「Water Seeds 隅田川を舞台とする新たな環境ミュージアムの提案」
国際デザインコンペ* プロポーザル by Sumida River Design Collective
*RMCA (Reimagining Museums for Climate Action)(気候変動に対する行動のためのミュージアムを再構想する)


A&Sと専門家で結成したチームによるプロジェクト提案『Water Seeds – a new platform for climate action on a river』がRMCA国際コンペで入選しました。応募までの経緯やプロポーザルの内容報告、今後の活動の方向性などについて、メンバー全員で語る、オンラインで公開するトークセッションを行います。
(RMCA国際コンペ入選展示の詳細はこちらから)

開催概要

日 時 2021年11月30日[木]19:00–20:30
会 場 ZOOMによるオンライン開催
定 員 30名(先着順) 
参加費 無料

Sumida River Design Collective メンバー

渡辺猛(建築家/株 佐藤総合計画)
小寺亮(建築家/株 佐藤総合計画)
武田史朗(千葉大学大学院園芸学研究院教授)
NPO法人アート&ソサイエティ研究センター SEA 研究会
(清水裕子、秋葉美知子、工藤安代、徳山貴哉)

アジェンダ

1.メンバーの自己紹介
2.国際コンペの概要(秋葉)
3.応募~提案までの経緯(清水)
 前段での「墨田芸術祭 Seeds」(渡辺)
4.プレゼンテーションの内容説明(小寺) 補足説明(武田)
5.3331での展示について(清水・工藤・藤元)
6.今後の実現に向けて(可能性について意見を聞く:全員)
7.フリートーク、Q&A(15分)

お申込み

下記ウェビナー申し込みフォームよりお申し込みください。

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主催:NPO法人アート&ソサイエティ研究センター

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自著紹介『GEIDO論』(熊倉敬聡著)

「GEIDO」って何だろう?
 本のタイトルだけ見てもよくわからないし、目次を見ても、挙がっているキーパーソンたちから内容はなんとなく「あたり」がつくかもしれないけれど、今ひとつしっかりしたイメージを結ばないことと思う。そこで、この場を借りて、なるべくわかりやすくこの本の紹介をしてみようと思う。

 「GEIDO」とは、端的に言えば(あまり端的には言いにくいので誤解を招くかもしれないが)、とりあえず「Art (2.0)」以降の人類の創造性の在り方と言えよう。私の歴史観では、そして最近では小田部胤久などのきちんとした美学者も言っているが、Artとは、何も人類に普遍的な概念・実践ではなくて、いたって歴史的で地域的な概念で実践であるということ、具体的に言えば、18世紀中頃の西ヨーロッパで「作られた」概念・実践であるということをまず押さえる必要がある。この点をきちんと押さえないと(日本では押さえられる人がいたって少ないのだが)、Art、あるいはその日本的翻案である「芸術」や「アート」についての議論は混乱するし、不毛にさえ終わる。
 歴史的に「作られた」、つまり「生まれた」概念・実践であるがゆえに、当然、歴史的に「終わり」、「死ぬ」わけで、これも私の見方だと、Artはもうとっくに「死んで」、「終わって」いる。というか、「殺されて」しまった。いつ?――20世紀初頭。殺したのは誰か?――いわゆる「アヴァンギャルド」たち。どのように?――Non-Art、Artの〈外部〉をArtにぶつけ、粉々にすることによって。典型がマルセル・デュシャンの『泉』。「便器」という(美術館にはあるけれど)およそ「美しい」Artの対極にある「汚らしい」しかも「既製品」。そのArtの〈外部〉=Non-ArtをArtの真っ只中に時限爆弾のように仕込み、それがArtを爆破するたびに、ややこしいことにその爆破行為自体を新種のArtであるかのようにみせるパフォーマンスが繰り返される。その「Art2.0」ともいうべき、Artの死としてのArtを、以降「Contemporary Art」などともっともらしく名づけ、20世紀全般にわたって反復しつづけた。でも、そのArtの死としてのArt=Art2.0のロジックも、反復されつづけた結果、20世紀末疲弊の極に達し、自壊するにいたる…。(ここら辺の詳細は、前著『藝術2.0』に当たってもらいたい。)
 では、Art2.0が自壊するとしたら、これからの人類の創造性はどうなるのか? 消えてしまうのか? そんなわけはなく、ただ、近代においてそれが重点的に注がれていたArtと、その対極的システム=資本主義から、まったく別の未到の地へと移動していくだろう、という予測を私はもっている。その「処女地」に萌える創造の兆しを、前著では(他にいい命名法がなかったので)苦し紛れに「藝術2.0」と名づけ、今回は「GEIDO」と呼んでみた次第。
 「GEIDO」の背景にはもちろん「藝道」という古来からの身心の行の伝統があるわけだが、単にそこに回帰すればいいというのではなく、(レヴィ=ストロース風に言えば)その「冷たい」クリエーションに、現代の「熱い」クリエーションがハイブリッドに再接合することによって、第三の(「冷たく」も「熱い」)クリエーションが生みだされる。でも、なんでそれを「GEIDO」と、わざわざアルファベット表記にしたのか。それは、日本で生まれつつある第三のクリエーションの萌芽は何もこの国に特権的なものではなく、他のさまざまな国・地域で今まさにその国・地域に固有な第三のクリエーションが生まれつつあって、それを(たとえば「JUDO」や「AIKIDO」が外国でも十分市民権を得ているように)「GEIDO」と呼んでもいいのではないか。そうした国内外の動向を視野に入れるべく、あえてアルファベット表記したということ。
 
