モントリオールにおける Socailly Engaged Art

カナダで人口第2位を誇るケベック州モントリオール市は、多くのアーティストやアーティスト志望の人達が集まる、国内でも屈指の芸術の街。市内にはアーティスト・ラン・センターと呼ばれる政府の芸術協議会から助成を受けて運営されている非営利のアートセンターが数多く存在し、近代美術館や現代アート美術館、市営の多目的文化施設・アートギャラリーのネットワークであるMaison de la culture、コマーシャルギャラリー、芸術学部のある大学や美術史を教える大学など、アートに関係した機関が充実している。

モントリオールの町並み 撮影:Gilbert Bochenek

モントリオールの町並み 撮影:Gilbert Bochenek

しかし、残念ながらこれほど芸術の盛んなモントリオールにおいても、Socially Engaged Artになるとちょっと事情が変わってくる。なぜならば「地域住民と共に行う創造活動を通して地域に根付く問題に取り組み、その問題に何らかの変化をもたらすこと」を意味するSocially Engaged Art(以下SEA)というアート実践自体が余り知られていないからだ。その原因のひとつとして「文化と社会の間の橋渡しをすること」という意味合いのCultural Mediationの単なる延長としてSEAが扱われている問題が挙げられるだろう。つまり、市民参加型のプロジェクトを皆一様にCultural Mediationとして扱うことによって、SEAがCultural Mediationの広義の中に埋もれ、実際にどのような実践なのかを広く知らしめる機会を欠いていることだ。

しかしもっと問題なのは、たとえアート関係者の中にSEAに関する知識があったとしても、これ自体を「歴とした現代アートの実践」と言うよりは、「市民活動」もしくは「社会福祉活動」に限りなく近い活動としてしか認識していない人たちが本当に多くいるということだろう。これはSEAプロジェクトの特性とも言える一過性、多様性、日常性、そして地域社会特定型と言った様々な要素と、物質性が少なく記録写真やビデオに頼りがちなSEAの作品展を、観る側に「単なる記録」としてではなく、しっかりとした「作品」だと伝わるような構成にすることの難しさなどの要素が、複雑に絡み合って起こる問題のように思える。

また、美術館のように影響力のある大きなアート機関が、アートと地域の関連性や社会の問題に取り組むプロジェクトや、その作品の発信に消極的だと言うことも、SEAの知名度の低さを助長している要因ではないだろうか。2011年にモントリオールの現代美術館、Musée d’art contemporain de Montréal で開催されたTriennale Québecoise (ケベック・トリエンナーレ)を例にとっても、40組余りの地元アーティストが参加する中で、明確にSEAと呼べなくても地域特定の問題を扱っていた作品は皆無だった。それどころか、政治的または社会的テーマを扱っていた作品すらもごく僅かで、これにはこの展示を観た欧州の一部のアーティスト達からも驚きの声が上がっていたほどだ。勿論、単にこれを企画したキュレーターと主催者側の趣向のせいだと片付ける人もいると思うが、個人的にはこの展示が現在のケベックの主流が社会とその問題との関わりを追求するような作品ではなく、比較的売買のしやすい市場型で物質主体のアートであることを象徴していたような気がした。

さて、背景の解説が大分長くなったが、モントリオールでSEAの活動に積極的な団体をここに2つ紹介したいと思う。先ずは2005年に設立されたC2S Arts et Événementという比較的新しい団体で、小学校でアーティスト・イン・レジデンスを行うプログラムと、ケベック州では初となる、要介護高齢者の長期療養施設で行うアーティスト・イン・レジデンス・プログラムの両方を行っている。基本的には8週間のレジデンス期間中に現場職員の手助けを受けながらアーティストが主導する形で多種多様な参加型プロジェクトが実施される。

2011年冬に地元モントリオールのアーティストChristine BraultがCHSLD Providence Notre-Dame de  Lourdes で行ったアーティスト・イン・レジデンスの様子。色々なワークショップの中でBraultのつくった 様々なお手本を参加者達がマネをするという形で制作が進められた。撮影:Serge Marchetta

2011年冬に地元モントリオールのアーティストChristine BraultがCHSLD Providence Notre-Dame de
Lourdes で行ったアーティスト・イン・レジデンスの様子。色々なワークショップの中でBraultのつくった
様々なお手本を参加者達がマネをするという形で制作が進められた。撮影:Serge Marchetta




レジデンス後は最寄りのMaison de la cultureで結果を発表する機会も与えられるため、オープニングにはプロジェクトの参加者やその家族が多く訪れる。このC2Sの設立者の一人であるSerge Marchetta氏によると、普段ギャラリーに足を運ぶ機会の無い参加者たちの多くが、自分の関わった作品が現代アートギャラリーで展示されることに喜びと誇りを感じていると言う。中にはこれを機に自発的に作品をつくるようになった参加者もいて、80歳にして個展を開きアーティストデビューした高齢者もいるそうだ。

2012年5月にMaison de la culture Maisonneuve で開かれたレジデンスの結果発表展示「Fil de vies...  passages」の様子。プロジェクトに参加した高齢者とChristine Braultによるパフォーマンスも行われた。 撮影:Éric Cimon

2012年5月にMaison de la culture Maisonneuve で開かれたレジデンスの結果発表展示「Fil de vies…
passages」の様子。プロジェクトに参加した高齢者とChristine Braultによるパフォーマンスも行われた。
撮影:Éric Cimon



もう一つ紹介したいのが2001年に設立されたEngrenage Noire/Rouage。社会活動に積極的な地域団体とそのメンバー、そしてアーティストの3つのグループによる長期コラボレーション型のプロジェクトを募り、選ばれたプロジェクトに助成金を出している積極行動主義色の強い独立民間アート機関だ。応募の条件として、「様々な社会問題の解決やその問題に対する市民の意識を変えると言う目的が明確なプロジェクトであること」そして、3つのグループが始めから同等の立場でプロジェクトを立ち上げ、全ての進行を全員の総意に基づいて決めていく、「完全な共同制作プロジェクトであること」などを挙げている。運良く選ばれたあかつきには、3つのグループが全員参加する必修の講習会が2日間にわたって開かれ、共同制作中に起こりうる色々な問題やそれらをどう解決していくか等を学ぶことになる。プロジェクトが行われる約1年の期間中、この3つのグループの全員が参加する話し合いの席が月に一度設けられ、進行状況や問題点等が話し合われる。これらの過程を経て、公共の場で社会活動的パフォーマンス等を計画していく。

2014年5月に開かれたワークショップの様子。撮影:Johanne Chagnon

2014年5月に開かれたワークショップの様子。撮影:Johanne Chagnon

ComitéŽ d’éŽducation aux adultes de la Petite-Bourgogne et de Saint-Henri (CÉDA) と言う成人教育を手助けす る地域団体の「識字プロジェクト」の一環として行われた、字の読み書きの出来ない大人に社会でもっと発言す る場をつくり、市民の理解を深めてもらおうと言う試み (2012-2013)。 撮影:CÉDA – secteur alphabétisation populaire

