニオンの会」は、それぞれの参加者に対し、直に作品に触り親しんでもらうことを重要視しているというお話が印象的だった。私は次回のメンテナンスこそ参加させてもらう予定だが、宇部市の彫刻が屋外の環境で年月を経てどのような変化を起こしたのかを実感することは、そのような機会に直接作品に触れることが大切なのだろうと思う。また「UBEビエンナーレ世界一達成市民委員会」の田村委員長は、「今後もUBEビエンナーレに入賞された作家さんに、入賞したことを誇りに思ってもらえ続けられると良い。」と話す。UBEビエンナーレやコレクション作品に関わる地元市民の皆さんから直接お話を聞けたことは本当に貴重だった。何より市民としての作品に対する熱量を感じさせて頂き、危うくそれのみで今回の取材に満足してしまいそうなほどだった。前回のメンテナンスには250名ほどの参加者が集まり、学芸員によって作業記録が取られているとのことだが、国内で最も歴史を持つ野外彫刻展のコレクション作品は、専門的な学芸員と大勢の地元住民とともに時を送り寄り添い合う体制の中にあることは間違いないだろう。なお、うべ彫刻ファン倶楽部のメンテナンス活動は2008年よりこれまで21回実施(21回目は雨天中止)されており、各回20点ほどのメンテナンスを行っている。作業内容こそ公表はしかねるが毎回作成されるマニュアルには、作品ごとに薬品が使い分けられるほど詳細な行程が見て取れる。

宇部市ふるさとコンパニオンの会、ツアーガイド下見の様子

3.ミュンスター彫刻プロジェクト

1977年から10年に1度、ドイツのミュンスターで開かれている国際的な野外彫刻展。現在でこそ世界的な認知がある彫刻展だが、1977年の初回は主にミュンスター市民への教育的意図を持つものだった。1976年、アメリカ人の彫刻家であるGeorge Rickeyの作品が市に寄贈されたことで世界大戦のトラウマを持った市民の中に議論を生んだことが、地元の州立美術館のキュレーターであったKlaus Bussmannに展覧会の必要性を感じさせた。Klausはそのような発端で現在も彫刻展のディレクターを務めるKasper Königとミュンスター彫刻プロジェクトを開始するものの、当初は長期的な計画を持っているわけではなかったという。

当時の行政が経済利益を理由に、カッセルで開かれる芸術祭「ドクメンタ」と同じ5年間隔、同年の開催を提案したところKasperは反対し、10年に1度というペースが彫刻と社会の関係また彫刻自身の変化を感じる上で適当と主張する。私は今回の開催で初めてミュンスターを訪れたが、この趣旨に共感しとにかく多くの作品に触れ、10年後の開催に向けてひたすら写真に収めた。出品作品とパブリックコレクションを含め70点以上の作品を鑑賞したが、観光者向けの自転車のレンタルサービスと、スマートフォン用のマップアプリがなければこれらの半分程度しかまわれなかっただろうと思う。(2017年の今回で第5回開催となるが、1977年に3点、1987年に21点、1997年に8点、2007年に7点の出品作品がミュンスター市によって購入、屋外に常設設置がされている。) 尚、ミュンスター市へパブリックコレクションの維持管理について取材をしたところ、パブリックコレクションは彫刻展の出品作品から専門家や市議会の関与を通して選出され、ミュンスター市によって体系的に管理されており必要に応じて年に1-4回の点検が行われているという。その点検で発覚したものかは不明だが、Martha roslerの2007年出品作品“Unsettling the Fragments(Eagle)”が偶然修復中であった。また、コレクションは都市計画、都市開発の中で重要な機能を果たしてきたとのことだ。

Martha rosler

ミュンスター彫刻プロジェクトは、前述した発端のエピソードを背景に一貫して「芸術と公共性」というテーマを持ち個々にメッセージ性を持つ作品が多い。地元の共有庭園の利用者に毎日綴らせた日記を展示するJeremy Dellerや、過去の保守的イメージが特徴的なミュンスターの街中でタトゥーショップを開くMichael Smith、反核デモの指導者Paul Wulfの像を製作したSlike Wagnerらの作品は特に印象に残った。これらの作品は実際に地元住民の参加によって成立しており、特に2007年製作のSlike Wagnerの作品は2017年までのPaul Wulfに関連した新聞記事が重ねて貼り付けられていることで成立している。一方で重要なことは、Kasperはいわゆる「街が美術館になる」ことに反対しており、彫刻展の前提として作品が永久的に存在しうる場所になってはいけないことを意味し、出品作家には作品の要素として時間性を重んじている。これは、上記の3名の作品もある一定の時間に生まれたものだからこそ価値を有している作品であるものだととらえて良いだろう。つまり今回のポイントとして、芸術と公共性を主題とした作品を観客に見せる彫刻展の主催側と、恒久的な常設作品を購入する行政側のスタンスは明らかに違うことが分かる。

