オルタナティブ・スペースが “オルタナティブ(代替)”ではなくなるとき

近年、東京をはじめとする都市部よりも自然豊かな地域へ移住したり、将来的に移住を考えているという若者が増えているという。(1
こうした傾向は、例えば東日本大震災以後人々の関心が資本主義における消費活動だけではなく、より心理的な豊かさを求めて自らの生活を構築し始めているという表れなのかもしれない。
一方で国内の現代アートでは特に2000年代以降、アートプロジェクトも盛んに行われるようになり、近年各地で開催される国際美術展もその潮流のひとつと見ることができる。これらを一概に関係付けることは難しいかもしれないが、美術館やギャラリーから離れてサイトスペシフィックな場でアートを鑑賞する、またはそうした活動自体に関わるという経験は、上述のような都心を離れた地で生活を築こうとする志向とどこか重なるのではないだろうか。
さかのぼれば9.11を皮切りにグローバリズムに対する懐疑の念が高まり、自国に眠る土着的な文化を再構築しようとするナショナリズムが再考されているとも言える。そして現在私たちが置かれている状況を受け止め、画一的な経済的成長ではなく柔軟にその規模を縮小させることで“量”から“質”へシフトしていくことは次代を担う人々にとっての課題なのかもしれない。(2

現在のオルタナティブ・スペース
美術において鑑賞の場が美術館やギャラリーといったいわゆるホワイトキューブを制度批判的に脱した例としては欧米では1960年代のランド・アートなども挙げられる。国内においては美術のみならず社会システムに対するアナーキーな文化動向として1950年代からはじまる野外美術展などの傾向も参照できるだろう。(3
そして自らの手で作品発表の場を立ち上げていく動きもある。1969年からマンハッタンのグリーン街にアートコレクターの支援を受けて始まった「98 GREENE STREET」は、アンディ・ウォーホルやジャスパー・ジョーンズ、ゴードン・マッタ=クラークなど、様々なアーティストたちが交流する場となっていた。更にマッタ=クラークは1971年にソーホーで数名のアーティストと共に「FOOD」というアーティストランのレストランをオープンする。(4 このように美術館や画廊など既存の制度にはとらわれない多用途なスペースはオルタナティブ・スペースと呼ばれ、実験的な活動を支援する場となった。
そして欧米を出自としながら日本でも様々なオルタナティブ・スペースが誕生した。代表的なものとしては、多くの若手アーティストに発表の機会を提供した「佐賀町エキジビット・スペース」や、美術のみならず演劇や音楽などジャンルレスに活動を行う「BankART1929」などが挙げられるだろう。
更に美術評論家の福住廉はオルタナティブ・スペースの大きな特徴として、そこがアーティストにとってのある種のたまり場になっていることを指摘している。(5

ここでは比較的新しいオルタナティブ・スペースをいくつか取り上げてみたい。
後述することではあるが、これらを広義にオルタナティブ・スペースと呼ぶことはできるものの、その形態や運営者の認識は様々であるということは予め断っておく。

ナオナカムラ

(左)天才ハイスクール!!!!展覧会「GenbutuOverDose」撮影:森田兼次 (右)笹山直規+釣崎清隆展覧会「IMPACT」撮影:酒井透

(左)天才ハイスクール!!!!展覧会「GenbutuOverDose」撮影:森田兼次
(右)笹山直規+釣崎清隆展覧会「IMPACT」撮影:酒井透


1990年生まれの中村奈央がディレクターを務めるナオナカムラは高円寺にある「素人の乱12号店」スペースにおいて、これまで不定期ではあるがキュンチョメや中島晴矢など有望な若手アーティストの個展を開催してきたギャラリーである。整備されたホワイトキューブではなく既存のビルの一室にオープンするナオナカムラだが、空間的な問題を物ともせずに骨太な展示ばかりだ。その多くの作品が半ばアーティストの個人史に依存している印象を受けるが、それは彼ら自身と向き合い続けるディレクター中村の熱意の現れでもあり、作品とじっくり対峙させてくれる時間を生み出すギャラリーの色なのかもしれない。