ComitéŽ d’éŽducation aux adultes de la Petite-Bourgogne et de Saint-Henri (CÉDA) と言う成人教育を手助けす
る地域団体の「識字プロジェクト」の一環として行われた。字の読み書きの出来ない大人に社会でもっと発言す
る場をつくり、市民の理解を深めてもらおうと言う試み (2012-2013)。
撮影:CÉDA – secteur alphabétisation populaire


Le Collectif Au pied du murというアーティスト・コレクティブとLe Carrefour d’éducation populaire de Pointe-Saint-Charles という市民団体によるPointe-Saint-Charles 地域再生のための巨大壁画プロジェクト(2012-2013)。 全長80メートルにも及ぶ壁に絵を描いた。撮影:Sandra Lesage(左)、le Collectif Au pied du mur(右)

Le Collectif Au pied du murというアーティスト・コレクティブとLe Carrefour d’éducation populaire de Pointe-Saint-Charles という市民団体によるPointe-Saint-Charles 地域再生のための巨大壁画プロジェクト(2012-2013)。全長80メートルにも及ぶ壁に絵を描いた。撮影:Sandra Lesage(左)、le Collectif Au pied du mur(右)



ここに紹介した団体のようにSEAの活動を行っている団体は幾つかあるものの、現在の状況を見るかぎり、決してモントリオールでSEAに追い風が吹いているとは言い難い。この町でSEAがこれからもっと広く受け入れられ、発達・発展していく為には、これを実践している若手のアーティスト達がもっと積極的に活動の場を広げ、道を切り開いて行かなければならないのは確かだ。

(文:畑山理沙)


畑山理沙(Risa Hatayama)
1997年にカナダに渡り、カルガリーのSouthern Alberta Institute of Technologyで映画制作を学ぶ。2002年にモントリオールに移り Concordia Universityで写真を専攻。2005年の大学卒業後から本格的に画像ベースのインスタレーション制作を中心にアーティスト活動を始める。しかし実祖父の長期にわたる闘病生活がきっかけで2009年頃から高齢化社会におけるアートとアーティストの役割について考え始めるようになり、以降、老いをテーマにした作品や高齢者参加型のプロジェクトを制作し始める。2014年夏にUniversité du Québec à Montréalで Socially Engaged Artと高齢者をテーマにした研究論文・制作で修士を取得。2014年秋にはC2S Arts et Événement の高齢者施設でのレジデンスに参加予定。

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Emscher Kunst (エムシャー・アート)
再生を体感し議論する場としてのアート・イベント

現在のエムシャー川流域 (ガスタンク屋上より)

現在のエムシャー川流域 (ガスタンク屋上より)


 ドイツ、ルール工業地帯の再生は、ポスト工業時代の新たな生活の場や質を求めて、社会全体の構造転換をめざす世界最大規模の地域再生プロジェクトであり、同様の課題をもつ世界中の注目を集めてきた。
 なかでも急激に衰退し深刻な環境問題が残された北部のエムシャー川流域が、ここ20年あまりで先進的な文化の中心へと変革され大きな関心を集めている。それは閉鎖された産業遺構を貴重な地域資源として評価、保存し、新たなアートを生み出す場や創造産業などのための場として活用し、ネットワークして芸術文化活動の一大拠点を形成しようとする戦略によるものだ。現在、産業遺産群と、地域にインスパイアーされた新たなアート作品群は、サイクリングロードや遊歩道で結ばれ、一帯は広大なグリーンベルトへと変身している。その長さ80キロ、幅15キロに及ぶ「エムシャー・パーク」を舞台にEmscher Kunst 2013や多彩な文化イベントが開催された。ひとびとは自転車で多くの文化施設や点在するアートワークをまわり、自然や社会の環境がダイナミックに変化しつつあることを体感し、そのプロセスにアートがどのように介入しているのかを直に見つめることになる。この機会に筆者も40km近いツーリングにチャレンジしてアートとアスレティックの両方を体験してきた(汗)。

ルール工業地帯 ヒストリーと新たなゴール

工業時代のエムシャー地帯 (ガスタンクが見える)

工業時代のエムシャー地帯 (ガスタンクが見える)


 かつて世界最大の石炭、鉄鋼業が集積し、ドイツの重工業と戦後の復興を支えたルール工業地帯は1970年代には急激な衰退がはじまり、人口流出と深刻な不況に苦しむことになった。残されたのは石炭採掘によって露出した大地、石炭と鉄くずが山と積まれたボタ山、カドミウム汚染のためオレンジ色になってしまった川など自然環境への壊滅的な影響と、煤けたイメージの閉鎖された工場と多数の失業者だった。この地域を再びひとびとが豊かに住むことができる場所へ、どうしたら再生できるのか?1980年代後半より、ポスト工業時代における環境再生の壮大な実験プロジェクトがはじまった。
 それは単なる自然再生のプロジェクトではない。社会、産業、都市環境、文化を含む総合的な再生と持続可能なモデルが追求されたのだ。最も重視されたのは一度失った地域の誇りと文化的アイディンティティを取り戻すというゴール。そのためには生態系や経済の基盤が整っているのは当然であるが、地域に根付く固有性とともに新たな文化、芸術のファクターもなければひとびとからの支持も得られない、それを住民とともに実現するというチャレンジングなプロセスとなった。

IBA Emscher Park そのアプローチと成果

 この実現のために導入されたのが「国際建築展覧会(Internationale Bauaustellung Emscher Park、以下IBA)」である。これは、1989-99年の10年期限で、ノルドライン=ヴェストファーレン州が主導して、エムシャー川流域(対象地域は面積約800平方キロ、17の地方自治体の総人口200万人)の各自治体と協働する有限会社形式の民間組織である。この組織名としては聞き慣れない「国際建築展覧会」は、ドイツでは(ヨーロッパの一部でも)伝統的に記念性の高い建設事業や街路の整備のために国際建築コンペを通じて超一流のプランを実現してきた手法であるが、エムシャー川流域ではその任務が環境再生全般を担うまで拡大され組織化されたのである。
 IBAは地域内の緑地と水系の保存と回復、再生、雇用の拡大、住環境という基盤整備に加え、質の高い文化的ストックを形成するために地域に既にある資源=工業時代の記憶である産業遺構の蘇生と新たな創造活動の創出という困難な課題に立ち向った。短期的には破壊した方が経済的な巨大な工場を、文化不毛の時代の遺物として否定するのではなく、長期的な戦略により創造性を刺激する空間へとコンバートし、21世紀型の産業への移行をめざすこと。それは工業時代の軌跡、記憶をポジティブに再評価し、再ブランド化する道のりでもある。しかも、工場の保存や環境改善のプランはIBAによって住民に逐次情報共有され議論を深めるプロセスとなってきたという。