 

4.まとめ

宇部市とミュンスター市においては、彫刻が公共空間に設置される経緯が彫刻展の主催者と彫刻の購入者(管理者)の関係を見ても異なることは確かである。それは、宇部市の「ゆあみする女」に期待を寄せた当時の行政/市民に呼応した土方定一と、“Three rotating squares”を問題視した市民を納得させることを試みたKlausとKasperの存在から大きく異なる方向性を持っていたように思う。さらには、第二次大戦の敗戦を経験した2つの地域であるにも関わらず、きっかけとなる彫刻への反応が双方で異なるという視点も可能だろう。

その他にも国内外の野外彫刻展を比較し、関連の市民コミュニティの有無や行政と主催者の関係など、異なることが多いことが分かった。しかし、宇部の市民が作品に直に触り維持をしながら親しんでいることと、ミュンスターのKasperが彫刻展の間隔にこだわりを持つことに共通するものを感じた。触れるだけでなく定期的に洗浄やメンテナンスという形で作品を深く観察し続けることも、10年という長い間隔で彫刻展が開かれることも、時間や環境とともに変化をする彫刻に人が関わるということなのだと再認識することが出来る。

Kasperと筆者

今回の2度の旅を通して、公共空間に設置された彫刻とは野外彫刻の一出品作品である前に、都市開発やまちづくりの要素である前に、作家によって作られた、私たちの生活と同じ次元で日々変化をする具体的な素材や概念的な要素によって構成された「作品」であると強く思わせられた。彫刻に寄り添うということは、彫刻の変化を感じ尊重することであり、その上で維持活用のような活動はされるべきなのだろうと思う。次回のうべ彫刻ファン倶楽部のメンテナンス活動と、10年後のミュンスター彫刻プロジェクトには必ず参加したい。

(文:高嶋直人)


高嶋直人 (Naoto Takashima)
1990年生まれ。静岡県出身。武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科卒業。同大学造形学部彫刻学科黒川研究室清水多嘉示研究研究員。都内の他、札幌や仙台など各地の屋外彫刻やパブリックアートについて、市民活動の実践を交えながら作品の状態や活用方法などの調査を行う。ファーレ立川プロジェクトボランティアグループ、「ファーレ倶楽部」会員。屋外彫刻調査保存研究会運営委員。

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バルカン半島の要所にあるブルガリア
―その文化とアートについて―

ブルガリアと聞いて、何を思い浮かべるだろうか。
…まずはヨーグルトであろう。または、相撲の琴欧州関だろうか。
私も上記のようなイメージを持って2017年7月にブルガリアに来た。早いもので、もうすぐ半年が経とうとしているわけだが、今まで感じてきたリアルなブルガリアについて述べていきたいと思う。

―文化―

首都ソフィアで有名なビトシャストリート。奥に見えるのがビトシャ山。この山はソフィアのシンボルであり、街を歩いていると見ない日はない。


ブルガリアは自然豊かな国である。
ブルガリア人にとって、山や森は身近に存在するものであり、例えばことわざを見ると人と自然の関係性の近さがよく分かる。ここで一つ有名なことわざを紹介したいと思う。
「Сговорна дружина планина повдига」
(協力し合うグループは山をも持ち上げることができる)
それに伴って農業や酪農も盛んであり、ブルガリアの伝統的な料理には日本では見慣れない羊のチーズや野菜をふんだんに使った料理が多い。

また、ブルガリア人は踊ることが大好きである。みんなで集まって食事をしている時などにブルガリアの伝統的な曲が流れると、民族舞踊の「ホロ」が始まる。手を繋いで列をなし、音楽に合わせてステップを刻む。簡単なステップなので、私も何回か参加したことがあるが、どうも照れてしまう。

