A BLADE OF GRASS ア・ブレイド・オブ・グラス 第1号 2018年秋
—ソーシャリー・エンゲイジド・アートについてのマガジン—

『ア・ブレイド・オブ・グラス』 日本語版を発刊

『ア・ブレイド・オブ・グラス』は、ソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)に取り組む米国のアーティストに対し、プロジェクト資金の助成と活動支援を行っている非営利芸術団体「A Blade of Grass(ABOG)」が2018年秋に創刊し、ウェブサイトで公開している年2回刊のマガジンです。

ABOGのプログラムが類似の助成事業と異なる特徴は、支援したプロジェクトに対して単に資金提供するだけでなく、実践の現場を継続して追いかけ、リサーチ、レポートし、ドキュメンタリー映像の制作までを行い、公開している点です。 ABOGのエグゼクティブ・ディレクター、デホラ・フィッシャーはこう書いています。「フィールドリサーチ(実地調査)は、金銭的支援を正当化するための“効果査定”とは異なり、SEAプロジェクトが実施されるときの肌触りやニュアンスを極めて豊かに伝えてくれる。私たちはそこから大きな学びを得ている」。このマガジンも、その学びを幅広くシェアし、SEAという領域をより可視化するために創刊されました。創刊号のテーマは「WHERE(どこ)」。日本語版では、ここに収録された記事のなかから以下の5本を選定しました。

  • 創刊号のイントロダクション
  • リック・ロウへのインタビュー
  • ジャッキー・スメルの《ソリタリー・ガーデンズ》を、異なる三者の視点でとらえた記事
  • スザンヌ・レイシーの回顧展のキュレーター、ドミニック・ウィルスドンによるエッセイ
  • アーティスト、ブレット・クックに対するQ&A

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アート&ソサイエティ研究センターは、かねてからSEAを多角的に支援・育成しているABOGの活動に注目してきました。今回、このマガジンの日本語版をみなさまにお届けできることは私たちにとって大きな喜びです。SEAの現場を多様な視点で洞察する記事は、日本の読者にも新鮮な刺激を与えてくれることと思います。今後、タイムラグは少しありますが、順次、日本語版を編集・公開していきたいと考えています。

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Borderのあわいをひらく
釜山ビエンナーレ、光州ビエンナーレの鑑賞に寄せて

今年度からオープンした釜山現代美術館


光州ビエンナーレのメイン会場となったアジア文化殿堂(Asian Cultural Center)

 
 2018年は、韓国にとって歴史的な年となった。軍事境界線、別名38度線の「Border」上に位置する板門店(パンムンジョム)で、文在寅大統領と北朝鮮の最高指導者である金正恩が握手を交わし、手を取り合いながら南北の国境を踏み越えたのである。10年半ぶりの南北首脳会談でのパフォーマンスは世界中に広がり、「朝鮮半島の非核化」宣言とともに人々の記憶に刻まれた。朝鮮戦争終結に向けたエピローグは、文字通り「分断を乗り越える」かたちで始まったと言える。朝鮮半島の融和に向けて未だ多くの問題が山積しているとはいえ、首脳同士が「終戦」を喚起するふるまいを披露したことは、人々に想像上の「終戦」を「真実」として導く活力を与えたのではないだろうか。

 この会談から半年後の2018年11月、筆者は釜山・光州で開催された釜山ビエンナーレ、光州ビエンナーレの鑑賞のために韓国を訪れた。両展はそれぞれ2001年、1995年から続く韓国の代表的な国際展である。前者は今年からオープンした釜山現代美術館に拠点を移し、公募制によって2名のアーティスティック・ディレクターを選出する新たな試みが行われた1。後者においても、北朝鮮のアーティスト集団「万寿台創作社」による作品——インフラ整備の大工事に従事する人々の姿等を通じて社会主義国家のイデオロギーを見事に表現する絵画が展示され、それぞれに今後の展覧会の方向性を左右する新しい動向が見られたと言える。
 また、今年はそれぞれ、「Divided We Stand(分断に立つ)」、「Imagined Borders(想像の境界)」というテーマが設けられた。どちらも朝鮮半島がたどった冷戦による分断をはじめとして、格差、ジェンダー、人種、国境といった、広範かつより複雑に展開される問題を意識し、歴史的・政治的Borderに正面から向き合う決意を感じさせるテーマだと言える。近くて遠い国とも形容される韓国を初めて訪れた筆者にとって、両展覧会はBorderの逆説的可能性、すなわち、あらゆる困難や断絶の象徴であるBorderが、一方でその存在によってオルタナティブな解決策や想像力を生み出す場としても機能しうることを雄弁に語っているように見えた。

 具体的な作品に言及する前にまず述べておきたいのは、両展覧会が、設立経緯やディレクション方針が全く異なるにも関わらず、Borderという同一のキーワードを採用しているという点である。
 「難解と見なされることの多い現代美術をひろく人々に紹介する場」となることをミッションに掲げる釜山ビエンナーレは2001年、表現メディアやアーティストの年齢、テーマがそれぞれ異なる展覧会2が組み合わさってできた、言わばハイブリットの展覧会である。
 一方、光州ビエンナーレの開始はその6年前、全斗煥の軍事政権によって引き起こされた光州事件(1980年)の末に民主主義政権を取り戻し、ようやくその政治責任を問うことのできる風潮になりつつあった時期である。「イデオロギー、領土、宗教、人種、文化、人間性、芸術の区分を超えて、地球市民としてのメッセージを伝える」3という方針のもと行われた第1回は、「Beyond the Borders(分断を超えて)」というテーマが打ち出された。30年以上続いた軍事政権のイメージを払拭するとともに、新たな民主的土壌のもとで「人間と美術との間に新たな関係性と秩序を打ち立てる」4第一歩として、展覧会は光州市民の熱烈な歓待5をもって開催されたという。その理念が現在にまで通底していることは、「Imagined Borders」というテーマ設定を見れば明らかだろう。

旧全南道(チョルラナムド)庁舎噴水広場を背に錦南路(クムナムノ)を臨む。光州事件において、全南道庁舎広場では市民の決起集会が開かれた。錦南路においては戒厳軍と市民が正面衝突し、多くの死傷者を出した。右手のビル壁面には、Nina Chanel Abneyの作品《Untitled》(2018)が展示されている。


錦南路での衝突を今に伝えるパネル。錦南路では、光州事件での出来事を伝えるパネルや石碑が散見された。


石碑と噴水広場の後方左手に現在も建つ旧全南道庁舎。


 こうした経緯を振り返った上で、釜山ビエンナーレディレクターのチェ・テマン(Choi Tae Man)による以下のステートメントは両展覧会に共通するBorderの役割を象徴しているようである。