Artからアートへ、そしてGEIDOへ

 でも、そもそも、私は、若いとき、誰よりもArtにどっぷり浸かっていたのではなかったか。ステファヌ・マラルメなどという、それこそArtの可能性を極北まで追究し、しすぎたゆえにArtの不可能性へと座礁してしまった、そんな「詩人」のArtの冒険を追体験した結果、Artが孕む毒までも存分に堪能し、いつのまにか心身ともに「廃人」と化した…。そんなフランスでの7年間をなんとか切り抜けて、帰国したところが、なんとバブル真っ盛り。1991年だから、経済的にはまさに「バブル崩壊」の真っ只中。でも、文化的にはまだまだバブリーな徒花が咲き乱れていた…。そんななか、「現代アート」もまた、80年代の「くら〜い」ヨーロッパ(フランスは爆弾テロが相次ぎ、人種差別も公然と行われていた)から帰ってくると、まさに「浮世」の華やかさ満載。急にその「空元気」にほだされて、気がついてみたら、「現代アート」を研究するのみならず、評論したり、創作したり、さらには某「コンテンポラリー・ダンス」カンパニーの「ワークショップ」(当時は珍しい語だった)に7年も毎週通ったりしていた。
 そんなある日、銀座で、ドクメンタⅩのディレクターで、作家のリサーチに来日していたカトリーヌ・ダヴィッドに会ったが、開口一番、(もちろんフランス語で)「この国のどこにArtがあるの? どこにArtistがいるの?」と詰問され、こちらはいくつかの名前を挙げつつも、彼女は全く意に介さない風であったことを思い出す。つまり、当時(1990年代半ば)の日本には、彼女から見て(そしておそらく多くのヨーロッパ人から見て)Art――Art2.0も含む――がなかった、Artistがいなかったのだ! 「現代アート」は、Art(2.0)の「模造品」としか見えなかったのだ。
 もちろん、彼女のような(ヨーロッパ的に)「保守的な」キュレーターばかりでなく、「現代アート」を、欧米にはない表現だとして面白がる(たとえばMOMAの)キュレーターなどもいたが、少なくとも当時(1990年代後半)は、今では国際的にも有名・無名の「アーティスト」たちがこぞってニューヨークに移り住み、彼の地のマーケットで「Artist」として認知され、評価されるべく、自らを「売り込もう」としていたのだった。そんな最中、私自身も1998年から2年間、マンハッタンに住むことになる。当時は、トランプ元大統領の顧問弁護士となったルドルフ・ジュリアーニがニューヨーク市長の時代。彼のジェントリフィケーション政策により、少なくともマンハッタンは、夜中に平気で地下鉄にも乗れるほど治安が良くなった反面、あらゆる「やばい」ものは、島外に一掃された結果、「いかがわしい」Art2.0もきれいに「掃除」されて、ニューヨークの「アートワールド」は商業的に小洒落たもので満ち満ちていた。
 いよいよ(Artの「死」の反復で逆説的に「生き延びて」きた)Contemporary Art (=Art2.0)それ自体が末期症状を呈するのを尻目に帰国した私は、もはやそれへの「売り込み」に活路を見出そうとしていた「現代アート」にも、当然のことながら、興味を失い、徐々に研究、評論、創作などをやめていった。そして、それと同時に「では、人類の創造性がもはや(資本主義とともに)Artから離れつつあるとしたら、それはいったいどこに向かうのか?」と自問自答するようになる。しかし、その決定的な「答え」はそう簡単には見つからず、月日だけが過ぎていった…。私はとりあえず、自分の「現場」である教育の現場(それもまた過度な機能不全に陥っていた)に、自分の創造性を新たに注ぎ込み、少なくとも当時の教育界では前代未聞の「自己生成」的学びの場(「三田の家」にいきつく)を、同志たちと日夜楽しんでいたのだった。

