第3回 「Community」前半を読む (2013年10月18日)
 Education for Socially Engaged Art
 — A Materials and Techniques Handbook —

Ⅱ Community (前半pp.9〜18) を読む

    SEAがコミュニティの絆を築く限りにおいて成功か? アートとソーシャル・ワークとの違いとは?

    <A. コミュニティの構築>
    <B. 多層的な参加の構造の構築>サマリー
    SEAプロジェクトはコミュニティと強い関係性をもち、コミュニティ構築のメカニズムとなっている。しかし、SEAはどのようなコミュニティの構築をめざしているのだろうか? SEAがコミュニティの絆を築く限りにおいて成功か?SEAのゴールは社会の価値を肯定する(調和)のか、社会の課題を非難する(対決)のか。 
    SEAの場合、そのプロセスそのものが社会的であり、一般の人びとが受け手という役割を超えて活動し、プラットフォームやネットワークを形成し、プロジェクトの効果が長期的に継続されることが強調される。そのなかで起こるインタラクションには、名ばかり、シンボリックなインタラクションと、アイディア、経験、コラボレーションが徹底的、深層的、長期的に交換される場合とがあり、それらは同等視できない。なぜなら、両者のゴールは違うからである。
    SEAでは多様な参加の層があり、実験的に、1. 名目の参加、2. 指示された参加、3. 創造的な参加、4. 協働の参加に分類できる。このような参加の枠組は、ゴール、作品評価、コミュニティ構築手法の評価に深く関係している。加えて、ソーシャル・ワークの場合のように、自発的、強制的、無意識など個々人の参加のあり方を認識することも重要である。

    ディスカッション

     

  • 参加者、鑑賞者、オーディエンス、ビジターなど、アート特有のことばもでてくるが、参加のレベルによる呼称の差異なども認識すべきである。
  • コミュニティの絆を築く限りにおいて成功か?社会の危機的状況や課題を顕在化させ、解決策を見つけようとする、政治的または反体制的な活動もあるだろう(Santiago Sierraの事例など)。
  • SEAのクライテリアや評価の軸は、その多様性ゆえの微妙なぶれが見られる。
  • アートとしてのアウトプットか(Bishop)、対話によるコミュニティ形成か(Kester)の議論があるが、そのバランスのあり方、アートとしての存在価値などを踏まえながら、我々もSEAのクライテリアと評価の軸を明確化していく必要がある。
  • アーティストの役割とは?ソーシャル・ワーカーではない、アーティストでなければならない特性とは?これを明確化することは、アーティストの教育の場で役立つだろう。
  • プロジェクト終了後も、参加者が自分たちで継続していけるようempowerされることが重要とあるが、その場合、アーティストの意図から新たな展開に向かうこともある。
  • その場合、アーティストのauthorshipとコミュニティのownershipの問題もでてくるだろう。
  • 著者は参加のレベルが1→4に向かうに従って成功につながるという考えであるといえるだろう。
  • 長時間のわたり地域にコミットするSEAはベストなプラクティスにつながると言っている(例 France Morinの活動)。めざすゴールが何なのか?観光振興、まちおこしに終わっていないか?を見極める必要がある。
  • 歌や音楽の場合、再現性が高く、拡がりやすいので、むしろ多くの人びとに共有され、個々人の意識に影響を与える可能性が高いのではないか?
  • アートはより直接的な介入、フェース・ツー・フェースのつながりによる活動が主流である。それによるメリットがあるはずである。アーティストの存在価値につながる可能性?
  • 一方で、藤浩志の「かえっこ」のように、OSを提示した後はアーティストが不在でもシステムとして機能するようなプロジェクトもある。
  • 今後、より多様なSEAの事例を検討して、参加のレベル、個々人の参加のあり方による結果の違いについて明確化していく必要がある。
  • (モデレーター 清水)

| |