  “本展の最も重要な目的は、民族国家のような共同体が生き残る上で創出し奨励した「団結」というスローガンを転覆させることです。20世紀において、世界は数々の分断や別離、分割統治、分裂を経験しました。植民地政策時代におけるこうした領土の分割は、先住民を追放し、あるいは支配のイデオロギーに追従する支配階級によって征服するという結果を招きました。第二次世界大戦後に始まった冷戦も、朝鮮戦争の勃発と朝鮮半島の分断を導いたのです。こうした身体的な分断と別離は、私たちの過去に作用するだけでなく、治ることのない傷跡となって次世代に伝わるでしょう。リクペロとハイザーが本ビエンナーレを通じて焦点を当てるのは、特定の地域や国に限らず、世界全体が経験する悲劇的遺産としての「トラウマ」です。すなわち、冷戦が「ポスト冷戦」としてその幕引きを行なって以来、釜山ビエンナーレは「冷戦へ戻る」試みを行なっているのです。(…)
 アーティストによって描かれた新たな「分断の精神的領土」を通じて、私たちはより柔軟に、真の社会的困難を生き抜くことができるのではないでしょうか。その意味において、「分断に立つ」という展覧会は、社会的困難が生み出した排除を乗り越え、沈黙のベールを取り去る意志を表しているのです。6

 コミュニティの頂点に立つ権力者が自らを存続させるために唱えた「団結」の欺瞞を批判し、彼らにとって死を意味した「分断」に潜む記憶をすくい上げようというこのステートメントは、大胆で力強い。同時にそれは、冷戦の勃発から今日の南北会談にまで連綿と続く分断のトラウマを受け入れるという、痛みを伴う行為でもある。チェは、これまで幾度となく繰り返されてきた統一/離散の予定調和的未来に回帰しないために、Borderをカタストロフとしてではなく、あらゆる想像力や解決策を導くこともできる諸刃の剣として解釈することを選んだのではないだろうか。おそらく、光州事件にルーツを持つ光州ビエンナーレもまた、こうしたスタンスのもとにBorderのテーマに立ち返ったのだろう。

YOO Yeun Bok & KIM Yongtae《Echo-DMZ》(2018)


 展覧会会場を歩いていると何度も目にするのが「非武装中立地帯(DMZ)」の文字である。冒頭に取り上げた軍事境界線を細いペンで引いた線に例えると、その線をなぞる太いラインマーカーのように、軍事境界線の南北に沿って続く幅約2kmの中立地帯だ。ほとんどの人が足を踏み入れることはおろか、メディアでもあまり目にすることの少ない領域であり、筆者自身、ビエンナーレのテーマに取り上げられるまで、極めて曖昧なイメージを抱いていた。ややもすると、朝鮮半島を真っ二つに分断する、抽象的な二次元の曲線を思い浮かべる人さえいるかもしれない。

Adrian Viller Rojas 《The War of the Stars》(2018)


 アドリアン・ビジャール・ロハスの《The War of the Stars》(2018年)は、DMZ内に存在する村に暮らす人々の風景を、異国情緒を感じさせる鮮やかな色彩で撮影した作品である。
 光州ビエンナーレのメイン会場、アジア文化殿堂(ACC)に入ると4階建のビルほどの天井高を備えた、コンクリート造りの薄暗いホール。ぽっかりと空いたボイドの真ん中に、一枚のスクリーンが屹立している。そこには、韓国の小村の日常風景――鮮やかな植物の花果に虫たちが群がる情景、老若男女の聖歌隊が合唱を楽しむ様子、寺の僧侶が暇を持て余しながら山門に佇む姿、家畜を殺して煮込み料理をこしらえながら談笑する主婦たち等――が静かに映されてゆく。軍事訓練によって引き起こされる「地震」を予告する屋外アナウンスが流れるまで、鑑賞者は彼らが戦時下の日常に生きる人々であることに気づかないだろう。断片的に投影される(非)日常は、一方で、日本における米軍機の低空飛行や騒音のように、忙しないルーティーンの中の小さなノイズとして埋もれてしまうようなささやかさをたたえている。
 光州市に建つ空っぽのホール/ホールの中でスクリーンを見る鑑賞者/鑑賞者の網膜に投影されるDMZの日々という入れ子状のスケールを経由すると、「星々の戦争」は切迫した臨場感と引き換えに、どこかSF映画のような悠然とした風格を与えられる。前線に近接し、戦争と並存する「近くて遠い」日常を外部と隔絶されたボイド空間に置き換えることで、半世紀という膨大な時間のなかに埋もれつつある戦争の狂気をあぶり出してみせているかのようである。

KWON Hayoun《489 Years》(2016)


 釜山ビエンナーレ会場で鑑賞したクォン・ハユンの《489 Years》(2016年)は、DMZに足を踏み入れたことのある元韓国軍兵士が自身の体験を語るナレーションと、その体験に基づきクォンが作成したVRを組み合わせた映像作品である。本作品のTrailerがYouTubeで鑑賞できるので、ぜひ一度覗いてみてほしい。7
 作品の冒頭、バリケードや二重門をくぐり抜けた男の視点が突如、地平線の下方へ潜り込み、砂利道の下から夕暮れに染まった美しいDMZの風景を見上げるという印象的なシーンがある。
 「日没あるいはその時刻を過ぎた頃に入るきまりでした。(…)そこはまるで自然の楽園のようでした」

KWON Hayoun《489 Years》(2016)


KWON Hayoun《489 Years》(2016)


 しかし、地下から見上げる「楽園」の光景は、砂利道が石膏ボードのように脆く崩れかけていたり、木々や巨岩がぽつぽつと散りばめられていたりして、レゴブロックで作られた世界のようにキッチュだ。地上と地下、地平線を隔てたパラレルワールドは一体どちらか?
 不安になるころに視線が浮上すると、そこはいつの間にかイノシシが闊歩し、鈴虫が鳴き、川が流れる奥深い森へと変貌している。
 つまりこのシーンには、人間が人工的に管理する中立地帯、無数に仕掛けられた地雷によって生まれた自然と動物の楽園、そしてその二つの世界のあわいが、一本の地平線のもとでせめぎ合っているのである。クォンはそのすべてを絶妙に真実「らしく」、しかしどこかキッチュな楽園の裂け目を見せることで、架空のリアリティを演出する。元兵士を除いたほとんどすべての鑑賞者がDMZに足を踏み入れたことがないにも関わらず、思わず「リアルだ」と言ってしまいたくなるような、アイロニカルな幻視の引力がそこにはある。当事者の証言によるリアリティと、アーティストによって創作された「もっともらしい」リアリティの統合・反転・撹乱によってBorderが「再現」され、現実と空想の不可逆的力学を麻痺させているのである。