 このIBAの成果は、2001年エッセン市の関税同盟(ツォルフェライン、Zoll Verein)
現在の関税同盟(Zoll Verein)エッセン市

現在の関税同盟(Zoll Verein)エッセン市

がそのバウハウス時代の粋を集めた立て坑施設群によってユネスコ世界文化遺産に登録され、現在では1000人以上が働くデザイン系、エンターテインメント系ビジネスの一大集積地となっている。エムシャー域内の他の各自治体でも産業遺産の保存に関しては賛否両論の議論を続けられたが、各自分たちの地域のランドマークを競って保存しようとする機運が盛り上がり、ゲルゼンキルヒェン製鉄所跡地、ノルデンステンパーク、ディイスブルグ北景観公園、オーバーハウゼンのガソメーター、ハンザ同盟、ボーフム、ヤールフンダートハレなどの多くの産業遺産が次々とオルタナティヴな文化、デザイン施設として改修され、地域全体としてのシナジー効果を生み出し、交流人口は以前より3割増となっているという。
 2000年代初めより、多くの都市がクリエイティブ・シティのコンセプトを追求し、目玉としての新規文化施設を建設したが、長期的にみてうまくいっている事例は少ない。一方で、エムシャーパークのように既存の地域資源を活かす手法はヨーロッパにおける産業遺産活用のモデルとして各地の環境再生やまちづくりに多大な影響を与えてきた。日本でも元炭鉱のまちが疲弊した事例は数限りない。建築の素材、環境条件などでこの手法をそのまま参考にはできないが、より積極的な保存や明確な意図をもった活用が検討できないだろうか。
 1999年のIBA 終了後、この事業はプロジェクト・ルール会社に引き継がれ、ルール自治体連合との連係で、土壌や水質などの環境的課題や新旧住民間のギャップなどの社会的課題などに対するチャレンジが2020年まで継続される予定である。

Emscher Kunst 2013 建設の場から議論の場へ

 これらエムシャー・パークでの取り組みが中心に評価され、2010年にはルール地方が欧州文化首都に選ばれ、一年間にわたり産業遺産や周辺の公園、河川流域を使った多くの文化イベント「ルール2010」が繰り広げられた。そのスローガンは「文化による変革 変革による文化(Change through Culture – Culture through Change)」。これはIBAによる再生事業以来一貫したテーマである。それは、「文化によって地域に変革をもたらすこと、同時にその変化のプロセスとともに文化自体にも革新をもたらす」という意味であり、そのイノヴェーションが蓄積されてゆくというポジティブなサイクルともとらえられるだろう。
 実際に1990年代初頭から展開されてきたアートのアプローチはエムシャー川流域の再生とともに変化し深化してきた。1989-99年のIBA時代は産業遺産の保存を含めたハード中心に整備された時代であり、アートも工業時代を記念し場所性を象徴するモニュメンタルな、いわゆる「ランドマーク・アート」を設置することが主流だった。例えば、展望スペースとして保存されたぼた山にモニュメンタルな作品(Richard Serra Bramme for the Ruhr District, Essen,1998やHerman Prigann Stairway to Heaven, Reinelbe Mining, Gelsenkirchen, 1999)を設置したり、展望台そのものとして最も有名なランドマーク作品(建築家Wolfgang Christ, Tetraeder, Bottrop, 1995や工場跡のためのライティングアートを設置するなど、広大なランドスケープに工業時代の人跡、マーク、サインをつけるようなアプローチが主流だった。

Richard Serra Bramme for the Ruhr District, Essen,1998

Richard Serra Bramme for the Ruhr District, Essen,1998

Wolfgang Christ, Tetraeder, Bottrop, 1995

Wolfgang Christ, Tetraeder, Bottrop, 1995


 これに対して、「ルール2010」における取り組みはハードからソフトへ、建設の場から議論の場へと変化してきた。その中心的なイベント「Emscher Kunst(エムシャー・アート)」のキュレーター、Florian Matznerはその目的について、「明確な目的のない一貫性のない、単なる野外のアート展ではない。環境を考える議論の場、未来のためのワークショップ、ルール地域北部の新たなアイディア、考え方、新しい見方が生み出される場所、地域のため、地域とともに実現し議論する場」をめざしでいると語っている。なんでもありのアートのお祭りではない、現実にダイナミックな再生事業が起こっている地域で身近なエコロジーや社会の課題を問いかけ議論の場とするイベントだということだ。この明確な意図をもったポストIBAのアプローチは、各地で数多くのビエンナーレ、トリエンナーレが開催され、アート活動がますます社会や地域との関わりを深めている現在の潮流のなかで、特筆すべきものだろう。
 初回のEmscher Kunst 2010のメイン会場はエムシャー・アイランド (エムシャー川の中洲)に限定され、川俣正の8人の作家によるプロジェクトが展開され、工業時代の強烈な風景や建築をつなぐ新たなランドスケープを提案することがテーマとされた。
 2013年にはゲルゼンキルヘンからオーバーハウゼン、デュイスブルグ、ディンスラーケンにいたるエムシャー川流域を結ぶ80kmにわたるサイクリングロード沿いに2010年からの継続プロジェクトも含めて30人(組)のアーティストによるプロジェクトが展開された。(主催:Urbane Kunsts Ruhr及びEmschergenossenschaft、会期:6/6-10/6/2013、部分的にパーマネント作品となる)

Emscher Kunst 2013 作品のなかから

Ai Weiwei Out of Enlightment
自身がデザインしたテントを貸し出し、ビジターがエムシャーパーク内で自由にキャンプできる、生活をしてみる作品で、地域住民や来場者が身近なランドスケープにかかわるというヒューマン・スケールの体験をうながす参加型のアプローチである。この地域が工場跡地ではなく、普通に生活して、仕事をして、余暇を楽しみ、リラックスし、遊ぶ場所になるという、これまでのコンテキストやマインドを変化させようとしている。
Ai Weiwei  Out of Enlightment 2013

Ai Weiwei Out of Enlightment 2013




Mark Dion Society of Amateur Ornithologists (アマチュア・バード・ウォッチング協会)
発電所からの煙が立ち上る風景をバックにバード・ウォッチングのための施設を設置した作品。工業用のガスタンクを活用した巨大パイプ、潜水艇のような形をしており、形側面と屋上には観察のための窓や展望台がある。そして中にはいってみるとそこには外形とは全く違う空間、バード・ウォッチング愛好家の古めかしい部屋が再現されている。身近な環境の変化を監視、観察しつつ、歴史的な環境の変遷に想いを馳せる作品。(2010年よりサイトを移動して継続)
Mark Dion  Society of Amateur Ornithologists  2010- Photo: Roman Mensing/EMSCHERKUNST.

Mark Dion  Society of Amateur Ornithologists 2010-
Photo: Roman Mensing/EMSCHERKUNST.