さらに、今ブルガリアは観光業に力を入れており、特に遺跡の発掘に力を入れている。
 
さて、ブルガリアはその地理的条件から、様々な異文化が混ざったところでもある。
それが顕著に表れているのが宗教ではないだろうか。
イスラム教のモスク、ブルガリア正教の教会「アレクサンダー・ネフスキー寺院」、ユダヤ教のシナゴークは徒歩15分圏内ところのにあり、多様性の尊重を感じる。
また、ブルガリア人の約80%がブルガリア正教会なわけだが、1988年に世界遺産に登録されたブルガリア正教の修道院「リラ修道院」は圧巻である。

イスラム教のモスク、ブルガリア正教の教会「アレクサンダー・ネフスキー寺院」、ユダヤ教のシナゴーク。


リラ修道院

―アート―

1.ブルガリアの歴史
まず、ブルガリアのアートについて述べる前に、ブルガリアの歴史について簡単に説明したい。

ブルガリアは、1946年ソビエト連邦の衛星国家になり、1989年一連の東欧革命によってブルガリアでも民主化運動が高まり、当時の国家元首であったジフコフ政権は退陣に追い込まれ、1990年「ブルガリア共和国」と国名を改め、社会主義国家から民主主義国家へと移行した。
この移行期は、社会主義時代よりも経済が悪化し、人々の生活は困窮していった。その後、徐々に建て直していき、ヨーロッパの中では貧国でありながらも、2007年にはEUへと加盟した。

2.アートの歴史
さて、この知識を踏まえた上で、ブルガリアのアートについて述べていきたいと思う。

1946年から1990年までの社会主義時代を、ブルガリアのアート界にとって、孤立、停滞、抑圧の時代と考える人は多い。そんな中でも、民主化運動が起き始める少し前から、芸術家たちの中で社会主義に対する反抗と革新の動きが出始める。
そして、民主主義国家になった後は、国が事実上崩壊し生活が苦しいにも関わらず、ブルガリアのアーティストにとっては、自由を獲得しこれからブルガリアのアート界を変革していくという情熱に溢れていた。
その後、20世紀に入りインターネットなどのメディアの発達やEUの加盟により、ブルガリアのアート界はよりグローバルになっていく。と同時に、より自由と豊かさを求めて、ブルガリアを出るアーティストも増えていった。

3.「XXL」と現在
さて、ブルガリアのアートについて語る上で、欠かせない存在は「XXL」というグループであろう。
このグループは、1994年から2003年まで活発に活動していた若いアーティスト集団である。彼らは、ブルガリアのアート界に新しい風を通し、革新的で、アート界だけでなく一般の人々にも大きな影響を与えた。
しかし、2003年にこのアーティストが籍を置いていたギャラリーXXLが、政治的な理由で閉鎖されると、何人かはブルガリアに残り、何人かはアメリカへと旅立っていった。

そして、現在2017年11月28日から2018年2月18日までThe National GalleryでXXLの展覧会「PAST AND PRESENT OF COUNTERCULTURE NARRATIVE」が行われている。

写真提供:Wikipedia


当時20代だった彼らも、現在は大半が50代になりつつある。
そんな彼らの昔の作品と現在の作品が展示されている。今回は、8人のアーティストの作品が展示されていたが、中でもHuben Tcherkelov(Huben
R.T)とGenadi Gatevの現在の作品を紹介したいと思う。
まずは、Huben Tcherkelov(Huben R.T)である。彼は、2000年からアメリカのニューヨークに移住し、現在までアメリカを拠点に活動している。2011年にはヴェネチア芸術祭のブルガリアパビリオンに作品が展示された。彼の最近の作品は、世界各国の紙幣を題材にしたものが多い。2017年のインタビューの中でこのように答えている。
「私は、国のアイデンティティーと力を伝えるものとしての、通貨が持つ価値を見出そうとしています。国と通貨は一体のものだと考えています。現在、ビットコインなどの仮想通貨が登場し、金融の世界は変わりつつあります。そんな中で、通貨によって確立された国のアイデンティティーは将来どのように表されるのか、また仮想通貨が紙幣に取って代わった時、私達はどのように国のアイデンティティーを確立していくのか、私は疑問に思います」