 この二つの作品は、Borderに影響を受けた人々の境遇やその記憶に着目し、政治的・社会的問題を逆照射するという手法において共通している。これは、両展覧会の他作品にも散見される特徴である。
 しかし、それらの中核にあるのは「反戦」や「統一」といったクリシェではなく、むしろDMZに代表されるBorderがこれまでに抱え続けてきた「トラウマ」や葛藤、矛盾、あるいは未分化の記憶のようなものだろう。それは南北の首脳たちが、上述したアーティストたちが、朝鮮半島が今ふたたび向き合おうとしているBorderの遺産に通底している。両ビエンナーレはこうした遺産を逆説的可能性として掬い上げ、二項対立の「あわい」にある未来を、私たちに提起しているのではないだろうか。
(文/写真:高橋ひかり)


1. 2006年の光州ビエンナーレコミッショナーを務めたインディペンデント・キュレーターのクリスティーナ・リクペロと、ロンドン発のアートマガジン『frieze』の元編集者であり、現在ベルリン自由大学で教鞭をとるヨルグ・ハイザーの2名が選出された。
2. The Busan Youth Biennale、The Sea Art Festival、The Busan International Outdoor Sculpture Exhibitionの3つ。
3. 光州ビエンナーレ公式ホームページより。https://www.gwangjubiennale.org/en/biennale/past/50.do
4. 同上。
5. 草原真知子「光州ビエンナーレ1995」http://www.f.waseda.jp/kusahara/kwanjubiennale.html
6. 釜山ビエンナーレ2018公式カタログ、P6(試訳)。
7. 「489 Years|Trailer」https://youtu.be/Qad-hmC4t7M

高橋 ひかり(Hikari Takahashi)
1995年神奈川県生まれ。武蔵野美術大学芸術文化学科卒業。在学時より絵画制作・執筆活動を開始。ART TRACE Gallery、ギャラリイKにおける個展・グループ展、NPO法人アート&ソサイエティ研究センターインターン、藍画廊スタッフを経て、現在アートセンター職員。最近の記事に、「S.O.S.レポート『オルタナティブ・スペースが還るとき』」、「Watershed Conspiring Things “Might Be Possible”(“あり得るかもしれない”を共謀する分水嶺)」『S.O.S. BOOK 2018』Super Open Studio NETWORK、2018年など。

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【SEAレクチャー+ディスカッション・シリーズ】
『ソーシャリー・エンゲイジド・アートの 系譜・理論・実践』を読み解く
-アメリカにおける系譜を中心に

アート&ソサイエティ研究センターSEA研究会の企画・編集によるアンソロジー『ソーシャリー・エンゲイジド・アートの系譜・理論・実践』をテキストとする連続研究会の後期日程を3月29日(金)より開催します。
本書は、SEAの系譜、理論、実践をさまざまな視点から取り上げていますが、研究会ではトム・フィンケルパールのエッセイ「社会的協同というアート~アメリカにおけるフレームワーク」に焦点を当てます。各回、このエッセイで展開されているいくつかの重要なトピックに関連して、専門家によるレクチャーを受け、時代背景や思想をより深く理解するとともに、現在の日本の状況に照らしながら、SEAという芸術実践が起こった理由とその意味を、参加者と共にディスカッションしています。後期の研究会は、前期では深く掘り下げなかったフェミニズムから始め、フィンケルパールのエッセイの後半を読みながら進めていきます。
前期に参加された方はもちろん、後期からの参加も歓迎いたします。

後期スケジュールとテーマ・講師

第5回 2019年3月29日(金)18:30 ~20:30
フェミニズムとアート

1960年代後半、「個人的なことは政治的なこと(The Personal is Political)」をスローガンとした第二波フェミニズムから学んだ女性アーティストたちは、女性としての自身の私生活や日常経験の中から社会的な問題を見いだし、表現活動をはじめました。グループ・インタラクションやコンシャスネス・レイジング(意識覚醒)という実践を通して、協働的な創造行為のアクションを生み出していきます。この回では、ジュディ・シカゴによる≪ディナー・パーティ≫等の具体例を示し、SEAの文脈を踏まえながら1970年代のフェミニスト・アートを読み解きます。
講師:北原恵

第6回 2019年4月4日(木)18:30 ~20:30
国際的な影響~ドゥボール、ボイス、フレイレ

ソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)を考えるうえで、欧州や南米におけるSEAにつながる系譜も重要です。具体的には、1968年の「パリ五月革命」に理論的基盤を与えたギー・ドゥボール(フランス)、「社会彫刻」としてのアートを提唱したヨーゼフ・ボイス(ドイツ)、さらに教育思想家パウロ・フレイレ(ブラジル)などの国際的な影響があります。それらを読み解くと同時に、バンクシー(イギリス)にみられる同時代の「アート・アクティビズム」など、グローバルに展開するSEAについてお話しします。
講師:小田マサノリ

第7回 2019年4月25日(木)18:30 ~20:30
米国1970、80年代の政治的右傾化とアクティビズム

米国では1970年代に入ると60年代にはまだあった進歩的な時代の空気が薄れ、社会の保守化が進行します。その中で、特にレーガン政権以降、先鋭的なアートは保守派の標的とされる一方、エイズ危機に直面して行動を開始したACT UPのような、集団的政治アクティビズムとしてのアートの在り方も形成されていきます。この回では、米国における政治的右傾化や分断が深まる社会とアートの関係を、世界や日本の状況とも関連させながら考察します。
講師:小倉利丸

第8回 2019年5月9日(木)18:30 ~20:30
1980代以降のコオペラティブ・アート

最終回は、「1980年代以後のコオペラティブ・アート」のセクションに紹介されているアーティストやプロジェクトをより深く見ていくとともに、アート&ソサイエティ研究センターが現在まで取り組んできたSEA関連の調査研究やさまざまな活動から得た知見を含め、フィンケルパールの言う「社会的協同というアート」の系譜と現在について、日本の状況も加えて考察します。
講師:アート&ソサイエティ研究センターSEA研究会(工藤安代、清水裕子、秋葉美知子)

開催概要

会 場 3331 Arts Chiyoda B105マルチスペース www.3331.jp/access
定 員 30名(先着順) 
参加費 4,000円(全4回分)※第5回研究会においてお支払いください。
参加にあたって
– 事前に『ソーシャリー・エンゲイジド・アートの系譜・理論・実践』(フィルムアート社)をお読みください。
– 可能な限り、4回すべてにご参加ください。

