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2019.11.29

レポート|東京藝術大学大学美術館「藤田嗣治資料」

2019年6月7日に東京藝術大学大学美術館を訪問した今回のツアーでは、アーカイブズ資料そのものに注目し、大学が所蔵する「藤田嗣治資料」のアーカイブについてレクチャーいただきました。同館助教の岡本明子さんを講師として、アーカイブ構築に実際に携わったご経験から、そのプロセスと藤田資料の特徴についてお聞きしました。

藤田嗣治資料のアーカイブ活動

藤田嗣治資料は、夫人であるFOUJITA Kimiyo氏のもとに残された藤田当人の遺品で構成されており、2010年に東京藝術大学に一括寄贈されました。その総数は5,808件[1] にも及び、藤田本人が作成した日記、書簡、写真や映像記録など貴重な一次資料がまとまって残されています。多くの資料には細かいメモが書き込まれていて、藤田が記録好きな几帳面な性格だったことを物語ります。例えば日記には、その日に食べたもの、天気、会った人、使ったお金の金額など仔細に書き残していたことから、作品だけではうかがい知れない人物像が伝わってくる貴重な資料であると岡本さんは紹介します。

藤田資料のアーカイブ構築は科学研究費助成事業によって4年の長期プロジェクトで取り組まれました[2]。この取り組みで目指すアーカイブの目的として、岡本さんは次のように捉えて進めていったそうです。

  • 一括寄贈された藤田資料は、残されたままの「まとまり」を記録し、残すということ
  • 貴重な資料を劣化から守り「保存」すること
  • 「保存」と資料への「アクセス(活用)」を両立させること

アーカイブすることは資料の保存だけでなく、活用したいときに必要な資料にアクセスできることも同時に求められます。そのために、まずは5,808件の資料を構造的に分類し、固有番号URN(uniform resource name)を付与することから、藤田資料の整理が進められていきました。

分類による構造化と固有番号の付与

寄贈された資料群は整理を効率的に進めるために、まずは大きく次の2つの分類に分けられました。
「A 単独的なもの」=原本しか残されていないオリジナルの一次資料
「B 複数あるもの」=藤田が収受した印刷物・発行物
さらに、それぞれの分類ごとに資料の形態や種別によって細分類、細々分類を作って階層構造上に細かく分類し、その系列ごとに作成年代順に整理されています。この分類によって作成したカテゴリーリストはウェブサイトにて公開されています。

美術館サイトで公開されているカテゴリーリスト(の一部)

また、調査の過程で資料のタイトルが更新される場合もありますが、最初の整理段階で固有番号(URN)を付与することで、目的の資料を常に特定できるようにしています。例えばパスポート「日本国外国旅券」のURNは「FT00596」として登録されています。

資料ページの例

目録記述のルール化

次のステップでは、資料一点ごとに仔細に調査し、資料に関する情報を網羅的に記録する「目録」を作成していきました。目録作成は、作業者ごとにタイトルのつけ方に迷いが出てしまうことがあります。そこで、岡本さんたちは資料のどの文字情報をタイトルとするか分類ごとに凡例を定めて作業を進めました。例えば、手紙であれば「名称は基本的に書簡の差出人とし、藤田が差出人の場合には、差出人と宛先を併記した」と凡例を定めています。

資料整理と目録記述には、様々な人たちの協力がないと進められなかったと岡本さんは振り返ります。多くの作業者が関わっていても、ルール化によって統一した記述方法で目録が作成できました。中には、スクラップブックに貼られたフランス語の記事を判読するために、パリに留学した藝大生に協力してもらうなど、幅広いネットワークによる協力が得られました。

特徴的な写真資料

様々な媒体で構成される藤田資料の中でも、特に写真資料が多いのが特徴であるそうです。作品の写真だけでなく、個人的なスナップ写真も多数含まれていて、写真裏のメモ書きや、遺族の方への聞き取りによって写真に写っている人を特定し、備考として記録をつけていきました。

写真資料には、紙焼き写真だけでなくポジ・ネガフィルムも多く残されています。フィルムの保存のために、劣化した紙製マウントから新しいプラスチック製マウントに入れ替え、元の収納順のまま「アーカイバル・バインダー」に収納していったそうです。藤田直筆のメモ書きが書き込まれていたオリジナルの紙製マウントも、参照できるようにバインダーで保管されています。

アーカイバル・クオリティの保存環境

作成から数十年が経過した藤田資料の多くは劣化が進んでいるため、長期保存に適した「アーカイバル・クオリティ」の中性紙製のアーカイバル・バインダーやアーカイバル・ボックスに収納されています。中性紙は劣化した資料から発生する酸化ガスの発生を抑え、劣化しやすい環境から資料を守ることができるため、美術館では広く利用されています。