TAV GARELLY

写真提供:TAV GALLERY

写真提供:TAV GALLERY


TAV GARELLYは、アーティストではなく、キュレーターが所属するギャラリーとして2014年にオープン。展示におけるギャラリーとアーティストの関係性にキュレーターという存在を介入させることで、より多角的なアプローチを考察していく実験的な場となっている。それ故に従来のコマーシャルギャラリーでは難しいような展示形態や、発表の機会を得にくい若手作家などを積極的に巻き込んでいる。こうした試みを可能にしているのは、TAV GALLERYはギャラリー経営会社が所有するビル1階に入居しており、2階から4階がペアレンティングホームとなっていることで、作品販売に依存しない運営システムを築いていることも大きい。

カタ/コンベ

撮影:新井五差路

撮影:新井五差路


中野にあるカタ/コンベは2012から始まった若手アーティストが集うシェアアトリエである。通常は入居メンバーによるアトリエであるが、定期的にゲストアーティストを迎えた展覧会を開催。オートロックマンションの地下室というアクセスの難しさも感じるが、展覧会開催時には多くの人で賑わう。印象派やシュールレアリストにそれぞれ拠点があったように、作家活動を行う上で自分たちの場所が欲しかったことが現在の形式をつくりあげたきっかけだという。展覧会は週末の2日間しか開催されないため、多くの出展者もその場に集まることで濃密なコミュニケーションが生まれている。

あをば荘

写真提供:あをば荘

写真提供:あをば荘


墨田区にあるあをば荘は「墨東まち見世2012」に参加したアーティストユニット佐藤史治+原口寛子によるプロジェクト会場となったことをきっかけに、2階を住居としながら1階では展示やイベントを開催しているスペースだ。美術だけでなく多様なジャンルの運営メンバーが関わることで、演劇公演やクラフト販売など様々な催しを行っている。周辺地域といかに関係を築くかを重視しておりHPなどでの対外的なアピールでばかりではなく、ご近所付き合いの中でいかに創造的な活動ができるかを丁寧に実践している様子が伺える。

awai art center

写真提供:awai art center     (右)加藤巧個展「〜|wave dash」

写真提供:awai art center (右)加藤巧個展「〜|wave dash」


東京に数多くのオルタナティブ・スペースがある一方で地方の動きも見逃せない。今年の4月29日にこけら落としを迎えたawai art centerは古くなった民家をセルフリノベーションし、展示スペースの他にカフェなどを併設したアートセンターだ。松本駅から徒歩5分ほど、天神深志神社の参道に面しながらも人通りは穏やかな場所にある。松本駅周辺には松本市美術館がある他、雑貨店が並ぶ観光スポットなどもあり、季節によっては多くの観光客でも賑わうことだろう。さまざまな物事の間(あわい)に表現を開いていくことをイメージして付けられたという名が示すように、松本という地でいかに表現の場をつくるのかこれからの活動に注目している。

アートが立ち上がる場
一様にオルタナティブ・スペースという呼称で括っても、それぞれはギャラリーを冠していたり、住居を伴っていたりと様々である。ここで紹介したスペースでもオルタナティブ・スペースを自称するところもあれば、そこにアイデンティティを持たない場合もある。呼称についてはそれぞれのスペースのコンセプトによって様々であり、例えば「Art Center Ongoing」は意識的にアートセンターと自称している。(6
本来オルタナティブとは何かに替わってという意味であり、オルタナティブ・スペースとは、美術館や画廊などの制度に参入するのではなく新たな表現の場を指すものだ。仮にその発端が制度への批判であったとしても、それらは今や対立項や代替物としてではなく、若手アーティストの作品発表の場の選択肢であり、時にはアートプロジェクトの会場でもあり、スペースによっては美術館に劣らない入場者数を誇るなど十分な文化資源として機能している。
こうした胎動を敏感に察知するアーティストやキュレーターもいる一方で、多くの美術館学芸員やギャラリスト、大学教員などは展示を見に来ない現状に、Chim↑Pomの卯城竜太は「オルタナティブな動向とメインストリームはコミュニケーションを取って、新しくリアルなものを世界に発信すべき」と述べている。(7
この気運を意識したのか、最近ではオルタナティブという語が積極的に用いられる例も見受けられる。ゲンロンカオス*ラウンジ 新芸術校は教育方針を「まったく新しい、オルタナティブ・アートへ」と掲げ、2016年5月に開催される「3331 Art Fair 2016 ‒Various Collectors Prizes-」ではオルタナティブ・スペース主催者たちによる推薦者枠が設けられている。(8 (9 またLOFT PROJECTによるエンターテイメント・メディアRooftop内で連載の始まった現代美術家の中島晴矢による「オルタナティブ展評」は独自の方法で作品を発表する若手作家の展覧会を取り上げることを目指した展評だ。(10
オルタナティブは泥臭い抵抗の旗手としてではなく、アートが立ち上がる場を自ら作り上げるごく自然な方法のひとつであるのではないだろうか。裏を返せば自らこうした場を創り出さねばいけない状況だったとも考えられる。