三田の家


 そんな中、東日本大震災が起きる。当時、1歳になるかならないかの娘を抱えていた私は、放射能汚染などの不安から、西日本への移住を決心する。たまたま縁あって、京都に移り住んだ私は、この地で数々の「カルチャー・ショック」に見舞われる。その一つが、先に述べた「第三のクリエーション」の萌芽であり、「冷たい」クリエーションがおよそ存在しない東京などでは見たことのない、「冷たく」も「熱い」クリエーションの気配をここかしこで感じとり、しかしその「気配」をなんともうまく言葉や概念に落とし込めない日々が続く。
 そんなある日、ある友人が「東アジア文化都市2017京都」の一企画「PLAY ON, KYOTO」のチームに誘ってくれ、そのメンバーたちとブレストを重ねるなか、その「気配」をなんとか概念的に把捉し、表現できる機が熟していった。それが「藝術2.0」という言葉だった。その「気配」をなぜ「藝」という旧字を使い、それなのに「2.0」なのか。その経緯は、前著を参照してもらうとして、その原稿を書きながら、徐々に奇妙な二つの形象が現出してきた。「V」と「◯」である。しかも「いびつなV」と「いびつな◯」である。

いびつなV、いびつな◯、そして一休さん

 私は、「藝術2.0」(すなわち「GEIDO」)の萌芽を、「工芸」、「発酵」、「坐禅」、「カフェ」、「学び」、「コミュニティ」、「茶道」などと今は呼ばれている領野にとりあえずは探し求めたが、そうしているうちそれらに共通する実存的道程があることに気づいた。藝術家2.0=GEIDO-KA――JUDO-KAなどが国際語となっている昨今、こうした表現も許されるだろう――のほとんどが、この「有」の世界から己の実存を深掘りする行の道に入り込んでいく。そうして「無」「涅槃」などと呼ばれる境に辿りつく。そして、そのまま独行をつづけ、境のさらなる深まりに自らを委ねることもできようし、あるいは一念発起翻って、あえて立ち去ったはずの「有」の、衆生の世界に立ち戻り、その世界=〈有〉――一度は立ち去った「有」を解脱して「無」の境位から翻って離見するゆえに違う風貌で現出するので〈 〉付きで記載しよう――と「戯れ」なおすこともできる。しかも、彼らは、単に古来の「藝道」をなぞるだけに満足せず、そこに同時代的な「熱い」クリエーションを注ぎ込み、自らに特異な「サムシング・スペシャル」(小倉ヒラク)を創出するにいたる。その藝術家2.0ないしGEIDO-KAたちの実存的道程=「V」(「有」→無→〈有〉)は、しかし、各自――独行におけるように究めつづけることなく――哲学者の田辺元や禅僧の藤田一照も言うように人それぞれ究道を「差し控えて」も、「物足りない」ままでも肯んずるような、各々に「いびつな」V=道程で差し支えないのだ。
 そして、そうした実存的行=いびつなVを日々営む者たちは、ときに互いに互いを招き、円く座り、が、「中心」などを置かず、「中空」のままに、その一期一会に賭け、興じたりもする。その折々の円座=「いびつな◯」は、決して閉じられることはなく、むしろ見知らぬ「異人」をも平然と招じ入れてしまう「無条件の歓待」(ジャック・デリダ)といういたってラディカルな政治性すらもちうるだろう。
 そんな「いびつなV」たちの「いびつな◯」のフィールドワークを、『藝術2.0』では行ったといえる。そして新著『GEIDO論』は、それをさらに展開し、「GEIDO」という概念をよりシャープにするために、

酬恩庵

人によってはそれに見紛うかもしれない「限界芸術」(鶴見俊輔)や「民藝」(柳宗悦)といった概念とすり合わせつつ差別化し、フィールドも「性愛」や「貨幣」といった「禁断」の領域へと押し広げていった。
 ついには、千葉県・鴨川での林良樹らの「小さな地球」プロジェクト、そして私が京都で私淑する茶の「陶々舎」の活動に、これまでの文明を「反転」するやもしれぬ潜在力すら嗅ぎ出し、人類とガイアとの共―創造としての新たな文明の気運を探り出そうとした。
 ところが、執筆の最終段になって、突如として、私は車に乗り込み、京都市は京田辺に今はある一休寺こと酬恩庵に赴くことになる。なぜ、私はそこに引き立てられたのか。「一休さん」こと一休宗純こそ、当時の第一級のGEIDO-KAであり、GEIDOの「総合プロデューサー」だったことに突然気づいたのだ。しかも、彼は、GEIDOの探究=行を、同時代の藝道家たちと興じていたのみならず、森女という盲目の琵琶弾きとの睦みのなかでも堪能していたのだった…。

 こうして、古今東西の「冷たい」クリエーションと「熱い」クリエーションが相俟って、「GEIDO」という第三のクリエーションが紡ぎ出されるとともに、本書『GEIDO論』そのものもまた、一つの「GEIDO」であるかもしれぬことを、今これを書きながら改めて実感しているところである。