2015年に制作された「10 Euro」

2014年に流通開始となった10ユーロの新紙幣が題材になっておりこの紙幣は傾けると、シルバーのホログラム(見る角度によって像が浮かぶ図柄)によって見えなかった、エウロペ(Europaの名前の由来になった人物)の肖像画が見える。
この作品を見ながら、ユーロを採用している多くのEU加盟国は、国としてのアイデンティティーを表わすものを失ってしまったのか。それとも、新たにEUという一つの連帯のアイデンティティーを獲得することができたのか。紙幣という新たな点からアイデンティティーを考えるきっかけとなった。
次に、Genadi Gatevである。彼は、既に確立された文化、社会、政治的な規範に対して疑問を呈し、作品の中で日々の生活とそれらの規範の間に存在する対立について取り上げている。
現在ブルガリアに住んでおり、情報収集をしていると、彼がArosita galleryで2017年12月22日から2018年1月17日まで「Y-DNA Haplogroups」という個展を開くという情報を得たので、早速行ってきた。

今回の個展やThe National GalleryではY染色体ハプログループの色を題材にした作品が展示されている。

Genadi Gatev 本人

Genadi氏に今回の個展について聞いてみたところ「現在、国境線はもはや意味をなしていなく、国はY染色体ハプログループの色によってのみ表わされている。それによって、隠れていた国家の違い・社会的行動の違いがビジュアル化される。」と話していた。
今回取り上げたアーティストが、同時期にアイデンティティーをテーマにした作品を制作していたことが非常に興味深かった。

2018年7月まで留学生活。引き続きブルガリアのアートについて学んでいきたいと思う。
また学ぶだけでなく、日本人だからこそ気づくこと・できることを考え、少しでもブルガリアのアートに貢献することを目標に頑張っていきたい。

(文/写真:菊池弘美)



参考文献|Весела Кожарска 2018
「ВЪВЕДЕНИЕ В БЪЛГАРСКОТО СЪВРЕМЕННО ИЗКУСТОВО(1982-2015)」
「I am not an elitist artist」2012 EUROPOST

 
菊池 弘美(Kikuchi Hiromi)
創価大学経済学部3年。アートマネージメントに興味があり、2017年2月に開催された「ソーシャリー・エンゲイジド・アート展」にボランティアとして参加、また同年7月に創価大学で「Before I die I want to…」プロジェクトを実施。留学先では、現在Credo Bonum Galleryでインターンをしており、「挑戦」をモットーに精力的に活動中。

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|ヨコハマトリエンナーレ2017|
オラファー・エリアソン《Green light―アーティスティック・ワークショップ》


〈グリーンライト〉が形成する「we-ness(私たち感)」

1)《Green light―アーティスティック・ワークショップ》後の会場


1 社会に関わるアートの祭典 〜 ヨコハマトリエンナーレ2017 島と星座とガラパゴス 「接続」と「孤立」をテーマに、世界のいまを考える
 ヨコハマトリエンナーレ2017は、「島と星座とガラパゴス-接続と孤立」をテーマに、2017年8月から11月まで、横浜美術館、横浜赤レンガ倉庫1号館、横浜市開港記念会館を主会場として行われている。その運営は、一人のディレクターをおかず、三木あき子ら3人の共同ディレクションである。また、トリエンナーレの構想は、養老孟司、鷲田清一、リクリット・ティラヴァーニャ、スプツニ子!など、それぞれ異分野で日本を代表する知識人やアーティスト、海外のアートディレクターなど、7人の構想会議のメンバーによって行われている。会期前から会期中にかけて、様々なゲストを招いたトークセッションであるヨコハマラウンド等、たくさんのイベントが行われる。総じてこのトリエンナーレ自体が協働的な作業の成果であり、一つの焦点を結ばない多中心的で多義的な構造となっている。今、日本は毎年たくさんの国際展が行われる状況にあるが、日本における国際展の草分けとしてのヨコハマトリエンナーレは、単にアートの祭典ではなく、広く現在の日本の状況を反映し、そこでの様々な社会的課題を取り上げたものとなっている。特徴的なのは、横浜美術館のファサードを飾るアイ・ウェイウェイの難民の救命胴衣やゴムボートの作品が象徴するように、社会と関わるアートを前面に出していることである。

 横浜美術館館長でディレクターズの一人逢坂は、今回のトリエンナーレのキーワードとして、「孤立した人々をつなぐ」「伝統と現代をつなぐ」「横浜の歴史、世界の歴史を複数の視点で読み解く」「異文化の混交」「意外な接続」「国家、土地、所有、境界」「震災、福島、記憶」「個と集団」「個人史と接続」の九つをあげている。数多くの出品作品をそれらのキーワードで観ていくとよいだろう。