講師プロフィール

北原恵(きたはらめぐみ)
京都生まれ。大阪大学大学院・文学研究科教員。東京大学総合文化研究科博士課程修了(表象文化論・学術博士)。専門は表象文化論、美術史、ジェンダー論。女性アーティストや戦争画・国家・天皇の表象を研究。著作に『アート・アクティヴィズム』『攪乱分子@境界』(インパクト出版会)、『アジアの女性身体はいかに描かれたか視覚表象と戦争の記憶』編著(青弓社)他。1994年から「アート・アクティヴィズム」を連載中。http://www.genderart.jp/
 
小田マサノリ/イルコモンズ (おだまさのり / illcommonz)
1966年福岡県生まれ。中央大学、法政大学、東京外国語大学、上智大学などで講師を務める。89年から96年までケニアで文化人類学のフィールドワークを行った後、現代美術家として「日本ゼロ年」展や「第一回横浜トリエンナーレ2001」展などに出品。2002年、「現代美術家廃業宣言」を行う。 2003年、現代美術家たちの反戦プロジェクト「殺す・な」に参加。以後、「イルコモンズ」名義で様々な社会動に参加し、現代美術、文化人類学、アクティビズムと、領域横断的な表現・執筆・制作・研究・教育活動を行っている。

小倉利丸(おぐらとしまる)
1951年東京都生まれ。経済学者、評論家。富山大学名誉教授。専門は現代資本主義論、管理社会論。経済・宗教・思想・政治・労働・アート・音楽・管理社会・ナショナリズムなど、幅広くかつ先鋭的な研究や論考、講演等を通じて、現代社会の問題意識にゆさぶりをかけている。世界の市民、アーティストの街頭表現を紹介し、自らも街頭に立つことをいとわない。著書多数。今までの集大成的な著作は『絶望のユートピア』(桂書房 2016年)

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お申込み

下記のGoogleフォームよりお申込ください。

主催:NPO法人アート&ソサイエティ研究センター

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ダッチ・バイシコー・ブギウギ |ダイジェスト

2018年10月6日(土)/7日(日) 第15回お茶の水アートピクニックの関連企画として、アーティストユニット「Poh Wang(ポーワング)」によるワークショップ『ダッチ・バイシコー・ブギウギ』を開催、彼らがオランダから持ち帰った自転車を使い動画を撮影するワークショップが行われ、親子で、夫婦で、友人同士で、たまたま通りがかりでなど幅広い層、年代の40名以上の方にご参加いただき、季節外れの真夏日の中、無事に終了しました。

その様子の一部と、撮影の裏側のダイジェストムービーです。(約1分半|A&S編集)

参加者は最初にアーティストからサドルの高さやブレーキなど、日本とオランダの自転車の違い、その背景などの説明を受け、それから約1分間、あたかも空想の街を走っているように固定されている自転車を漕ぎました。
漕ぎ終わるとすぐに動画の出来映えをチェック、毎回楽しく盛り上がり、また参加者各自のスマートフォンでも撮影してお持ち帰りいただけたため大変喜ばれました。
いつもと違う自転車を漕いで見えた景色、その様子を動画で見る体験という視点の転換は、短い参加時間であっても新鮮な一コマになったのではないかと思います。

ポーワングのチームワークと、参加者の皆さま、ご協力いただいた皆さまに感謝申し上げます。

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【SEAレクチャー+ディスカッション・シリーズ】
『ソーシャリー・エンゲイジド・アートの 系譜・理論・実践』を読み解く
-アメリカにおける系譜を中心に

アート&ソサイエティ研究センターSEA研究会の企画・編集によるアンソロジー『ソーシャリー・エンゲイジド・アートの系譜・理論・実践』をテキストとする連続研究会を開催します。
本書は、SEAの系譜、理論、実践をさまざまな視点から取り上げていますが、研究会ではトム・フィンケルパールのエッセイ「社会的協同というアート~アメリカにおけるフレームワーク」に焦点を当てます。各回、このエッセイで展開されているいくつかの重要なトピックに関連して、専門家によるレクチャーを受け、時代背景や思想をより深く理解するとともに、現在の日本の状況に照らしながら、SEAという芸術実践が起こった理由とその意味を、参加者と共にディスカッションしていく予定です。
研究会は、前期4回、後期4回の日程で開催。現在、前期の参加者を募集しています。

前期スケジュールとテーマ・講師

第1回 2018年12月13日(木)18:30 ~20:30
用語の定義

フィンケルパールは「ソーシャリー・コオペラティブ・アート」と呼んでいますが、その意味は「ソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)」とほぼ同義です。これらの他にも、英語圏では同様の芸術実践を表現する言葉が数多く生まれてきました(「ソーシャル・プラクティス」など)。第1回では、用語の意味と成り立ちを考察します。
講師:アート&ソサイエティ研究センターSEA研究会(工藤安代、清水裕子、秋葉美知子)

第2回 2019年1月11日(金)18:30 ~20:30
米国1960年代の社会運動、公民権、コミュニティ・オーガナイジング

米国でのSEA出現の原点を理解するために、歴史的なコンテクストを学んでいきます。この回は、1960年代の公民権運動(アフリカ系アメリカ人の差別撤廃と法の下の平等、市民としての自由と権利を求める運動)と、それに端を発する対抗団体によるコミュニティ・オーガナイジングが社会に与えた影響を考察します。
講師:梅崎透(フェリス女学院大学教授)

第3回 2019年1月24日(木)18:30 ~20:30
米国1960年代のムーブメントと参加民主主義
1960年代には、参加型民主主義に基づいて、既成の価値観や行動規範に抵抗するカウンターカルチャー運動が開花し、サンフランシスコやニューヨークで参加型政治演劇やゲリラアクションが、ムーブメントを牽引しました。世界的に「政治の季節」だった1960年代の思想と出来事を、米国と日本を対照させながら考察します。
講師:五野井郁夫(高千穂大学教授)

第4回 2019年2月21日(木)18:30 ~20:30
米国におけるコオペラティブ・アートの先駆者~フルクサス、カプロー
第2回、第3回で学んだ1960年代、米国の社会的背景から「コオペラティブ・アート(協同志向のアート)」が生まれ、その後の展開に重要な役割を果たしました。その創始者的存在であるフルクサスやアラン・カプローの試みを学ぶと同時に、日本の同時代の前衛と反芸術と比較検討し、美術業界、歴史主義、形式主義に一線を置いて表現活動を展開したアーティストについて実践者の立場から考察します。
講師:中ザワヒデキ(美術家)