熊倉敬聡(Takaaki Kumakura)
1959年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒、パリ第7大学博士課程修了(文学博士)。芸術文化観光専門職大学教授。特定非営利活動法人アート&ソサイエティ研究センター理事。フランス文学 ・思想、特に詩人ステファヌ・マラルメの〈経済学〉を研究後、コンテンポラリー・アートやダンスに関する研究・批評・実践等を行う。大学を地域・社会へと開く新しい学び場「三田の家」、社会変革の“道場”こと「Impact Hub Kyoto」などの 立ち上げ・運営に携わる。博報堂University of Creativityにて講師を務める。主な著作に『藝術2.0』(春秋社)、『瞑想とギフトエコノミー』(サンガ)、『汎瞑想』、『美学特殊C』、『脱芸術/脱資本主義論』(以上、慶應義塾大学出版会)、編著に『黒板とワイン――もう一つの学び場「三田の家」』(望月良一他との共編)、『女?日本?美?』(千野香織との共編)(以上、慶應義塾大学出版会)、『practica1 セルフ・エデュケーション時代』(川俣正、ニコラス・ペーリーとの共編、フィルムアート社)などがある。

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国際デザイン・コンペ
「Reimagining Museums for Climate Action」の入選作になりました

RMCA(Reimagining Museums for Climate Action)国際コンペティション展示
『Water Seeds – a new platform for climate action on a river 』
ウォーター・シーズ(水の種)-クライメート・アクションのための水上プラットフォーム

開催期間| 9月24日(金)〜10月29日(金)
開催日時| 毎週木・金曜日 13-18時
開催場所|アーツ千代田3331 3階 309
展示内容| Water Seedsによる国際コンペプロポーザル内容の概要、ビジュアル;国際コンペ最終選考8プロポーザルのイメージ紹介(モニター)
※期間中、オンラインにてトークセッションを開催予定

 


アート&ソサイエティ研究センター(以下A&S)が最近の活動テーマとして取り組んでいる一つが、自然・環境・気候に関する社会的課題です。そのなかでも「気候変動」の問題は、今や世界中で気候危機回避につながる行動(クライメート・アクション)が求められています。

「COP26(第26回気候変動枠組条約締約国会議)」が2021年10月31日~11月12日に英国グラスゴーで開催されます。これに合わせ、国際デザイン・コンペ「Reimagining Museums for Climate Action(気候変動に対する行動のためのミュージアムを再構想する)」が、「The Arts and Humanities Research Council (AHRC)  Heritage Priority Area team」の主催により2020年の夏~秋に行われました。「ミュージアム(美術館や博物館)」がクライメート・アクションを支援・促進するための機関として、どのようなことが可能かを再考することを目的としています。

A&Sでは、建築家と景観デザインの専門家に呼びかけ、デザインコレクティブ「The Water Seeds-Sumida River Design Collective」を結成し、都市を流れる川をミュージアムに活用するプランを練り、このコンペティションに参加しました。

「Reimagining Museums for Climate Action」には最終的には世界48ヵ国から264件の応募があり、A&Sのプロポーザルは最終選考の8件に入ることは逃したものの、70件のショートリストに残り、プロポーザル案が、プロジェクト・ウェブサイト「Museum for Climate Action」に掲載されています。

Sumida River Design Collective 提案概要

タイトル
The Water Seeds-River as Action Museum (水の種―アクション・ミュージアムとしての河川)

コンセプト
河川は、上流の山間部から下流の河口部まで連続的な空間を形成している。河口にあたる都市においては、歴史的にその地域の経済、生活、文化を支えてきた。
東京の東部を流れる隅田川は、江戸時代(17~18世紀)、物流の要やレクリエーションの場として、人びとが親しむ身近な自然環境であった。しかし、時代と共に、その関係性は変化し、強固な堤防が築かれると、川と人との親和性は失われてしまった。
一方で、川は都市の中で未活用の公共空間であり、地域の文化を育んできた母であり、気候変動のバロメーターでもある。私たちは、そんな都市河川をミュージアムと見立て、水上に係留したコンテナサイズの浮体式構造物群を展示・イベント・対話のステージとして、市民参加によって民主的に運用する。これにより、川とまちの歴史と未来について市民の理解と想像力を刺激し、積極的なクライメート・アクションを誘発する場の創出をめざす。

提案のポイント
豪雨などによる危険を内包する川から「水」と都市生活について学ぶ機会を提供し、脱炭素社会の緊急性を認識する場とする。
「集積・集合」を推進してきた都市は、コロナによって「分散」に舵を切る必要に迫られている。河川の活用は、都市機能密度をコントロールに寄与する。
浮体式の小さなサイズの構造物は、再生エネルギーを利用し、複数を組み合わせて展開可能な、新しいインフラとなる。
世界の多くの都市には地域を象徴する川があり、このシステムをモデルとして地域に応じた展開と、未来のグローバルなネットワークをめざす。
専門家によるアドバイザリー委員会と市民メンバーシップによる協議会を設け、民主的な開かれた運営を行う。