古いものは1900年代初頭の資料も含まれ、日記帳のように製本された資料は閲覧のたびに製本部分に負荷がかかり破損する懸念がありました。そのために製本資料は1ページずつスキャンまたは撮影しすべてデジタル化されました。デジタル画像で閲覧できるようになったことで、原本を閲覧による劣化からも保護しています。

データベースの公開

 藤田資料に関する情報は「東京藝術大学大学美術館研究資料データベース」に公開され[3]、資料の分類からの検索やキーワード検索ができます。一方で、データベース上には資料のデジタル画像は公開されていません。藤田の著作権の保護期間は残存しており、画像をインターネット上に掲載するためには権利保護団体の許諾を得る必要があります。すべての画像の許諾を得て使用料を支払い続けることは実質的に困難であるため、現時点では画像は掲載していないそうです[4]

アーカイブから浮かび上がる藤田の人物像

東京美術学校(現・東京藝術大学)で学んだのちパリに移り、日本とフランスを行き来するドラマチックな生涯を過ごした藤田の人物像は資料にも表れています。

藤田は、東京国立近代美術館に保管・展示されている戦争画を描き、日本の画壇から戦後に「戦争協力者」と非難を受けたことはよく知られています。その時期に藤田が書いた1950年3月4日の日記には、自分の絵を受け入れてくれるパリに行く決意を記した文章に線が引かれて強調されていることが調査で明らかになりました。線を引いたのが藤田本人か夫人か、またいつ引かれたのかはっきりしていませんが、パリ移住を決めた藤田の思いの一面を資料から読み取ることをできます。また、欠かさず記録していたはずの日記ですが、戦時中のものは不自然なほどに残されていません。この時期の日記が欠けている理由を確かめる手段はなくとも、その空白から語られる背景があるようです。

藤田が1955年に肖像画を描いた生物学者ジャン・ロスタン氏との交流についても紹介いただきました。二人の手紙のやり取りや資料が多く残されていたことからも交流が深かったことを読み解くことができるそうです。その中には、パリのカルナヴァレ博物館に所蔵されるロスタン氏の肖像画と同じポーズを取った本人の写真や、肖像画の背景に描かれた様々なモチーフを撮影した写真もあります。一連の写真は「肖像参考」と書いたケースにまとめられており、藤田自身が肖像画を描く際に参考にしていたことが分かります。目録を作成することによって複数の資料同士の繋がりが分かるようになった一例ですが、今後は研究利用によってさらに様々なコンテクストが明らかになっていくことが期待されているそうです。

アーカイブの価値

岡本さんのレクチャーを終えて、参加者の皆さんで普段は公開されていない藤田資料を実際に手にとって閲覧しました。藤田自身に興味がある人はもちろん、アーカイブの観点からも岡本さんに多くの質問が投げかけられ、アーカイブ活動に関する理解を深めていきました。作成された時代の空気を留めたオリジナル資料は、作者自身が残した貴重なメッセージと言えます。それを活用しやすいように整理しアーカイブとして将来にわたって保存し続ける活動について、実際にプロジェクトに関わった岡本さんから直接話を伺える貴重な機会となりました。

一般的に美術館に収蔵される作品と異なり、作家に関するアーカイブを積極的に収集している美術館は国内ではまだ数が限られています。東京藝術大学では収蔵品を「芸術資料」と位置づけ、教育・研究のために活用する目的に沿って、今回のレクチャーで紹介していただいた藤田嗣治資料のように美術資料(アーカイブ)も収集してきました。これからは、全国の美術館でも美術資料をアーカイブしていく動きが広がり、研究利用がさらに活発になっていくことに期待したいと思います。

(文:NPO法人アート&ソサイエティ研究センター 井出竜郎)


東京藝術大学大学美術館 
The University Art Museum, Tokyo University of the Arts

〒110-8714 東京都台東区上野公園12-8
https://www.geidai.ac.jp/museum


[1] 目録の登録件数であるため、資料一点ずつのアイテム単位の総数はさらに増える。

[2] 文部科学省科学研究費補助金(2012年度~2015年度)「遺品調査による藤田嗣治研究ー君代夫人旧蔵資料のアーカイヴ化と公開ー」(基盤研究(B))の成果の一部として公開

[3] 収蔵品管理システム「I.B.MUSEUM SaaS」で構築された。

[4] 本来であれば藤田の死後50年となる2018年に著作権の保護期間は満了するはずであったが、2018年にTPP関連法案の成立による法改正があり、著作権の保護期間を50年から70年に延長。それによって、藤田の著作権の保護期間も2038年まで延長された。