開催概要

会 場 3331 Arts Chiyoda B105マルチスペース www.3331.jp/access
定 員 30名(先着順) 
参加費 4,000円(全4回分)※第1回研究会においてお支払いください。
参加にあたって
– 事前に『ソーシャリー・エンゲイジド・アートの系譜・理論・実践』(フィルムアート社)をお読みください。
– 可能な限り、4回すべてにご参加ください。

講師プロフィール

梅崎透(うめざきとおる)
1971年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学、米国コロンビア大学大学院歴史学科博士課程修了。フェリス女学院大学文学部教授。専門は、アメリカ史・歴史学。主な論文:「三つの世界」のなかのアメリカ「六〇年代」ニューヨーク自由大学とニューレフトの「革命」/「内なる反知性主義」―1968年コロンビア大学ストライキと知識人。共編著に『グローバル・ヒストリーとしての「1968年」:世界が揺れた転換点』(ミネルヴァ書房)
 
五野井郁夫(ごのいいくお)
1979年、東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程修了(学術博士)。高千穂大学経営学部教授。専門は民主主義論。著書に『「デモ」とは何か――変貌する直接民主主義』(NHKブックス)、共編著に『現代アートの本当の楽しみ方』(フィルムアート社)他。遠藤水城による「水平線効果」(nca | nichido contemporary art)にも設営協力。

中ザワヒデキ(なかざわひでき)
美術家。1963年、新潟県生まれ。千葉大学医学部卒。1990年代の「バカCG」を経て、2000年「方法主義宣言」、2010年「新・方法主義宣言」、2016年「人工知能美学芸術宣言」。3Dプリンタ関連特許、著書『現代美術史日本篇 1945-2014』、CD『中ザワヒデキ音楽作品集』。元・文化庁メディア芸術祭審査委員。人工知能美学芸術研究会発起人代表。

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お申込み

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主催:NPO法人アート&ソサイエティ研究センター

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ソーシャリー・エンゲイジド・アートの系譜・理論・実践
芸術の社会的転回をめぐって

『ソーシャリー・エンゲイジド・アートの系譜・理論・実践—芸術の社会的転回をめぐって—』が2018年7月26日フィルムアート社より刊行!

アート&ソサイエティ研究センター SEA研究会=編
執筆者=トム・フィンケルパール/カリィ・コンテ/グラント・ケスター/星野太/高山明/藤井光/ジャスティン・ジェスティ/アート&ソサイエティ研究センター SEA研究会[工藤安代/清水裕子/秋葉美知子]
発売日:2018年7月26日
A5判|292頁|定価:2,600円(税抜き)

「社会を動かすアート」は可能か?
対話、参加、協働、コミュニティの芸術実践としてのソーシャリー・エンゲイジド・アート ── その系譜、〈社会的転回〉をめぐる理論と実践の諸問題、そして可能性を探ります。

社会に深く関わる=エンゲイジする芸術は、アートによる現実社会の変革可能性を模索するムーブメントとして、間違いなく、かつてないほど多くのアーティストを引きつけ、美術業界にとどまらない多くの参加者・協働者を得て、世界的に大きなうねりとなっています。
その表現は、「対話」「参加」「協働」に重点を置き、「コミュニティ」と深く関わり、社会変革を目指すものです。
世界に山積する現在進行形の政治的・社会的な諸問題に取り組んでいくために、創造的アプローチによる多様なプロジェクトが行われ、アーティストの実践も刷新されています。それを評する理論的なフレームも常にアップデートされ、ニコラ・ブリオーの「関係性の美学」への批評も加わり、ますます活性化しています。
本書は、社会秩序の大きな変化にチャレンジするアートを、その系譜・理論・実践と多角的な側面から紐解き議論を喚起する、先駆的な論集です。私たちが今まさに直面しているアートと社会の諸問題に対して真に向き合うことで、多様な価値観を包含する、文化的実践・これからの社会の姿を考えるための多くのヒントを与えてくれるでしょう。

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ダッチ・バイシコー・ブギウギ

今秋もお茶の水アートピクニックに参加します!
アーティストユニット「Poh Wang(ポーワング)」のヒロキチさん、牡丹(ボタン)さんをお招きしてオランダの自転車を使ったワークショップを開催します。彼らは近年オランダと日本を行き来しながらプロジェクトを進行しており、今回のワークショップはその一連という位置づけにもなります。

– アーティストより –
自転車先進国オランダの自転車に乗って空想の街を走ってみませんか?オランダの自転車は日本の自転車とは全く違います。カタチも色も重さも、ハンドルもブレーキもバランスも。果たしてそれはどんな乗り心地なのでしょう?そして、そこからはどんな景色が見えるのでしょう?

イメージ by Poh Wang

概 要

ダッチ・バイシコー・ブギウギ
場  所:お茶の水サンクレール1F(丸善お茶の水店側の屋外スペース、B1Fへの階段付近通路)
      *JR御茶ノ水駅(聖橋口) / 東京メトロ千代田線新御茶ノ水駅(B1出口) 徒歩1分 > アクセス
日  時:2018年10月6日(土)11:00〜16:00 / 7日(日)10:00〜15:00(受付は各日終了15分前まで)
     ※小雨開催
定  員:当日受付順。直接会場にお越し下さい。
対  象:子供から大人まで
参 加 費:無 料

参加の流れ:
1- 受付
2- 固定された自転車に乗って漕ぐ
3- 映像撮影開始(参加者ご自身のカメラ等もセットしていただけます)
4- 背景のついたスケボーを紐で引っ張って動かす(スタッフ、又は参加者同士で)
  フレームアウトしたら前に戻して繰り返す
所要時間:一回3分程

※後日アーティストの映像は作品としてウェブサイトにアップ予定ですが、
 ご希望されない場合は参加者ご自身での撮影のみ、または体験のみでもオーケーです。

主  催:お茶の水茗渓通り会
協  力:株式会社昌平不動産総合研究所 / レモン画翠
企画運営:第15回お茶の水アートピクニック実行委員会 / NPO法人アート&ソサイエティ研究センター

oap_logo

第15回お茶の水アートピクニック
http://ochanomizuartpicnic.jp

アーティスト プロフィール

「Poh Wang (ポーワング)」 ヒロキチと牡丹靖佳のユニット

ヒロキチ
オランダやスコットランドなど世界各地のレジデンスに参加。その土地の地理的、社会的、歴史的な構造を分析し、ビデオ、彫刻、インスタレーションなどのメディアを使い、現実と虚構の入り混じった世界を作り出すことで、社会に潜む「あたり前」に疑問を投げかける作品を制作している。
牡丹靖佳
油絵を中心に画面上の色やモチーフをどう認識するのかといった、観る側と絵画との関係を追求し、特徴的な色使いで、その新しい関係性を構築している。また近年では顔料やテンペラ技法、色彩感覚の違いを研究するためにオランダに滞在。色彩の可能性を広げると共に、絵画とは何かを探求している。絵本作家としても活躍中。

https://pohwang.myportfolio.com/
Edo Sanpu 2020

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【SEAラウンドトーク・スペシャル・エディション】
『ソーシャリー・エンゲイジド・アートの系譜・理論・実践』
出版記念トークセッション