浮体式構造物(コンテナ)の活動コンテンツ
コンテナは、ミュージアムである川とつながる入り口、窓であり、人びとが川を同じ時空間(過去と未来を含む)で体験し、さまざまな活動を行うプラットフォームとなる。具体的には、川の歴史と科学を知る研究室、気候変動をテーマとするアートの展示、ワークショップとディスカッション・スペース、ライブラリー、カフェなどの機能をもつ。また付属のボートでの水位・水温、気象観測、プラスティック廃棄物の調査と除去、堤防にメッセージをプロジェクションするなど多様な取り組みの場となる。

Sumida River Design Collectiveメンバー
・ 渡辺猛(建築家/(株)佐藤総合計画)
・ 小寺亮(建築家/(株)佐藤総合計画)
・ 武田史朗(千葉大学大学院園芸学研究院教授)
・ 清水裕子(NPOアート&ソサイエティ研究センター)
・ 秋葉美知子(NPOアート&ソサイエティ研究センター)
・ 工藤安代(NPOアート&ソサイエティ研究センター)
・ 徳山貴哉(NPOアート&ソサイエティ研究センターインターン/(株)ソニー)

コンペ提案概要

タイトル| Reimagining Museums for Climate Action
主催| The Arts and Humanities Research Council (AHRC) Heritage Priority Area team
目的| このコンテストは、ミュージアムの設計、組織、そこでの体験に対する新しいアプローチを考えることにより、多様な文脈とさまざまな規模でクライメート・アクションを増幅、加速させ、ミュージアムと社会が共に前進して、ネットゼロ、あるいはゼロカーボンの未来を可能にすることを目指している。

ミュージアムにはさまざまな形態や規模があるが、特定の場所やタイプに焦点を合わせるのではなく、ミュージアムについての考え方の根幹を揺るがし、意味のあるクライメート・アクションを支援・促進するような提案を募集する。ミュージアムの場所設定は自由で、特定の場所に縛られないアプローチも可能。伝統的な(トラディショナル)ミュージアムとは根本的に異なる設計やコンセプトの提案、あるいは既存のミュージアムの新しい運営方法を模索する提案を歓迎する。

優先テーマ
1. 気候正義 Climate Justice
2. 緑の未来 Green Futures

 

審査員
Miranda K. Massie(クライメート・ミュージアム館長)
Asher Minns(イースト・アングリア大学ティンダル気候変動研究センター、エグゼクティブ・ディレクター)
Dr. Jenny Newell(シドニー、オーストラリア博物館、気候変動プロジェクトマネージャー)
Lucia Pietroiusti(サーペンタインギャラリー、ゼネラルエコロジー・キュレーター)
Peg Rawes(UCLバートレット建築学校、建築・哲学教授)
Kavita Singh(ニューデリー、ジャワハルラール・ネルー大学芸術美学部美術史教授)
Janene Yazzie(国際インディアン条約評議会)
Kristine Zaidi(AHRC文学・言語・地域研究部門戦略リーダー)

最終選考8提案の展示
Reimagining Museums for Climate Action
開催期間| 2021年6月25日~11月
会場| グラスゴー・サイエンス・センター

https://www.glasgowsciencecentre.org/discover/our-experiences/reimagining-museums-for-climate-action#



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アーティストは自然・環境・気候危機といかに向き合っているか?
Vol.1 “non-visible”

ソーシャリー・エンゲイジド・アート ダイアログ・シリーズ
Socially Engaged Art Dialogue Series


アート&ソサイエティ研究センターは2014年以降、社会的課題に取り組むソーシャリー・エンゲイジド・アートについての調査、研究、出版、展覧会や研究会の開催、アーティスト支援やプロジェクトの実践を継続しています。今回のダイヤログ・シリーズでは、自然、環境、気象変動に関心をもつアーティストが、地球環境における危急の課題にいかに向き合い、自らの創作活動との関わりをどのように捉えているか、生の声で聞き、聴講者と共にディスカッションします。
第1回目となる今回は、食や植物をテーマとして自然と人間との関係性を紐解く活動をおこなっている岩間朝子氏に、ご自身のこれまでの活動と自然や環境への想いをお聞きします。

開催概要

日 時 2021年9月16日[木]18:30–20:00
会 場 ZOOMによるオンライン開催
定 員 30名(先着順) 
参加費 無料

ゲストプロフィール

岩間朝子 IWAMA Asako

1975年東京生まれ。ベルリン(ドイツ)と東京をベースに活動。料理人としてのバックグラウンドをもつ岩間は、食べるという行為の社会的側面について共に考えるための実験的なワークショップやフィールド・トリップなどを行ってきた。最近の活動では、自然の諸要素と、身体の物質性あるいは主観性との関係の歴史的、技術的な変容を、型を取る、写す、採取するといった身体的関与を取り入れた制作を通じて考察を試みている。
Studio Olafur Eliasson(ベルリン)併設の食堂 The Kitchen の立ち上げ・運営にコックとして携わり(2005-15年)、『The Kitchen』(2013年)を共同編集。Jan Van Eyck Academy(オランダ、マーストリヒト)にて滞在制作(2019-20)。展覧会に、建築・デザイン イスタンブールビエンナーレ 5 (2021)、ヨコハマトリエンナーレ 2020 AFTERGLOW、東京都現代美術館(2020)、アーツ前橋(2017)、Den Frie Museum (コペンハーゲン)、 Haus der Kulturen Der Welt (ベルリン)、Museum of Contemporary Art Leipzig(ライプツィヒ)。