Marjectica Potrc & Ooze Architect Between the Waters The Emscher Community
カドミウムの汚染がまだ完全に除去されないエムシャー川から水を引き植物の浄化作用でリサイクル可能な水にする、浄化装置をカラフルに視覚化した作品。学生ボランティアによるオペレーションで実際にリサイクルされた水を使ったトイレにもなっており、ツーリング途中の休憩所ともなっている。(2010年より継続)
Marjectica Potrc & Ooze Architect  Between the Waters  The Emscher Community 2010-

Marjectica Potrc & Ooze Architect Between the Waters The Emscher Community 2010-




Tue Greenfort Clarification
高度浄水の管理施設に水問題について議論するための場所をつくった作品、中には水についての情報交換と会議室、実験施設、ビデオのコーナーなどがあり、アーティストや専門の大学生が白衣姿でシリアスに実験したり、ミーティング、ワークショップをおこない実際の議論の場となった。
Tue Greenfort Clarification  photo: Roman Mensing/EMSCHERKUNST. 2013

Tue Greenfort Clarification  photo: Roman Mensing/EMSCHERKUNST. 2013




Inges Idee Zauberlehrling (魔法使いの弟子)
Inges Idee Zauberlehrling 2013-

Inges Idee Zauberlehrling 2013-

ぐにゃりと曲がり、ダンスを踊っているようにして立つ、送電塔(実際の電気は通っていない)。
オーバーハウゼンのビジターセンター   photo: Roman Mensing/EMSCHERKUNST. 2013

オーバーハウゼンのビジターセンター photo: Roman Mensing/EMSCHERKUNST. 2013

タイトルはゲーテのバラードによる≪魔法使いの弟子≫、見習い中の弟子が魔法のコントロールを失い、修羅場となるお話。ユーモア溢れるフォルムに思わずニヤリとするが、実は原発のコントロール不能を象徴するこわい作品ともいわれている。
 このほかにもビジターセンターは地域環境に関する情報提供、参加型のコミュニケーションをうながすワークショップや議論の場、周辺大学の環境系の学生による教育プログラムの場となっている。





Chiristo Big Air Package
Chiristo Big Air Package  ガスタンクの外観

Chiristo  Big Air Package ガスタンクの外観

Chiristo  Big Air Package  ガスタンクの内部と布製作品

Chiristo  Big Air Package  ガスタンクの内部と布製作品

このプロジェクトはEmscher Kunstには直接含まれていないが、関連のアート・イベントとして開催され、大人気となったもの(会期:3/16-12/30/2014)。1928/29年に建造され、オーバーハウゼン市で保存活用されている旧ガソメーター(ガスタンク)のためのプロジェクト。約35階建にもなる建物内部にタンクと同じ形の巨大な布製風船を設置、人はその中に入ることができる。
Big Air Package  作品内部の鑑賞者たち

Big Air Package  作品内部の鑑賞者たち

その空間は高さ90メートルのカテドラル内部のようで同心円の光の束に包まれているようだ。日常の音から遮断され、光と静寂に包まれた空間のなかで、立ちすくんだり寝そべったりしつつガスタンクだった空間のなかで思いっきり呼吸できるという不思議な感覚に包まれる。最後に、外側のエレベーターでガスタンクの屋上にのぼり、旧ガソメーター周辺やエムシャー川流域をはるかに見渡すことができる。そこにあるのはブラウンフィールドから劇的に変化した緑豊かな風景、青い空とさわやかな空気なのだ。ガスタンクで空気を包むというユニークな形で、産業遺産が新たなアートや意味を生み出すサイクルの基点となっていること、そして周辺環境の変化を体感し対話する場となることを感じさせてくれる。

 これらの作品はエコロジーや環境問題に対して明確な意識を持ちつつ、決して押しつけがましい非難やお説教がましいポーズをとっていない。むしろ心をくすぐるようなユーモアと日常的なルーティンをチクッと突っつくような態度である。まずは身近に見て感じること、課題に気づき見える化すること。そんなアーティストの問いかけから環境変化についての議論が自然とオープンなものになるようだ。しかも、鑑賞者は自転車というエコな人力移動を通してエムシャー川流域の再生をゆっくりと体感し、地域やその資源、遺産を眺めつつ、アートと対面し対話することができる。このすべての体験がさわやかな達成感とともに記憶の深く刻まれ、アートによる議論が拡がってゆくことだろう。
 このEmscher Kunstはトリエンナーレ形式で、エムシャー川流域の再生計画が完了する2020年まで続く予定であり、このオープンエンドな自由な議論がどのように続けられるのか、そして文化による今後の取り組みがどのように成長してゆくのか、期待をもって見守ってゆきたい。

Emscher Kunst Website: http://www.emscherkunst.de/home.html?L=1
参考文献:ed. Florian Matzner, Lukas Crepaz, Karola Geiss-Netthofel, Jochen Stemplewski, Emscher Kunst 2013, HATJE CANZ, 2013

(文:Hiroko Shimizu)

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街を彩り、突き刺すビジュアル・パワー
南米コロンビアの首都ボゴタのストリート・アート

6月末、筆者は、芸術文化マネジメント関連の国際学会に参加するため南米コロンビアの首都、ボゴタを訪れた。コロンビアというと、麻薬マフィアや反政府ゲリラが暗躍する危険な国という印象があるかもしれない。確かにボゴタの街には、犬を連れた警官や機関銃を持った兵士、民間の警備員などが数多くいて、常に警戒態勢という感じだが、ウリベ前大統領(2002~2010在任)が治安対策に重点的に取り組んだ結果,殺人や誘拐の件数は大きく減少しているという。740万の人口を擁するラテンアメリカで6番目の大都市ボゴタ。その中心部には、活気に溢れたストリート文化があった。

①日曜日の歩行者天国。フードから雑貨、アクセサリー、本、携帯電話まで、あらゆるものが露店で売られている

①日曜日の歩行者天国。フードから雑貨、アクセサリー、本、携帯電話まで、あらゆるものが露店で売られている

 サンパウロやブエノスアイレス、サンティアゴなど、ラテンアメリカの大都市は今、ストリート・アートのメッカとして注目されている。ボゴタもその例に漏れず、「Bogotagraffiti」と画像検索してみると、色鮮やかで強烈な個性を放つ作品群が目に飛び込んでくる。幹線道路のコンクリート擁壁から街中のブロック塀やシャッター、道路標識の裏まで、あらゆる「余白」が、ストリート・アーティストたちの表現の場になっているのだ。

②幹線道路沿いのコンクリート壁には、たいていこのようなグラフィティが描かれている

②幹線道路沿いのコンクリート壁には、たいていこのようなグラフィティが描かれている

そんなボゴタのストリート・アート・シーンを見聞できる「Bogota’s Graffiti & Street ArtTour」に参加した。このツアーは、自身もクリスプ
(Crisp)の名で壁画制作をしているオーストラリア人のアーティスト、クリスチャン・ピーターセンがプライベートに週3回行っている隠れた人気企画で、トリップ・アドバイザーの「ボゴタのアクティビティ」では第3位にランクされているほどだ。ウェブサイトで参加日と名前・メールアドレスを登録し、当日集合場所に行けばよく、料金は基本無料で終了時に適当な額を寄付するという、とても気軽な3時間弱のウォーキングツアーだった(筆者は15ドル寄付)。

壁面に現れたビジュアル表現としてのストリート・アートを見るとき、ロゴや単純なキャラクターをスプレーペイントで描くグラフィティ・タイプのものと、多様な技法を使ってより絵画的に表現するミューラル(壁画)タイプのものがあることに気づく。前者はヒップ・ホップ・カルチャーと結びついた若者の自己表現として、後者はアクティビズムやコミュニティ運動と結びついた社会的メッセージ、あるいは都市環境改善の手段として、それぞれ別の発展史をたどってきている。ボゴタでは、両方の流れの影響を受け、ワイルドスタイルのグラフィティから社会問題を戯画化した作品、さらに純粋に楽しさや美を追究する絵画的ミューラルまでが併存・融合しているところに特徴がある。また、「ボゴタは世界一グラフィティに寛容な都市」とクリスチャンが言うように、市民の理解があり、警察も厳しく取り締まることがないことから、時間をかけて丁寧に描き込まれた作品が多い(それでも1作品を1 日か2日で仕上げるそうだが)。個性的なスタイルをもつ人気アーティストが何人(組)もいて、彼らの作品があちこちで見られることからも、ストリート・アートがボゴタの街を彩る重要なエレメントになっていることがわかる。