2) 展示室の様子

福島第一原発事故を扱ったDon’t follow the windや川久保ジョイ、東日本大震災を扱った畠山直哉や瀬尾夏美、戦争の歴史を扱ったワエル・シャウキー、ブルームバーグ&チャナリン等、興味深い作品は多数あるが、ここでは、オラファー・エリアソンの《Green light―アーティスティック・ワークショップ》を紹介する。ヨーロッパの難民問題を契機に2015年から構想されたこのプロジェクトは、2016年からウィーン、ヒューストン、ヴェネチアで行われている。横浜でも会期中に何度かワークショップが行われ、展示だけでなくその全体が今回のトリエンナーレの作品となる。

2 ワークショップとは
 この分野のパイオニアである中野によれば、「ワークショップ」という語は、もともと「仕事場、作業場」の意味であり、演劇や美術、まちづくりなどの分野で様々な実践が行われてきており、「講義など一方的な知識伝達のスタイルではなく、参加者が自ら参加・体験して共同で何かを学びあったり創り出したりする学びと創造のスタイル」であるとまとめている。そこでは、「参加」「体験」「グループ」がキーワードであり、参加者同士の相互作用や多様性の中で、双方向的、包括的に学習と創造が目指される。ワークショップは、教育におけるアクティブ・ラーニングの動向とも関連し、現在各方面で盛んに行われている。

3 《Green light―アーティスティック・ワークショップ》
 実際そこでは、何がおこなわれているだろうか。ウィーンやヴェネチアでは、難民の方がスタジオ・オラファー・エリアソンのスタッフや地元のボランティアとともに緑に輝くランプ〈グリーンライト〉を作る作業に携わった。完成した〈グリーンライト〉は、250ユーロで販売され、その収益は全額難民支援に当てられる。ワークショップではランプの製作だけでなく「Shared Learning(共有された学び)」が行われる。その国の言語の習得(ウィーンならドイツ語、ヴェネチアならイタリア語)、身体表現、音楽、スポーツ、セラピストによるカウンセリング等の複合的な内容で、コミュニティに溶け込むことを目指す。ワークショップでの学び合いは双方向的で、教師と生徒という関係ではなく、全員が教え、学ぶ立場にあり、難民と支援者との双方向的で対等な関係を目指す。

3) 理解講座

 横浜ではShared Learningは、難民を助ける会や難民支援協会、移民の若者支援組織kuriya等の協力を得て、「理解講座」として8月から9月に行われている。トリエンナーレのサイトで募集された参加者は、理解講座を通してシリアの難民問題や、難民を受け入れる地域の立場で考えるワークを行い、日本で生活する移民の若者達のライフヒストリーを学んだ。10月にも意欲的なワークショップの企画が予定されている。

4 グリーンライト
 〈グリーンライト〉は、オラファー・エリアソンの長年の友人で共同研究者であったアイスランドの
建築家・数学者エイナール・トルシュタインの長年の研究成果から生まれた十二面の幾何形態である。 重なる二つの立方体を想定し、頂点を通る対称軸で回転してずらしていき、互いの立方体の二つの面が 交わる際にできる二本の稜が黄金比で分けられるところでカットした形態である。ランプは、18本の三 角材と8つのプラスチックジョイントからなる。三角材の表面は緑の染料でグラデーションに彩られた ものや白木のもの 3 パターンある。角材の内側はLEDの光を反射するよう白い塗料で塗られている。そ の内部には、緑と白どちらかの色の糸が、外形と呼応するリズミカルなパターンで張られており、優美 な形態を見せる。その美しさは、グリーンのLEDを入れることで一層際立つ。

4) グリーンライトに至る探究の過程の模型



 Green lightは「青信号」の意味である。緑に光るランプは、様々な苦難を体験している難民を受け入れる歓迎の気持ちを表し、自由や希望の象徴でもある。単体でも美しい〈グリーンライト〉だが、複数を組み合わせることで複合的な形態に発展していき、多様なアレンジが可能である。組み合わされた〈グリーンライト〉の総体としての形の展開の複雑さや意外さ、そしてそれでもなお統一感を失わない全体の形態は、異なる背景を持つ個人個人が集まり、多様さを保ちながら調和するインクルーシブなコミュニティという構想の最適なメタファーとなる。