お申込み

定員に達しましたので、お申し込み受付を終了いたしました。ありがとうございました。

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フライヤー(PDF)のダウンロード

主催:NPO法人アート&ソサイエティ研究センター

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RMCA国際デザイン・コンペに参加して

アート&ソサイエティ研究センターでは、COP26に関連した国際デザイン・コンペ「Reimagining Museums for Climate Action(RMCA)」に注目し、建築家と景観デザインの専門家に呼びかけてThe Water Seeds-Sumida River Design Collectiveを結成、都市を流れる川をミュージアムに活用するプランでこのコンペに応募しました(詳細はプロジェクトページ参照)。以下、このデザイン・コレクティブのメンバーとして参加したA&Sインターン、徳山貴哉さんのレポートを掲載します。


 

私が今回の国際デザイン・コンペへの参加を強く希望した背景に、その題目『Reimagining Museums for Climate Action (気候アクションに向けたミュージアムの再考)』への大きな共感があった。国際系の学部を卒業し、現在福岡にてメーカー勤務をしている自分は、元々アート専攻といったようなバックグラウンドは持ち合わせていない。しかし、学部時代から興味があった気候変動やソーシャルジャスティスなどのアクティビズムの事例を調べるにつれ、アートと社会の接点から世界にメッセージを訴えかける人々の姿に大きな興味と可能性を感じた。加えてミュージアムは、私にとって気候変動への危機感が自分事となった空間でもあったからこそ、なんとしても今回のコンペに携わりたいと強く懇願したのだった。

日加コンソーシアムでプレゼンテーションする筆者  Courtesy of Takaya Tokuyama

私は海外に行くと – その目的が旅行であっても何かのプログラムであっても – 空き時間を見つけてはコーヒーショップとミュージアムを巡るのを楽しみとしている。学生時代、日加コンソーシアムの学生フォーラムに参加するためにカナダの首都オタワを訪れた際も、空き時間を見つけてNational Gallery of Canadaに足を運んだ。「たまたま余っていたから」とフロントスタッフが無料で渡してくれたチケットが思い出深く、今思えば、その時手渡されたのは「小さなつながり」だったのかもしれない。その日の展示内容は、カナダの写真家Edward Burtynskyによる写真展《Anthropocene – the Human Epoch》。Anthropocene、通称「人新世 (じんしんせい)」とは、産業革命以降の人間活動による環境負荷が地球に半永久的な痕跡を残すほどのレベルに達し、地球の地質年代が完新世の時代から、新たな「人間の時代」に突入したことを指す。この用語によって、人間の地球に与える影響が無視できないほど大きなものとなっていることを警告している。展示エリアに足を踏み入れ、数々の美しい写真たちに近づくと、そこには自然の摂理では「起こり得ない現実」が映し出されていた。機器学的に掘り起こされた地面、色鮮やかなゴミの山、伐採地帯と森林のコントラスト。目の当たりにした「新たな現実」が自分に流れ込み、美しさと悲しさの入り混じった感情が心に湧き上がり、思わずその場に立ち尽くした。度々口にしていた「自分事にする」という言葉の重みを、初めて受け取ったように感じた。今でも鮮明に覚えているあの時の感情は、今振り返っても大きなターニングポイントだったと確信している。あの瞬間から、自分が「見えていない現実」に目を向けること、そして自分の持つ特権 (Privilege)について、常に意識するようになった。

この「見えていない現実」は、現代のグローバル化によって負の影響を受けている世界中の場所や人々を意味する「グローバル・サウス」という概念で説明されている。昨今話題の著書『人新世の「資本論」』[1]によると、資本主義における先進国の豊かな生活の裏側では、様々な被害や悲劇がグローバル・サウスに集約され、あらゆる災害、人災、環境破壊などは、遠い地で起きた「不運な出来事」として先進国とは切り離され描かれてきた。しかし同書が示すように、日本をはじめとする先進国は、間違いなく今日のグローバル・サウスの問題に加担してきたのだ。