オルタナティブ・スペースが死語になる時
過去にシェアハウスが寄宿舎として建築基準法の風当たりを強く受けたように、既存の制度が時代に適応せず生活スタイルなどと乖離していく過程では、規制や価値観に先攻して自発的にその志向を具体化していく必要もあるだろう。労働形態においてもひとつの仕事に従事するのではなく複数の仕事を掛け持ちすることで多角的なスキルを身に付けたり、万が一解雇などによって収入源を失った際でもリスク回避にもなるといった意識の変化が起こっている。
こうした事象は冒頭に挙げた東日本大震災に記憶が新しいように、日本という不安定な地の上では西欧に倣った歴史を積み重ねること自体に大きな障害があることを示唆してはいないだろうか。そんな「悪い場所」の上では全ては仮設ということを含意に考えるべきだろう。(11 これは決してネガティブな態度ではなく、全てが流れさってしまうことがある土壌の上をも軽やかに乗りこなす身体感覚を養うことだ。それは関東大震災直後に生活を再建する足がかりとして機能したバラックを生み出す感覚に近いのかもしれない。
また最近では空き家対策を含めて人口が減少する時代に対しシュリンキング・シティ(縮小する都市)という考えもある。これまでの都市計画にあるようなゾーニングではなく、小さな街の中でもスポンジの孔のように不規則に空いてしまったスペースに個々人の意思によって充実した機能を重ねていくという可能性をオルタナティブ・スペースに照らし合わせてみるならば、ハードを含めた既存の資源を活かして営まれるものが多く、近代的な経済成長に捕われない持続可能性が高い活動であると期待している。(12 これまでの文化施設や大規模なアートプロジェクトでは介入する隙間のなかった場所に分け入るこうした活動は、今後の文化芸術の担い手として重要な萌芽となるだろう。
現在オルタナティブ・スペースと呼ばれるものの多くが住居、アトリエ、カフェ、まちづくり、若手アーティストの発掘・支援などいくつもの要素を駆動させて乗りこなされる軽快なものだ。既にアートという文化領域も近代の限定的な制度だけでは成り立たずに多様化してきた中で、オルタナティブ・スペースがその領域の末端にあったならば、内部への批判的なまなざしを保ちながらもいくつもの要素を組み合わせて更に前進するとき、代替物という語義を超えた可能性を宿すのだろう。
それはオルタナティブ・スペースが死語になる時こそが死線を抜け出る瞬間なのかもしれない。

(文:青木彬)


(1 国土交通白書2016(http://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h26/hakusho/h27/index.html)
(2 松村嘉浩.なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?.ダイヤモンド社
(3 加冶屋健司.「地域に展開する日本のアートプロジェクト—歴史的背景とグローバルな文脈」
『地域アート 美学 制度 日本』.堀之内出版.p104
(4 Lauren Rosati,Mary Anne Staniszewski.ALTERNATIVE HISTORIES
(5 http://artscape.jp/artword/index.php/オルタナティブ・スペース
(6 アートプロジェクト 芸術と協創する社会.熊倉純子(監修).水曜社.p92
(7 美術手帳.2015年5月号.美術出版
(8 http://school.genron.co.jp/gcls/
(9 http://artfair.3331.jp/2016/about/
(10 http://rooftop.cc/powerpush/cat4/151127190659.php
(11 日本・現代・美術.椹木野衣.新潮社
(12 都市をたたむ.饗庭伸.花伝社

青木彬(Akira Aoki)
1989年生まれ。東京都出身。首都大学東京インダストリアルアートコース卒業。在学中に「ひののんフィクション」「川俣正TokyoInProgress」などのアートプロジェクトの企画・運営に携わる。メインストリーム/オルタナティブを問わず、横断的な表現活動の支援を目指す。これまでの企画に「『未来へ号』で行く清里現代美術館バスツアー!」、「うえむら個展 ここは阿佐ヶ谷」などがある。現在はTAV GALLERYのキュレーターとしても活動中。
http://akiraoki.tumblr.com/

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