アート&ソサイエティ研究センターSEA研究会が企画編集したアンソロジー『ソーシャリー・エンゲイジド・アートの系譜・理論・実践』が、7月25日にフィルムアート社より出版されました。この書籍の編集意図の紹介を兼ね、寄稿者の藤井光氏(美術家、映像作家)、ジャスティン・ジェスティ氏(アジア言語・文化研究者)を講演者に、毛利嘉孝氏(社会学者)をモデレーターに迎えて、これまで1年にわたって継続してきたトーク&ディスカッション・シリーズ「SEAラウンドトーク」のスペシャル・バージョンを開催いたします。

開催概要

日 時 2018年9月27日[木]18:30–20:30
会 場 3331 Arts Chiyoda 1階ラウンジ(1階ショップ奥) www.3331.jp/access
定 員 40名(先着順) 
参加費 1,000円
※トーク終了後21:30まで同会場にて懇親会を開催いたします。

プロフィール

モデレーター|毛利嘉孝 Yoshitaka Mori
社会学者/東京藝術大学准教授。専門は社会学・文化研究。特にメディアや文化と政治の関係を考察している。京都大学経済学部卒。ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ MA(メディア&コミュニケーションズ)、同PhD(社会学)。九州大学大学院助手・助教授を経て現職。2002〜2003年ロンドン大学客員研究員。Inter-Asia Cultural Studies (Routledge) 編集委員。主著に『文化=政治:グローバリゼーション時代の空間の叛乱』(月曜社、2003年)、『ポピュラー音楽と資本主義』(せりか書房、2007年)『ストリートの思想:転換期としての1990年代』(NHK出版、2009年)など。

講演者|藤井光 Hikaru Fujii
1976年東京都生まれ。美術家、映像作家。芸術は社会と歴史と密接に関わりを持って生成されているという考え方のもと、既存の制度や枠組みに対する問いを、綿密なリサーチやフィールドワークを通じて実証的に検証し、実在する空間や同時代の社会問題に応答する作品を映像インスタレーションとして制作している。パリ第8大学美学・芸術第三期博士課程DEA卒業。近年では、『爆撃の記録』(東京都現代美術館『MOTアニュアル 2016 キセイノセイキ』展)、『帝国の教育制度』(森美術館『六本木クロッシング2016』展)、『南蛮絵図』(国立国際美術館『トラベラー:まだ見ぬ地を踏むために』展)を発表。監督作品にドキュメンタリー『プロジェクトFUKUSHIMA!』(プロジェクトFUKUSHIMA! オフィシャル映像記録実行委員会、2012年)、『ASAHIZA人間は、どこへ行く』(ASAHIZA製作委員会、2013年)、日産アートアワード2017でグランプリとなった『日本人を演じる』などがある。

講演者|ジャスティン・ジェスティ Justin Jesty
米国ワシントン大学アジア言語・文学学科准教授。戦後日本の視覚芸術と社会運動の関係性を研究している。2018年9月にコーネル大学出版より著書『Art and Engagement in Early Postwar Japan』を刊行予定。2017〜18年には、ウェブジャーナル『FIELD』第八号・九号の特集「日本の社会的的転回」の編集を担当。また、これまでに、1940年代後半の芸術におけるリアリズム論争、写真家・濱谷浩の1960年安保闘争の記録、土本典昭による水俣のドキュメンタリー映画に関する論文を発表している。

特定非営利活動法人 アート&ソサイエティ研究センター SEA研究会
2013年度より「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」をテーマとし定期研究会をはじめる。海外におけるSEAを日本に最初に紹介した展覧会《リビング・アズ・フォーム:ソーシャリー・エンゲイジド・アートという潮流》展(2014年11月)、《ソーシャリー・エンゲイジド・アート展-社会を動かすアートの新潮流》展(2017年3月)を開催。その他、日本におけるソーシャリー・エンゲイジド・アートの動向を探る《SEAアイディア・マラソン公募展》の企画開催、パブロ・エルゲラ著『ソーシャリー・エンゲイジド・アート入門』(2015年3月)翻訳書の出版、定期イベント「SEAラウンドトーク」等を行なう。現在、社会や地域に関する調査・研究、発信活動など、アートと社会の新たな関係を構築することをめざし、活動を続けている。

お申込み

下記のGoogleフォームよりお申込ください。
https://goo.gl/forms/e19Sve2LBDVdatqi2

フライヤー(PDF)のダウンロード

主催:NPO法人アート&ソサイエティ研究センター
助成:公益財団法人テルモ生命科学芸術財団

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【SEAラウンドトーク】 岩井成昭
Vol.10「辺境=課題先進地域」に求められるアートとは?


アーティストは今、ソーシャリー・エンゲイジド・アートをいかに捉えているのか?
一線で活躍するアーティストによるトーク&ディスカッション・シリーズ

Vol.10 「辺境=課題先進地域」に求められるアートとは?

首都圏に暮らす人々には馴染みがないかもしれない。しかし、「辺境」においては、「課題先進地域」「消滅可能性都市」「限界集落」等々、行政はさまざまなレッテルを地方の街に貼りつけます。その地に暮らす人々がどのような感情を抱こうがお構いなしです。岩井氏が暮らす秋田県は人口減少、少子高齢化、産業構造の硬直化など、社会課題の宝庫であり、日本における社会課題地域の「トップランナー」であることは数々のデータが証明しています。そのような辺境における人々の健全な将来に寄与するための処方は、宗教やイデオロギーによらない意識の変革であり、それが可能と見なされている唯一の選択肢「アート」に委ねられていると言っても過言ではありません。「地方再生」を目的にするのではなく、在りのままを知ることで結果的に地域貢献を促す「アート」は可能なのか?その試案を語ります。

開催概要

日 時 2018年7月20日[金]18:30–20:30
会 場 3331 Arts Chiyoda B1階マルチスペースB105 (www.3331.jp/access
定 員 20名(先着順) 
参加費 800円(コーヒー/資料代込)