③グラフィティ・タイプのストリート・アート。MICOのサインが見えるが、地下鉄ペインティングのパイオニアとして知られる彼は、1969年にニューヨークに移住したコロンビア人である。これはMICOがコロンビアに凱旋して、地元のアーティストとコラボレートしたときのもの(“neon”は上から新しく書かれたものでMICOのライティングではない)

③グラフィティ・タイプのストリート・アート。MICOのサインが見えるが、地下鉄ペインティングのパイオニアとして知られる彼は、1969年にニューヨークに移住したコロンビア人である。これはMICOがコロンビアに凱旋して、地元のアーティストとコラボレートしたときのもの(“neon”は上から新しく書かれたものでMICOのライティングではない)



今、ボゴタで最も精力的に活動しているアーティストは、Guache(グワッシュ)、DjLu(ディージェー・ルー)、Toxicómano(トキシコマノ=麻薬中毒者)、Lesivo(レシボ=有害な)の4人だろう。ストリートに視覚的かつ政治的・社会的なインパクトを与えることを目的に、それぞれ個人で、あるいはBogota Street Artというコレクティブとして、一目で「あ、これは○○だ」とわかるメッセージ性の強い作品を描き続けている。また、作品集を自費出版したり、ストリート・アートをテーマとしたトークセッションを行うなど、ストリート文化のオピニオン・リーダーの役割も果たしているようだ。写真④から⑦は、彼ら4人が一つの壁で合作した作品である。

④格差社会を風刺しGuacheの作品

④格差社会を風刺しGuacheの作品


⑤“ボゴタのバンクシー”と言われるDjLuのステンシル。彼は、建築家・写真家で、大学で教鞭も執っている。「ストリートを単に移動の経路ではなく、今起こっている何かに気づく場にしたい」という彼の、パイナップル爆弾や機関銃をモチーフにした反戦ピクトグラムは、街の至る所でで発見できる

⑤“ボゴタのバンクシー”と言われるDjLuのステンシル。彼は、建築家・写真家で、大学で教鞭も執っている。「ストリートを単に移動の経路ではなく、今起こっている何かに気づく場にしたい」という彼の、パイナップル爆弾や機関銃をモチーフにした反戦ピクトグラムは、街の至る所でで発見できる


⑥Toxicomanoはコンシューマリズムや支配階級を批判する作品で知られている。モヒカン頭の「エディ」は、資本主義社会からのはぐれ者キャラクター

⑥Toxicomanoはコンシューマリズムや支配階級を批判する作品で知られている。モヒカン頭の「エディ」は、資本主義社会からのはぐれ者キャラクター


⑦資本主義の搾取と富裕層の退廃を風刺するLesivo。右下の王冠をかぶったキャラクターは、ウリベ前大統領のカリカチュアらしい

⑦資本主義の搾取と富裕層の退廃を風刺するLesivo。右下の王冠をかぶったキャラクターは、ウリベ前大統領のカリカチュアらしい



女性のグラフィティ・アーティストも多数活動しており、最も知られているのがBastardilla(スペイン語で“イタリック”の意)という覆面ミューラリストだ。自身の経験から、レイプ、DV、フェミニズム、貧困などをテーマに、力強い色彩とタッチで描いている。

⑧Bastardillaによる巨大なミューラル

⑧Bastardillaによる巨大なミューラル


一方、社会的なメッセージ性より、壁画としての表現を追求するタイプのアーティストもいる。Stinkfishは、街で見かけた人物のスナップ写真を用いてその顔を巧みにステンシルしている人気ミューラリスト。個人としての活動のほかに、APCというゆるやかなクルーを結成して、協働製作している場合も多い。Rodez・Nomada・Malegriaの3人は親子で活動しているアーティストだ。イラストレーター、デザイナーとして長いキャリアをもつ父のRodezは、先にグラフィティを始めていた息子のNomadaに勧められてストリート・アートの世界に入ったという。“目”が印象的な彼らの作品はボゴタのストリートでも際立っている。グラフィティ・ツアーのガイドを務めるクリスチャンの作品も市内各所にあった。人物や動物のステンシルをコラージュした壁画のほか、ストリートのアクセサリーとしてさりげなく壁に貼り付けられた小さな陶製のマスクも彼の作品である。

このようにアーティストそれぞれ作風や方向性は異なっていても「ストリート・アートは都市生活への“intervention(介入)”であり、街をを生き生きとさせるもの」という意識は皆に共通し、お互いの作品をレスペクトしているという。

⑨Stinkfishのステンシル。「グラフィティは都市を再生させる手段だ」と彼は言う

⑨Stinkfishのステンシル。「グラフィティは都市を再生させる手段だ」と彼は言う

⑩Rodezは、息子のNomadaからグラフィティのテクニックを習ったという

⑩Rodezは、息子のNomadaからグラフィティのテクニックを習ったという

⑪Nomada   ⑫Malegria

⑪Nomada ⑫Malegria

⑬グラフィティ・ツアーの案内人Crispのミューラル。彼はオーストラリアからイギリスを経て3年前にボゴタに移住

⑬グラフィティ・ツアーの案内人Crispのミューラル。彼はオーストラリアからイギリスを経て3年前にボゴタに移住


⑭右がCrispの陶製マスク。壁からはがしてお土産に持って行く人がいるので、なるべく高いところに貼るのだとか

⑭右がCrispの陶製マスク。壁からはがしてお土産に持って行く人がいるので、なるべく高いところに貼るのだとか

このように紹介するとボゴタはストリート・アート天国のように思われるかもしれない。しかし、問題がないわけではない。2年前、グラフィティを書いていた16歳の少年が、警官によって不当に射殺された事件をきっかけに、グラフィティの規制と容認に関して論議が高まっている。市当局は、歩道、バス停、信号機、病院、学校、墓地など禁止する場所を指定するとともに、ボゴタの都市文化に寄与するグラフィティは推進すべきだとして、一定の区域に限って積極的に認める方針だという。そのパイロット・プログラムとして、この夏、市の芸術振興組織が5組のアーティストを選びダウンタウンの幹線道に大規模な壁画を制作するイベントを行った。こういった試みによって、アーティストは大作に取り組むチャンスを得、市はツーリズムにもつながる良質のミューラルを得ることができる。しかし、ストリート・アートがオフィシャルなものになってしまうと、「都市環境への招かれざる介入」というグラフィティが本来持っているパワーが失われてしまうという反論もある。

ボゴタのストリート・アートは、今後、コミッションによる“パブリック・アート”としてのミューラルとゲリラ的なメッセージとしてのグラフィティに、二極化していくかもしれない。

(文/写真:秋葉美知子)

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市民の声でつくる世界最大のアートショー
イギリス中がアートで満たされるプロジェクト「Art Everywhere」