5) グリーンライト(LED装着前)



5 「we-ness(私たち感)」とは
 ヨコハマトリエンナーレに寄せたビデオメッセージの中でオラファーは《Green light―アーティスティック・ワークショップ》が「包摂」をテーマとしており、強制移住、難民、周縁化された人々、強制移動、社会から排除された人々の問題に向けたプロジェクトであることを説明している。ここで繰り返し用いられるのが「we-ness(私たち感)」という言葉である。このwe-nessとはなんだろうか。オラファー・エリアソンはウィーンの文化財団TBA21が企画したイベントで、コペンハーゲンにある名門オーフス大学の人類学者・生物学者アンドレアス・ロストーフと対談している。ロストーフはこの中で、心理学の最新トピックであるwe-modeについて語っている。ロストーフの同僚で共同研究者である哲学者ガロッティと脳神経科学者フリスが提唱したwe-modeは、人間の個体の認知を個体間に拡大する革新的な概念である。この領域の近年の研究では、人間同士の相互作用について、独立した個体同士の1対1のシステムとしてではなくインタラクション自体を1つのシステムと捉え、互いの社会的認知能力を拡張し学習可能性を高めるものとして捉えられるようになった。人同士がインタラクションすることによる効果は単なる加算効果ではなく、それ以上の機能的役割があるということである。オラファーはこの概念を気に入り、それを学術用語のwe-modeではなく、発達心理学者のトマセロも用いているより一般的にわかりやすい言葉としてwe-nessを用いていると考えられる。

6 場のデザインと実践の力
 「アーティストのスタジオは、実践の場であるがゆえに、たった一つの行動が、100個分のアイデアの100倍のパワーを持つのです」
「考えを語っただけで実践した気分になっている人がよくいますが、語るだけでは何も起こりません」

 美術手帖2017年7月号のアーティスト・インタビューで、オラファーは、繰り返し実践することの重要性を語っている。おそらく、6月のヴェネチア・ビエンナーレのオープン時に《Green light―アーティスティック・ワークショップ》に寄せられた、難民を見世物にしている等の様々な批判を意識したものだろう。

 ワークショップの場は、スタジオ・オラファー・エリアソンによってデザインされた〈グリーンライト〉と共通する緑色や幾何学的なパターンが用いられた机や棚が配置され、統一感がある。机の両端は60度にカットされ、直線的に並べたり120度に配置したり、多様なレイアウトが可能である。二つの机の120度の広がりは人が快適に収まることができる空間を生み出す。机の幅は二人の人が協力して作業するのに狭すぎたり広すぎたりせず適度な奥行きである。その快適さは、二人の人が協力する環境という「共通アフォーダンス」を提供する。

6) スタジオ・オラファー・エリアソンデザインの作業用机


 

7) 二人で協力して糸を張るワークショップ参加者

1個の〈グリーンライト〉の組み立てには、必ず複数の人が必要になる。木材とジョイントによる構造は、多少力とコツがいるが一人でも組み立てられる。難しいのは、その内部に張り巡らされた糸である。適切なテンションを保って糸を張るには二人での協力が必要である。しかもそれはマニュアル化されていない。あくまでも作業による手続き記憶としての身体化を通して学ばなければならない。そこに生じるのは、自然に二人の人間が協力をする状況を作り出す「共同アフォーダンス」である。二人は言葉がうまく通じない場合もあるかもしれないが、なんとか意思の疎通を行なってランプの製作という共同の作業に従事し、完成という共通の目標に向かう。

7 二人称アート
 ビデオメッセージの最後に、オラファーは「あなた」と「私」だけでも関わることができると語り、「あなた(You)」と「私(I)」を強調している。あなたと私の二者の関係から何かを始めるのは、一見当たり前のようである。だがその背景にあるのは、人間の心をめぐる学問の進歩である。心を研究する心理学は、19世紀末の自らの心の中を内観する一人称的な研究法から、20世紀に客観的に外側から人の行動を観察する三人称的な手法に移行し、長い間それが科学的であると信じられてきた。ところが、20世紀末にf-MRI等で生きた人間の健康な脳の活動が観察できるようになり、ミラーニューロンの発見があって、21世紀になってようやくあなたと私の二人称的な研究の重要性に気づくことになる。二人称神経科学や二人称認知心理学といわれる学問の誕生である。そして、人間同士のインタラクションによってwe-modeという特別な認知モードへとシフトし、個々の能力の総和を超えた集合的な認知モードが、大幅に学習効率を高めるらしいことがわかってきた。「あなた(You)」と「私(I)」のインタラクションは共同行為を「私たち(we-ness)」として一緒に達成しようとすることで心の共有を可能とし、人間の可能性、創造性を高める。アートは、そのための実践の場を提供することができる。このことは、なぜ参加型アートが重要なのかの根拠となる。科学における二人称科学への転回に倣い、このようなアートを「二人称アート」と呼ぶことにしたい。社会に関わるアートの実践、特に東日本大震災以降の日本のアーティストの活動におけるコミュニティとの関係や当事者性について考える際に有効だろう。