ゲストプロフィール

岩井成昭 shigeaki iwai(アーティスト)
1990年代から都市の多文化化をテーマに複合的なメディアによる視覚表現を展開。2000年代から、アジアパシフィック・トリエンナーレ、ハバナ・ビエンナーレ、横浜トリエンナーレ等、国内外の国際展に多数参加。地域の環境やコミュニティーの調査をもとに、インスタレーション・映像・音響・テキスト・キュレーションなどを複合的に取入れた視覚表現を展開している。2010年から「イミグレーションミュージアム・東京・パイロットプロジェクト」を始動させたほか、近年は、人口減少や移民受入におけるアートの役割について考察。また「辺境芸術」を標榜して、秋田県全域でアート・プロジェクトを実践している。

お申込み

下記のGoogleフォームよりお申込ください。
https://goo.gl/forms/e19Sve2LBDVdatqi2

フライヤー(PDF)のダウンロード

主催:NPO法人アート&ソサイエティ研究センター

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彫刻に寄り添う時代へ
宇部とミュンスターを訪れて

UBEビエンナーレ会場風景 – ときわ公園内

1.はじめに

全国各地には、地元市民が主体となって身近な彫刻作品の維持活用をする活動が存在している。それらの活動は主に、1960年頃以降から各地公共空間で増加した彫刻の設置事業の後、彫刻の維持活用を趣旨とした市民グループが行政主導で形成されたケースが多い。私はその中でも立川市の市民グループであるファーレ倶楽部に所属しており、その他にも札幌、仙台、府中、清瀬、小平、大分などの活動に加わり、現地の彫刻作品に触れる機会を頂いてきた。いずれの作品も、私自身が生まれた頃か生まれる前に設置された彫刻作品ばかりであり、それらの作品の環境や市民活動、管理体制、設置の歴史もそれぞれの在り方があることを知った。そこには、専門家の中で彫刻が「彫刻公害」や「負の遺産」と揶揄された時代を越え、具体的な市民のコミュニティが洗浄やメンテナンスという活動を通して自身の街の彫刻に価値を感じている、という彫刻と市民との関係がそれぞれに築かれていた。筆者が訪れた地域の中でも、下記のグループは市民が主体的に屋外作品のメンテナンスの方法を作成し、学芸員や地元作家、修復家から専門的なアドバイスを受け定期的な活動を継続している。

札幌—札幌彫刻美術館友の会
仙台—彫刻のあるまちづくり応援隊
立川—ファーレ倶楽部
清瀬—キヨセケヤキロードギャラリーきれいにし隊
宇部—うべ彫刻ファン倶楽部

勿論、各地に多数設置された屋外の彫刻作品は様々な要因により破損や撤去の可能性を持ち合わせており、すべてが維持に十分な環境にはあり得ていない。もはや維持管理の問題は、現状の作品数の多さや素材の複雑性・専門性を考慮しても、上記のような市民のコミュニティや彫刻家ら専門家が、行政と連携して注視していかなければならない課題では無いだろうか。

そこで、昨年から今年にかけて宇部市のUBEビエンナーレとドイツのミュンスター彫刻プロジェクトに対し、現地取材する機会があった。双方ともに、芸術祭の開催とともに公共空間に彫刻作品を現在も残し続けている国内外の代表的なプロジェクトである。私はインタビューのみでなく、できるだけ多くの作品を鑑賞しようと市内を歩き回り、それぞれの街がその作品を維持してきたというエネルギーを現地で実感した。このレポートはUBEビエンナーレ2017とミュンスター彫刻プロジェクト2017の展覧会についてではなく、1960年代から急速に広がった屋外における彫刻作品の設置事業は今までどのように地域と寄り添ってきたのかについて、宇部市とミュンスター市の事例から、現地でこそ実感した大きな違いを踏まえて取材の内容を書き留めていく。

2.UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)

UBEビエンナーレは1961年から山口県宇部市の常盤公園で開催されているビエンナーレ形式の彫刻展である。1958年の戦後の混乱期(公害問題や空襲被害)の中で、緑化運動の予算の一部で購入されたEtienne Maurice Falconet の<ゆあみする女>(模造)が宇部新川駅前に設置されたことで、彫刻が駅を使用する市民の心を和ませた影響から「宇部を彫刻で飾る運動」が始まる。当時については美術評論家の柳生不二雄、竹田直樹らの調査に詳しいが、「宇部を彫刻で飾る運動」に参画していた当時の宇部市立図書館館長岩城二郎が、土方定一に助言を得たことで具体的に野外彫刻展が始まった。その後岩城や土方の他、当時の星出寿雄宇部市長ら行政関係者や柳原義達、向井良吉といった彫刻家、計16名が「宇部を彫刻で飾る運動」の中央運営委員として組織される。そして1961年から現代日本彫刻展(のちにUBEビエンナーレに改名)を2年に1度開催し、現在まで毎回の入賞作品を市のコレクションとして市内に設置し続けている。入賞審査には美術評論家、作家、宇部市市長などによって選考委員会が組織されており事前に公表がされている。 (屋内外のコレクション作品総数は400点を超え、屋外でも182点の彫刻作品を所有するに至る。)

Etienne Maurice Falconet <ゆあみする女(模造)>

現在、宇部市はビエンナーレの実施とともに、公園整備局の管轄のもとビエンナーレのアーカイブ、教育普及、広報事業が推進されている他、市民グループの「うべ彫刻ファン倶楽部」、「宇部市ふるさとコンパニオンの会」、「UBEビエンナーレ世界一達成市民委員会」の活動によって、市内の彫刻作品は維持活用されている。私は今回、宇部市渡辺翁記念会館・文化会館の山本麻紀子館長、宇部市文化創造財団の田中真由美さんに大変お世話になり、UBEビエンナーレの運営をされるときわミュージアムの学芸員である山本容資さん、また上記の3組の市民グループの皆様をご紹介頂いた。残念ながら、皆さんが一同に参加される彫刻メンテナンスの日に訪れることが出来たものの雨天により作業は中止となってしまったが、皆さんの温かいご対応によりそれぞれにお話を伺う機会を設けて頂いた。