この現状が続く原因の一つとして、「つながりの欠如」が挙げられるだろう。日々の生活で目にする物資の多くは、グローバル・サウスから複雑なサプライチェーンを経由し先進国へと送られてくる。しかし資源の出所である「遠い地 (見えていない現実)」の実情について、私たちは一体どれだけ理解しているのだろうか。ある種「ソーシャルディスタンス」が世に浸透するずっと前から、私たちと社会の距離は日に日に遠ざかっていたとは、なんとも皮肉な話である。しかし、私たちと社会の “ソーシャルディスタンス” が深まる一方で、人権、気候、ジェンダー、貧困など、すべての問題は相互に作用し合い、その被害はグローバル・サウスへと不平等に分配されていく。にもかかわらず、例えば気候危機というグローバルな問題が、社会の断片化(≒つながりの欠如)を背景に、どこか「他人事」のように扱われてしまう。現代を生きる私たちが問われているのは、そんな断片化された世界とのつながりを取り戻すことなのではないだろうか。

同書の終盤では、解決の糸口としてミュニシパリズム(地方自治主義)の事例が紹介されている。国境を超え、世界中のさまざまな都市や市民が自治体レベルで連携し合いながら革新的な都市改革を行うミュニシパリズムが、バルセロナをはじめとする世界中の地域に広がり、新たなエコロジカルな民主主義社会を築こうとしている。ローカルとグローバルが交錯しながら、市民による積極的な政治参加を通じて、社会のつながりを取り戻そうとしているのだ。ここに、今回の「Water Seeds」プロジェクトのさらなる可能性を感じてならない。歴史的に人々の生活の基盤を担ってきた隅田川を、パブリックスペースとして再び地域社会へと開き、ローカルコミュニティおよび世界の都市とのグローカルな連帯を育みながら、気候アクションを広げていく。人々がつながり、学び、そして行動の実践へと発展していく「Water Seeds」という空間は、地域、国境を超えたアートと社会の接点を生み出し、大きなアクティビズムを後押しする新たなミュージアムのあり方を示すと同時に、日本におけるミュニシパリズム発信の拠点として大きな可能性を秘めていると強く感じている。

この「つながりを取り戻す」という文脈と並行し、今回のコンペティションの審査員の一人であるMiranda K. Massie氏は、気候アクションにおける「対話」の重要性について言及している。Massie氏はインタビュー[2]の中で、気候ミュージアム、通称アクティビスト・ミュージアムという空間は、①気候変動についての「対話」の場である、②気候アクションを実施する場である、③インクルーシブな共同体を創造する場である、ことが必要だと説いている。気候危機というグローバルな問題を前に、人々が沈黙や絶望感に陥ってしまうのではなく、まずは「対話」という小さな一歩を促し、共同体としてアクティビズムを拡大させながら、さらなるアクションへと発展させていく。「対話」という気候危機への積極的な関わりを促すことで、共同体としてより大きな気候アクションの実現を目指すのだ。

ここで重要なのは、「対話」とは意見の一方的な伝達ではなく、コンシャスネス・レイジングのように、セーフスペースの中で各々の考えや経験を語り合いながら、知識の共有や自己内省へと発展させていくということだと思う。用意されたレールをただ歩き、明確に設定された目的地へと向かうのではなく、一人ひとりの主体性を前提に、人々が対話を通じて目的地を模索しながら、共に歩みを進めていく。言い換えると、対話とは、今歩んでいる道を自分たちの手で正しい道にしていく、という強い意志を育む場でもあるということだ。気候危機に対して、自分の行動の規模や影響力の大きさにかかわらず、自分が自分の行動の主体として生きる意思を持って取り組むことこそが、共同体全体の大きなエネルギーとなるのではないだろうか。

自分が福岡市在住ということもあり、那珂川沿いを散歩すると、ふと福岡版Water Seedsプロジェクトの展開について想像する。そしてその度に福岡でのWater Seedsは、隅田川で展開するWater Seedsとコアバリューを共有しながらも、全く異なった表情をしているだろうと感じている。非常にコンパクトでアクセスの良い福岡市内の中心を流れる那珂川が、新たなパブリックスペースとして地域に開かれたとき、屋台文化に続き、どのような都市の新たな交わりが生まれ、どのような地域の共同体意識が育まれるのか。そんな考えを巡らせながらいつも思うのは、人間的な営みの中に完全な再現性は存在しないということだ。たとえ同じ枠組みを展開したとしても、展開される地域、利用する人々、その地域ならではのカルチャーによって、Water Seedsは全く違ったものになるだろう。そしてその不確定さを持ち合わせていることこそ、Water Seedsの大きな魅了の一つではないだろうか。あるべき姿を設定してそこから逆算的にではなく、多様な接点が生まれやすい空間づくりと、そこから新たなアクションへと発展できる「余白」を常に持ち合わせているWater Seedsは、人間的な営みの魅力そのものであると感じている。