8 エージェンシーと共愉性

8) 組み合わされたグリーンライト


 具体的な存在があるアートは共有がしやすい。〈グリーンライト〉は、目に見える共有しやすい思考の外化物である。「全ての〈グリーンライト〉はエージェンシーを持つ」とオラファーが語っているように、〈グリーンライト〉は、地域の家庭やオフィスに飾られることにより、歓迎や希望、自由というそのメッセージを発し続ける。光に惹かれる人間の習性と安心感を与えるグリーンの光、世界共通の青信号、黄金比を用いた幾何形態という審美的なオブジェクト、それらの要素はそれぞれ普遍性を持ち、人種や文化、宗教の違いを超えた価値の共有を可能にする。

9) 組み合わせることで多様な形態への展開ができる

異なる背景を持つ人々と出会うことは、自らが新たな世界に開かれることになる。そして本来、人間にとって学ぶことは楽しい。仲間とともに学び、知らなかったことを知り、できなかったことができるようになることは、人間にとって適応的であり根源的な喜びだろう。オラファー・エリアソンの《Green light―アーティスティック・ワークショップ》は、このような共愉性(コンヴィヴィアリティ)をもっている。そこでは、その場にいる人々が様々な違いを乗り越えて共に楽しむ共愉的共同体が色々な場面で実現しているのを見ることができる。

 考えたり、アイデアを語ったりしただけでは世界は変わらない。人々が協働することは、個々の能力の総和をはるかに超えるパワーを生み出す。様々な社会的問題や環境の問題がこれまでにない規模で起こり続ける現代においては、何よりも実践することが大事なのである。
(文:細野泰久)




中野民夫 2001 ワークショップ ― 新しい学びと創造の場 岩波書店
アーティスト インタビュー オラファー・エリアソン ヒエラルキーのない、思考と実践をつなぐ場
(聞き手:伊東豊子) 2017 美術手帖 2017年7月号 美術出版社
板倉昭二 2016 We-mode サイエンスの構築に向けて 心理学評論 Vol.59, No.3 心理学評論刊行会
Eva Ebersberger, Daniela Zyman 2017 Olafur Eliasson – Green Light – An Artistic Workshop Sternberg Press

ヨコハマトリエンナーレ2017 http://www.yokohamatriennale.jp/2017/
ヨコハマトリエンナーレ2017 オラファラー・エリアソン ビデオメッセージ https://youtu.be/cPJG83bSpjs
Studio Olafur Eliasson   http://olafureliasson.net/
Green light – An artistic workshop  http://olafureliasson.net/greenlight/

*写真1〜9 撮影:細野 泰久
オラファー・エリアソン
《Green light-アーティスティック・ワークショップ》(部分)
 
Olafur Eliasson
Green light – An artistic workshop.
In collaboration with Thyssen-Bornemisza Art Contemporary
(detail)
Co-produced by Thyssen-Bornemisza Art Contemporary ©Olafur Eliasson

細野 泰久(Yasuhisa Hosono)
美術教育研究 特別支援教育研究  ヨコハマトリエンナーレ2017 《Green light−アーティスティック・ワークショップ 》インストラクター
東日本大震災をきっかけに社会と関わるアートの実践をフォローし、ソーシャル・プラクティスとその教育への応用を研究している。