「2013年夏、イギリスが世界最大のアートギャラリーとなる」
この夏、街頭広告スペースを使ってイギリス中をアートで溢れさせようというプロジェクト『アート・エブリウェア(Art Everywhere)』が注目です。

Freud

Lucian Freud, Man’s Head (Self Portrait I), 1963, Whitworth Art Gallery


『アート・エブリウェア』は、市民の投票で選ばれたイギリス美術を代表する美術作品を看板ポスターに印刷して、イギリス全土の街頭広告スペースを埋め尽くそうというプロジェクトです。期間は8月10日〜25日の2週間、少なくとも15,000カ所のビルボードやバス停などの広告スペースに展示されることになります。

イノセントグループ(イギリスで大人気のスムージーブランド)の共同設立者であるリチャード・リードと、ナショナル・ファンドレイジング・チャリティーアート・ファンドテイト美術館のコラボレーションで始まったこのプロジェクトは、ポスター印刷会社と街頭広告の運営会社の協力で実施されます。

このプロジェクトの主役はイギリス中の市民の方々。ウェブサイトで公開されている候補作品のリストから、Facebookの「いいね」ボタンでお気に入りの作品に投票でき、人気トップ50位の作品が実際にポスターとなり展示されます。(7月10日に投票は終了)

また、クラウドファンディングによるサポートで「パトロン」となることもでき、3ポンド(約450円)の寄付金額が1枚のポスター作成のための資金になります。さらに15ポンド(約2,250円)以上の寄付で、英国人アーティストのロブ・アンド・ロベルタ・スミス(Rob and Roberta Smith)のエディション作品などがリターンとして送られるなど、キックスターター式の今風で親しみやすい仕組みが取り入れられています。

MCM

Michael Craig-Martin, Inhale (Yellow), 2002, Manchester Art Gallery


リードによる発案で始まったこのプロジェクトの狙いは、イギリス美術史上の傑作を分かち合える祭典とすること。そして何よりもアートが街を行き交う多くの人々の目に留まることによって、人々がギャラリーに足を運ぶきっかけになればと期待しています。

また、ロゴやエディション作品を提供し、プロジェクトを深くサポートしているロブ・アンド・ロベルタ・スミスは、プロジェクトが子供たちに良い影響を与え、美術を選択科目にしたり、美術学校にいくきっかけとなることを望んでいます。

サポートアーティストの1人、ダミアン・ハースト(Damien Hirst)も「アートはすべての人のためにあるし、みんなアートの恩恵を受けられるべきだと思っている。自分たちがストリートで見たい作品を選べるなんて、イカしたプロジェクトじゃないか」とコメント。

Constable

John Constable, Salisbury Cathedral from the Meadows, c.1831,Tate


日本でも個展が話題のフランシス・ベーコンを始め、クラシックからコンテンポラリーまで網羅した候補作品の充実さもさることながら、このプロジェクトの一番の魅力はなんといっても市民の人たちが関わるプロジェクトだということ。作品を選んだり、寄付をしたり、観賞するだけではなくて楽しくコミットできる仕組みで、市民に寄り添ったアプローチが好印象です。

思い入れのある作品やお気に入りの作品を選ぶ市民の声によって、企業の広告の代わりにアート作品を街の中に溢れさせる『アート・エブリウェア』プロジェクト。今年のイギリスの夏はきっと人々の豊かな気持ちで満たされるでしょう。

投票はこの記事の公開時点で締め切ってしまっていますが、寄付はまだまだ受付中。ウェブサイトで紹介されている寄付金額に応じたリターンは日本にも発送可能とのことなので、海の向こうにあるイギリスの街角にポスターを1枚贈る気持ちでサポートしてみてはいかがでしょうか。

(文:井出竜郎)




AE Logo

Art Everywhere
arteverywhere.org.uk

(イギリス全土で開催、2013年8月10日〜25日)



参照サイト:The Guardian “British art to take over billboards in plan to make UK world’s largest gallery”
http://www.guardian.co.uk/artanddesign/2013/jun/07/british-art-take-over-billboards

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「マディソンスクエア・パーク」のパブリックアート・プログラム
  Madison Square park – Public Art Program
  ―都市公園とコンテンポラリー・アート―

マディソンスクエア・パーク

マディソンスクエア・パーク


マディソンスクエア・パークは、ニューヨーク市マンハッタンのマディソン街とブロードウェイに挟まれた23丁目~26丁目に位置する都市公園だ。その広さは25,000㎡で、およそ東京の日比谷公園の約1/6程度の面積しかない。しかし、歴史的な建築として有名な「フラット・アイアンビル」(1902年竣工)や「エンパイア・ステートビル」(1931年竣工)がすぐ側に見えるという抜群なロケーションにある。スポーツアリーナやコンサート会場で有名な「マディソン・スクエア・ガーデン」とよく勘違いされるが、ミッドタウンの落ち着いたエリアにあり、都会的な雰囲気のある公園だ。ここを管理するのは「マディソンスクエア公園管理局(The Madison Square Park Conservancy)」という非営利管理団体で、ニューヨーク市公園局と連携して、公園内の植栽のメンテナンスや安全管理はもちろんのこと、文化芸術プログラムを実施しているのが特徴だろう。

公園としてのヒストリー
マディソンスクエア・パークは、ニューヨークの中でも活気の溢れる公園の1つだが、今日の姿に至るまでには地元の人びとによる努力の積み重ねがあった。
第4代大統領ジェイムズ・マディソンからその名がつけられ、1847年から都市公園としての長い歴史を持っている。19世紀の終わり頃、この周辺はマンハッタンで最も高級なエリアであったが、1990年代に公園は荒廃していった。ここまではマンハッタンの主要な公園によくある歴史だといえる。実際、数ブロック上にあるもう一つの人気公園の「ブライアント・パーク(Bryant Park)」も同じような憂き目に合い、一時は麻薬と犯罪がはびこる恐ろしい場所に陥ってしまった。マディソンスクエア・パークも、それまでの美しく歴史的な景観は破壊され、うす暗く危険な公園へと変わってしまったのだ。

整備の行き届いた美しい芝生

整備の行き届いた美しい芝生


この問題を解決するため、都市公園財団(マディソンスクエア・パーク管理局の前身)は公園再生のキャンペーンを行なった。その結果、メトロポリタン生命保険、ニューヨーク生命保険などの企業や個人から600万ドルの寄付が集まった。さすが寄付文化が根ざしたアメリカだという声があがるところだが、その後、マディソンスクエア・パーク管理局に変わってからも公園のメンテナンス費用として400万ドルを集めている。
その資金をもとに、公園を19世紀当初の美しいランドスケープに修復し、再びマンハッタンの生活の中心の場となるべく努力を続けた結果、青々とした芝生が再生され、色とりどりの花々や低木などの植栽が戻り、噴水は新たな水循環方式に変わった。さらに新しいエントランスや歩道、街燈も整備されていき、新生したマディソンスクエア・パークは新たな住民を呼び寄せていった。こういった努力の積み重ねにより、再び人びとが行き交う活気を取り戻し、安心して憩える空間に生まれ変わったのだ。