半年に1度作品のメンテナンスを行う「うべ彫刻ファン倶楽部」、また作品のガイドを行う「宇部市ふるさとコンパニオンの会」は、それぞれの参加者に対し、直に作品に触り親しんでもらうことを重要視しているというお話が印象的だった。私は次回のメンテナンスこそ参加させてもらう予定だが、宇部市の彫刻が屋外の環境で年月を経てどのような変化を起こしたのかを実感することは、そのような機会に直接作品に触れることが大切なのだろうと思う。また「UBEビエンナーレ世界一達成市民委員会」の田村委員長は、「今後もUBEビエンナーレに入賞された作家さんに、入賞したことを誇りに思ってもらえ続けられると良い。」と話す。UBEビエンナーレやコレクション作品に関わる地元市民の皆さんから直接お話を聞けたことは本当に貴重だった。何より市民としての作品に対する熱量を感じさせて頂き、危うくそれのみで今回の取材に満足してしまいそうなほどだった。前回のメンテナンスには250名ほどの参加者が集まり、学芸員によって作業記録が取られているとのことだが、国内で最も歴史を持つ野外彫刻展のコレクション作品は、専門的な学芸員と大勢の地元住民とともに時を送り寄り添い合う体制の中にあることは間違いないだろう。なお、うべ彫刻ファン倶楽部のメンテナンス活動は2008年よりこれまで21回実施(21回目は雨天中止)されており、各回20点ほどのメンテナンスを行っている。作業内容こそ公表はしかねるが毎回作成されるマニュアルには、作品ごとに薬品が使い分けられるほど詳細な行程が見て取れる。

宇部市ふるさとコンパニオンの会、ツアーガイド下見の様子

3.ミュンスター彫刻プロジェクト

1977年から10年に1度、ドイツのミュンスターで開かれている国際的な野外彫刻展。現在でこそ世界的な認知がある彫刻展だが、1977年の初回は主にミュンスター市民への教育的意図を持つものだった。1976年、アメリカ人の彫刻家であるGeorge Rickeyの作品が市に寄贈されたことで世界大戦のトラウマを持った市民の中に議論を生んだことが、地元の州立美術館のキュレーターであったKlaus Bussmannに展覧会の必要性を感じさせた。Klausはそのような発端で現在も彫刻展のディレクターを務めるKasper Königとミュンスター彫刻プロジェクトを開始するものの、当初は長期的な計画を持っているわけではなかったという。

当時の行政が経済利益を理由に、カッセルで開かれる芸術祭「ドクメンタ」と同じ5年間隔、同年の開催を提案したところKasperは反対し、10年に1度というペースが彫刻と社会の関係また彫刻自身の変化を感じる上で適当と主張する。私は今回の開催で初めてミュンスターを訪れたが、この趣旨に共感しとにかく多くの作品に触れ、10年後の開催に向けてひたすら写真に収めた。出品作品とパブリックコレクションを含め70点以上の作品を鑑賞したが、観光者向けの自転車のレンタルサービスと、スマートフォン用のマップアプリがなければこれらの半分程度しかまわれなかっただろうと思う。(2017年の今回で第5回開催となるが、1977年に3点、1987年に21点、1997年に8点、2007年に7点の出品作品がミュンスター市によって購入、屋外に常設設置がされている。) 尚、ミュンスター市へパブリックコレクションの維持管理について取材をしたところ、パブリックコレクションは彫刻展の出品作品から専門家や市議会の関与を通して選出され、ミュンスター市によって体系的に管理されており必要に応じて年に1-4回の点検が行われているという。その点検で発覚したものかは不明だが、Martha roslerの2007年出品作品“Unsettling the Fragments(Eagle)”が偶然修復中であった。また、コレクションは都市計画、都市開発の中で重要な機能を果たしてきたとのことだ。

Martha rosler

ミュンスター彫刻プロジェクトは、前述した発端のエピソードを背景に一貫して「芸術と公共性」というテーマを持ち個々にメッセージ性を持つ作品が多い。地元の共有庭園の利用者に毎日綴らせた日記を展示するJeremy Dellerや、過去の保守的イメージが特徴的なミュンスターの街中でタトゥーショップを開くMichael Smith、反核デモの指導者Paul Wulfの像を製作したSlike Wagnerらの作品は特に印象に残った。これらの作品は実際に地元住民の参加によって成立しており、特に2007年製作のSlike Wagnerの作品は2017年までのPaul Wulfに関連した新聞記事が重ねて貼り付けられていることで成立している。一方で重要なことは、Kasperはいわゆる「街が美術館になる」ことに反対しており、彫刻展の前提として作品が永久的に存在しうる場所になってはいけないことを意味し、出品作家には作品の要素として時間性を重んじている。これは、上記の3名の作品もある一定の時間に生まれたものだからこそ価値を有している作品であるものだととらえて良いだろう。つまり今回のポイントとして、芸術と公共性を主題とした作品を観客に見せる彫刻展の主催側と、恒久的な常設作品を購入する行政側のスタンスは明らかに違うことが分かる。

 

4.まとめ

宇部市とミュンスター市においては、彫刻が公共空間に設置される経緯が彫刻展の主催者と彫刻の購入者(管理者)の関係を見ても異なることは確かである。それは、宇部市の「ゆあみする女」に期待を寄せた当時の行政/市民に呼応した土方定一と、“Three rotating squares”を問題視した市民を納得させることを試みたKlausとKasperの存在から大きく異なる方向性を持っていたように思う。さらには、第二次大戦の敗戦を経験した2つの地域であるにも関わらず、きっかけとなる彫刻への反応が双方で異なるという視点も可能だろう。

その他にも国内外の野外彫刻展を比較し、関連の市民コミュニティの有無や行政と主催者の関係など、異なることが多いことが分かった。しかし、宇部の市民が作品に直に触り維持をしながら親しんでいることと、ミュンスターのKasperが彫刻展の間隔にこだわりを持つことに共通するものを感じた。触れるだけでなく定期的に洗浄やメンテナンスという形で作品を深く観察し続けることも、10年という長い間隔で彫刻展が開かれることも、時間や環境とともに変化をする彫刻に人が関わるということなのだと再認識することが出来る。

Kasperと筆者

今回の2度の旅を通して、公共空間に設置された彫刻とは野外彫刻の一出品作品である前に、都市開発やまちづくりの要素である前に、作家によって作られた、私たちの生活と同じ次元で日々変化をする具体的な素材や概念的な要素によって構成された「作品」であると強く思わせられた。彫刻に寄り添うということは、彫刻の変化を感じ尊重することであり、その上で維持活用のような活動はされるべきなのだろうと思う。次回のうべ彫刻ファン倶楽部のメンテナンス活動と、10年後のミュンスター彫刻プロジェクトには必ず参加したい。

(文:高嶋直人)


高嶋直人 (Naoto Takashima)
1990年生まれ。静岡県出身。武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科卒業。同大学造形学部彫刻学科黒川研究室清水多嘉示研究研究員。都内の他、札幌や仙台など各地の屋外彫刻やパブリックアートについて、市民活動の実践を交えながら作品の状態や活用方法などの調査を行う。ファーレ立川プロジェクトボランティアグループ、「ファーレ倶楽部」会員。屋外彫刻調査保存研究会運営委員。

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