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『美術手帖』5月号 SEA展のレビューを問う

2017-05-19 08.05.58

 NPOアート&ソサイエティ研究センターが主催した「ソーシャリー・エンゲイジド・アート:社会を動かすアートの新潮流」展のレビューが『美術手帖』5月号(2017年4月17日発売)に掲載された。「地域アートの延命措置」と題した筆者の主張には見過ごせない誤りがあり、さらに著作権を有する作品画像の掲載許可手続きにおいても編集部への疑問が残る。
 私たちは、5月号発行後すぐに美術手帖編集長と美術出版社社長にたいし、電話と書面により本件の真意を尋ねた。しかし回答願いの期日が過ぎても返答を得られないため、この場を借りて2点の問題を公開したい。

1. レビューにおける事実誤認と根拠を示さない批判

 レビューの筆者は黒瀬陽平氏であった。
前提として、評論は筆者の表現の場であり、「表現の自由」は守られる権利であるが、編集部は出版の前に内容に誤りがないかチェックする必要があるのは言うまでもない。私たちは黒瀬氏より直接取材を受けていない。黒瀬氏がレビューの冒頭で示したSEAの定義だが、これは本展覧会を評論する上で、最も重要な前提となる。
「SEAは「関係性の美学」(ニコラ・ブリオー)から不必要と思われる美学的要素を削ぎ落とし、より直接的に現実社会に関わり、何らかの社会変革(ソーシャルチェンジ)を起こそうとするアートの実践だとされている」
とあるが、SEAとは美学的要素を「削ぎ落とし」、捨て去ったものではない。黒瀬氏も本文で紹介している、パブロ・エルゲラの言説にもとづけば、SEA とは美学的要素とそれ以外の要素(社会的・政治的等)を併せもったものだ。
SEAの定義からしても、筆者がこの分野への基本的な知見を欠いており、国際的な流れを理解していないことは明らかであり、日本で初めて本格開催されたSEA展の論者として的を射た批評ができる人物ではないといえる。美術手帖がなぜこの人選をおこなったのか疑問である。
 さらに作品の評価についても、黒瀬氏は、スザンヌ・レイシーの作品について、具体的な根拠も示さず「劣化」と批判し、同様に、若木くるみの作品を「幼稚」と結論づけている。こういった言説が一流の美術評論誌で活字になることは、作家の評価に大きな影響を与えるわけで、そのことについて編集部は最大限の注意を払うべきである。

2. 作品画像の掲載手続きへの疑問

 私たちは美術手帖編集部の依頼により作品画像を提供した。大きく掲載されたスザンヌ・レイシーの作品をはじめ、作家の著作権は存在しており、展覧会紹介の目的に限って、作家に代わり私たちが画像提供している。最終確認として送られてきたレイアウトには、黒瀬氏の原稿はなく、独立した記事のごとく片ページのみPDFで送られてきた。
 だが、実際は黒瀬氏の原稿と写真は、見開きでひとつの記事であった。スザンヌ・レイシーの写真は、編集者から最初に希望されたものではなく、後になって追加依頼があったもので、もし原稿を見ていたなら、私たちがレイシーの写真を提供することはなかった。

 今回の展覧会は、文化庁、アーツカウンシル東京、ドイツ文化センター、オランダ大使館、資生堂などによる助成と、展覧会の主旨に賛同する多くの個人の協力を得て実現したものだ。アートが人々の生活から乖離したものではなく、生活そのもの、生き方そのものがアートに直結しているとする「Living as Form展」(2014年)の開催から3年目に、この「ソーシャリー・エンゲイジド・アート展」の実現に漕ぎつけることができた。それはひとえに、実社会と向き合い、いかにその課題に向き合えるのか、日夜模索しているアーティストの実践を伝えたいという思いからであった。そのために、私たちはSEAに関する調査研究をおこない、小規模の展覧会や関連イベントを実施し、パブロ・エルゲラの著書の翻訳出版などをおこなってきた。
 現在国内で開催される地域でのアート・プロジェクトでは、人のつながりや絆づくり、人々の内発的な表現行為に焦点が当てられているが、社会的に弱い立場にある人々、過酷な環境で生きる人々の直面する社会課題を扱うアート活動はいまだ少ない。
 ソーシャリー・エンゲイジド・アート展は、そうした国際・国内の潮流を並列させ、日本でのアートと社会の関わり方を再考する意図があった。その真意をくみ取らず、私たちの継続的な活動も理解せず、一方的な批判が活字という形で発表されたことは、大変残念なことである。

ソーシャリー・エンゲイジド・アート展 実行委員会一同

参考リンク:SEA展来場者のアンケート結果 http://www.art-society.com/sea

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