公園内の子供の遊び場

公園内の子供の遊び場


今では、「Shake Shack」という人気のハンバーガー店(New Yorkマガジンで“ベスト・バーガー” (2005年)に選ばれた)に人が集まり、屋外のテラス席ではビールやワインを飲む姿を見ることができる。子供の遊び場はもちろんのこと、愛犬用の「ドッグラン」も整備され、さらに(最近ではめずらしくなくなったが)無料のWi-Fiが整備され、ニューヨーカーに重宝されているようだ。


パブリックアート・プログラム
ゆったりした雰囲気のこの公園には、もう一つユニークな文化プログラムがある。公園に現代アート作品をインスタレーションしていくパブリックアート・プログラムで、マディソンスクエア・パーク管理局がマネジメントしている。このプログラムは、国際的に著名なアーティストやまだ経験の浅い新人アーティストを招聘して、公園にために新たに作品を制作してもらうという、いわゆるコミッション(委託制作)方式が取られている。展示期間は約3か月程度で、パーマネント(恒久的)な展示と異なり、テンポラリー(期間限定的)なプログラムで、世界でも一番といえるほど刺激が多いこの街の人びとを引き付ける工夫がなされている。

このプログラムがはじまった当初、2000-2003年の3年間は、NYの老舗的な非営利芸術団体である「パブリックアート・ファンド(Public Art Fund)」が運営を担っていた。トニー・オースラーやダン·グラハム、マーク・ディオン等の大物アーティストが招聘され、大いに話題を集めた。その後、アートプログラムの担当者を管理局内に置くこととなり、これまでにマーク・ディ・スベロ(2005年)、ソル・ルウィット(2006年)、ロキシー・パイン(2007年)、リチャード・ディーコン(2008年)、川俣正(2008年)、ラファエル・ロサノ=ヘメル(2009年)、アントニー・ゴームリー(2010年)、ジェウメ・プレンサ(2011年)、レオ・ビジャレアル(2013年)等の大物アーティストにコミッションを依頼している。

気になるのはその運営資金だが、ニューヨーク文化部門から公的サポートを受けている他に、多くの民間企業や財団、基金などからの寄付によって成り立っているという、街のなか芸術活動へのサポートが少ない日本と比較すると羨ましい限りだ。
このプログラムに関して、行政側の評価もまずまずで、たとえば、現代のメディチとも言われアート擁護派で有名なブルームバーグNY市長は、「マディソンスクエア·パークは、ニューヨーカーや観光客が好む場所となった。これにはコンテンポラリー・アートプログラムが大いに貢献している。」とご満足の様子だ。

マディソンスクエア・パークのパブリックアート・プログラムの詳細については、「マディソンスクエア・パーク管理局(The Madison Square Park Conservancy)」のHPを参照の事。



Orly Genger’s “Red, Yellow and Blue” (2013) at Madison Square Park
(2013年5月2日〜9月8日まで)

Red, Yellow and Blue (2013)

Red, Yellow and Blue (2013), Orly Genger


2013年5月には、オルリー・ジェンガー(Orly Genger)(※1)による『Red, Yellow and Blue』が展示された。作品タイトル通りに赤、黄、青といったカラフルな彫刻的インスタレーション作品だ。公園全体に海の波のようにうねる140万フィート(約426.72km)のロープが創る造形で、マンハッタンのほぼ20倍の長さに及ぶ再利用のロープが使用されたというから驚きだ。3500ガロン(約13,230ℓ)の塗料を使い、完了までには2年以上かかったという。ここでの展示が終わる9月の後は、ボストン郊外にある『deCordova Sculpture Park Museum』に移設される。

作品のそばで憩うニューヨーカーたち

作品のそばで憩うニューヨーカーたち


『Red, Yellow and Blue』は、季節の花々に彩られ緑の木々に覆われたこの公園の中に“上質な介入”をし、公園の景観を鮮やかに変質させている。
解説によると、この作品タイトルである、Red, Yellow,Blueは単に作品の色を表わしているのではなく、「カラーフィールド・ペインティング」でその名を知られるバーネット·ニューマンによる1960年代後半のシリーズ作品『Who’s Afraid of Red, Yellow and Blue?』からヒントを得ているという。ジェンガ—は、リチャード·セラやフランク·ステラのミニマルリズムの伝統を踏襲しつつ、かつ彼女自身の美学を追求しているようだ。
加えて、作品素材であるロープを“編む”という行為は、どこか親密でドメスティックな女性性を感じさせ、女性の表現の一つであった手芸の伝統を思い起こさせる。しかしその一方で作品のスケール感やモノリシックな表現は“男性的”で揺るぎのない構造を同時につくりだしているといえるだろう。

Red, Yellow and Blue (2013)

Red, Yellow and Blue (2013), Orly Genger


(※1)オルリー・ジェンガー Orly Genger(1979〜)
ニューヨーク市ブルックリン在住。2001年ブラウン大学から学士号を取得、2002年シカゴ・アート・インスティテュートで学ぶ。



(文:Yasuyo Kudo)

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光を共有するということ。
オラファーエリアソンの「Little Sun」プロジェクト

3331を照らす「Little Sun」
Photo: Art & Society Research Center


デンマーク生まれのアイスランド人アーティスト、オラファー・エリアソン(Olafur Eliasson)は「光」を自己の表現に取り入れてきた。
ロンドンのテイト・モダンで2003年に展示した「ウェザー・プロジェクト」では、鬱屈なロンドンの曇天にウンザリしているロンドン子へのプレゼントであるかのように、美術館の入り口となっている吹き抜けのターバイン・ホールに巨大な太陽を再現したインスタレーションを作り出し、一躍世界の注目を集めた。

Olafur Eliasson, The Weather Project
© Olafur Eliasson, Photo © Tate 2003


そしてオリンピック・イヤーとなった2012年のロンドンで、今度は手のひらに乗る程の小さいサイズになった太陽でこの街を照らした。オリンピックと併催された文化振興プログラム「ロンドン2012フェスティバル」に招待されたエリアソンは、新しいプロジェクト「Little Sun」を、2012年7月28日にテイト・モダンにて披露した。
(オリンピック憲章では、開催国はオリンピック開催期間中に文化的なイベントを開催することが求めている。2012年には、イギリス全土で12000個のイベントやパフォーマンスが、実に2万5千人もの世界中のアーティストが協力して各地で開催された。)

この「Little Sun」プロジェクトで、エリアソンはエンジニアのフレデリック・オッテセン(Frederik Ottesen)と協力して、その名が示す通り太陽を模した形のソーラー発電式ライトを2年がかりで開発した。このライトの機能は極めてシンプル。5時間の太陽光発電による充電で、夜間の照明として利用でき、3年ごとのバッテリー交換で最大20年は使用できる設計となっている。光源としてLEDを利用しており、明るさも申し分ない。大きさも手のひらに乗るサイズで持った感触も心地よく、誰にでも優しいデザインになっている。

そしてこのプロジェクトで注目すべき点は、「光」に強い関心を抱いて作品をつくり続けてきたエリアソンのアート作品であると同時に、ソーラーライトを世界中で販売するビジネスプロジェクトであり、そして日常的に電灯設備が整っていない地域に住む人々に「光」を届ける慈善事業でもあるということだ。

Olafur Eliasson and Frederik Ottesen, Little Sun, 2012
Photograph: Merklit Mersha


現在、世界では16億人の人々が電気にアクセスできない地域に住んでいる。これは世界人口の5人に1人は電気のない生活を送っていることになる。都市のように電力インフラが整っている地域では夜もスイッチ一つで部屋を明るくできるが、電力のインフラがない地域の人々は、灯油ランプを光源として頼らざるを得ない。燃料である灯油の価格高騰やランプの煤による健康被害(灯油ランプを一晩利用すると、一日に煙草2箱分を喫煙するのと同等の影響を受ける)など多くの問題を抱える灯油ランプは決して理想的な光源ではない。

先日ハリケーン「サンディ」の被害に見舞われて、暗転したマンハッタンを空撮したニューヨーク・マガジンの表紙が記憶に新しいが、福島第一原子力発電所の放射能放出事故から続く電力エネルギーの問題に象徴されるように、電力と明かりが生活にもたらす影響は大きい。スイッチ一つで明かりがつくことが当たり前になっている先進国に住む我々にも、電力エネルギーの在り方を改めて考え直すことが必要だ。
しかし、電力エネルギーは人間の生活に必要不可欠なインフラであるが、世界にはそもそも電気にアクセスすることもできない人々もいる。エネルギーの不均衡さが存在していることは、憂慮すべき大きな事実だ。

この電力エネルギーの不均衡な現実に対して、エリアソンが疑問を抱き美術作家として作り出したのが「Little Sun」だ。「人々が限りある天然資源を持続していく生活を続けていく為に何が必要なのかを再び考え直し、これから話し合っていく必要があるのではないか」とエネルギーの問題に対してアートの観点から提言している。

Olafur Eliasson and Frederik Ottesen, Little Sun, 2012
Photograph: Studio Olafur Eliasson


このプロジェクトでは、2013年までに50万個のライトを電力のない地域の人々に届け、2020年までに5000万個のライトを流通させることを目指している。エリアソンは、「Little Sun」によって、より安全で明るい、健康被害のないクリーンな光を得ることができ、子供は夜の時間でも教育の機会を得られ、大人も夜も仕事を続け生活に必要な収入を増やすことができ、彼らの生活が向上されることを期待している。

このライトの価格設定は2通りになっていて、電力インフラが整っている地域では€20で、電力にアクセスできない地域では$10で販売される。この価格差で電力インフラが整っていないエリアでも安く流通させることが可能となっている。$10という価格はバッテリーの交換が必要となる3年間の利用でも、灯油ランプよりも90%も安く費用を抑えられる。

電力エネルギーと明かりは、暗くなっても安心できる生活だけではなくて、現代までに人々の様々な活動を支えてきた。我々の祖先が火を洞窟に持ち込みその明かりで原初の美術である洞窟壁画を描いたように、明かりがあってこそ視覚芸術が常に発達し続けてきている。光と人間は決して損なわれない強い絆で結ばれている。

現時点では「Little Sun」はヨーロッパとアメリカにのみ発送となっており、アジアへの発送開始が待たれるところだ。時期がきたら、ぜひこのライトを購入してプロジェクトを支援してほしい。日が暮れてもスイッチを押せば明るくなる便利な現代社会、もう一度日々の生活における電力エネルギーと光の在り方を考え直すきっかけにしてみてはいかがだろうか。

Olafur Eliasson with Little Sun
Photograph: Tomas Gislason, 2012


「Light is for everyone ー 光をみんなのもとに」
美術館やアートの枠組みから飛び出し、オラファー・エリアソンの光は世界中に広がっていく。「Little Sun」プロジェクトは、光を使って人々の知覚的な興味を刺激するような視覚芸術を常につくり続けてきた作家らしいアプローチだ。この長期的なプロジェクトはまだ始まったばかりだが、エリアソンの光は、これから我々をどこに導いてくれるだろう。

Little Sun
http://www.littlesun.com


(執筆:井出竜郎)

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国際シンポジウム 地域・社会と関わる芸術文化活動のアーカイブに関する
グローバル・ネットワーキング・フォーラム

GLOBAL Networking FORUM
GLOBAL NETWORKING FORUM
Archives for Cultural & Art Activities related to Social Environment
国際シンポジウム
地域・社会と関わる芸術文化活動のアーカイブに関するグローバル・ネットワーキング・フォーラム

2013.2.13.WED 18:00-21:00
会場_国際交流基金 JFICホール「さくら」

アクセスマップはこちら

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P+ARCHIVE レクチャー&ワークショップ2011「実践 アート・アーカイビング」参加者募集

P+ARCHIVE レクチャー&ワークショップ2011「実践 アート・アーカイビング」

「実践:アート・アーカイビング」は、アート・アーカイブへの理解を深めるためのレクチャーや、文書管理の基礎的なスキルを学ぶ連続ワークショップを通じて、アート・アーカイビングにかかわる実践的な人材育成を目指します。
そこで、この度レクチャー、ワークショップへの参加者を募集いたします。
アート・アーカイブに関心のある方、学生、NPO関係者、アーティスト、アート活動に関心のある方どなたでも参加できますので、ご興味のある方はお気軽にご応募ください。
先着30名の募集となっていますのでお申し込みはお早めに。

→詳細、応募フォームはこちらから

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デジタル・アーカイブ公開のお知らせ

デジタルアーカブ
国内外の「地域、社会に関わるアート」の関するプロジェクトの基礎データを紹介しはじめました。プロジェクト名、作品タイトル名、アーティスト名などで検索ができます。

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アンドレア・ジッテル インタビュー / ハイデザート・テストサイトの軌跡

磯山智之

ロスアンジェルスから東へ約220キロ、フリーウェイ10号線から分岐した62号線は、北へ向かい一気に高度を稼いだあと、ジョシュアツリー国立公園の北端を縫うように東進する。南側には海抜150mから1500mに跨がる国立公園の砂漠の奇観が続く。アンドレア・ジッテル1主催の『ハイデザート・テストサイト』(HDTS)は、このフリーウェイに沿って点在する砂漠のコミュニティを舞台にした壮大なアート・プロジェクトである。恒久的な作品の設置だけでなく、毎年夏には期間限定の展示やイベントも数多く行われ、地元には現代美術のひとつのありようとしてすっかり定着した。

しかし、HDTSを体験するのは容易ではない。一番西のサイトから一番東のサイトまで直線距離で80キロ以上、すべてを見ようとすれば2日あってもたりない。ましてや、いくら地図があるといっても、目印の少ない灼熱の砂漠で目的のサイトに一発で辿り着くなんて不可能に近い。行ったり来たり、砂漠の只中で道に迷うこともHDTSの醍醐味である、とアンドレア自身も言っている。

2000年にジョシュアツリーに住居を構えて以来、アンドレアと友人達とともに私財を投じて近隣の土地を購入し、アーティスト達に表現の場を提供してきた。何が彼女を突き動かし、何を彼女はこの砂漠の酷い照り返しの下で見てきたのだろう。七年に亘るHDTSの活動をアンドレアに振り返ってもらった。


Allen Compton (from HDTS 3) / Photo credit: none

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