福岡市を流れる那珂川 photo:Michiko Akiba


ここで、先日読んだ『ひび割れた日常 − 人類学・文学・美学から考える』[3]の中で語られている「足し算の時間」について紹介したい。私たちは、未来のある地点から逆算して現在の行動を決めるという「引き算の時間」をベースに物事を考えてきた。最近ではオリンピックの誘致が、その最たる例と言えるだろう。しかし、本書ではパンデミックが引き起こした「引き算の不能」によって、私たちの生活の中に、今できることを少しずつ足していく、不均一で、より生理的な「足し算の時間」が生まれたのではないかと指摘されている。常に合理性と効率化を念頭に置く今日の社会は、明らかに「引き算の時間」をベースに成り立っている。しかし、限定合理性という言葉が示すように、私たちが見出す合理的な意味とは、あくまで自分たちが認識できている範囲(もしくはそれ以下)でしかない。大いなる自然に背を向けて経済成長を追求した結果、気候危機やグローバル・サウスの深刻化を招いている今日の現状は、私たちの合理性の限界を示しているのではないだろうか。
私は同書で示される「足し算の時間」が、ここまで語ってきた「つながりを取り戻す」ことに通じていると感じてならない。気候危機に対し、一人ひとりが行動の主体として大きな共同体を形成し、対話と行動の中で目的地を模索していく。その過程で、私たちが断片化された世界と、地域社会と、人々と、そして自分自身とのつながりを取り戻すとき、私たちは「明日何が起こるのかも分からない」という予測不能性を受け入れながら、常に世界に対して謙虚さを持って生きていくことができると思う。「分断」ではなく、常に「かかわること」を選択し、対話の中でより良い世界を目指していく。これからも世界との間に、能動的で、積極的な人間的つながりを育んでいきたい。

東京湾に注ぐ隅田川 photo:Michiko Akiba



[1] 斎藤幸平 (2020)『人新世の「資本論」』、集英社
[2] https://climatemuseum.org/blog/2020/7/28/museum-programming-for-civic-engagement-on-climate-change-with-miranda-massie?fbclid=IwAR1wu7AXJvO4JAxoLI0fsyLgX4oKqAoVX2W3Mbs8HreAguJ01J0ux47XtnI
[3] 奥野克巳、吉村萬壱、伊藤亜紗 (2020) 『ひび割れた日常 − 人類学・文学・美学から考える』亜紀書房

徳山貴哉 (Tokuyama Takaya)
1997年生まれ。ソニー株式会社のセールス&マーケター、アート&ソサイエティ研究センターのインターンシップ生。関西学院大学で学士号を取得し、現在、福岡の地域コミュニティ・プロジェクトとペルーのスタートアップ・プロジェクトの両方に携わっている。2020年には、内閣府の「世界青年の船」事業(SWY32)に日本代表として参加。

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クライメート・スピークス
気候危機を考える若者の詩作とパフォーマンス

開催中止のお知らせ
平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。
本イベントの実施にむけて準備を進めてまいりましたが、コロナ禍のなかで、対面でのワークショップ、トレーニング参加への躊躇も多く、加えて緊急事態宣言が発出され、予定のような複数回にわたる対面での開催が困難となりました。参加者および関係者の皆さまの健康・安全面を第一に考慮した結果、断腸の思いですが、《クライメート・スピークス》の開催を中止する判断をいたしました。お申し込みいただきました皆さま、ご参加をご検討いただいていた皆さま、ご協力をいただきました皆さまに深くお詫びを申し上げます。何卒、ご理解とご了承賜りますようお願いいたします。

10代の若者のみなさん! あなたの創造力、想像性を生かした「詩」をつくり、気候危機に向き合う、あなたのビジョンや想いを発信しませんか?

地球温暖化が急速に進み、気候危機が差し迫った問題となっている今、未来の社会を担う若者たちは、大人たちに任せていては温暖化を阻止できないと、政府の脱炭素化の実現や人々の行動変容を求めて、世界各地で声を上げています。 スウェーデンの高校生活動家、グレタ・トゥーンベリさんの「Fridays For Future (FFF:未来のための金曜日) 」活動に応えて、日本でも若者による「気候マーチ」のアクションやワークショップ、集会、提案などの活動がはじまっています。
《クライメート・スピークス》は、詩作とパフォーマンスによって、気候危機をクリエイティブに訴えるアートプログラムです。これは、ニューヨークの非営利団体 Climate Museum が2018年に立ち上げた同名のプロジェクトをモデルとしています。10代の若者たちが、気候変動とそれが社会に与える影響を学び、地球の今と未来へのメッセージを自らの言葉で綴り、思いを込めて朗読する! 私たち、特定非営利活動法人アート&ソサイエティ研究センターは、その姿にインスパイアされ、東京での開催を企画しました。

Climate Museumは気候危機問題に対する人々の理解を深め、つながりを築き、正しい解決へのアクションを促すプログラムを、アートと科学を用いて提供するニューヨークのNPO。ミュージアムと称しているが専用の展示施設は持たず、さまざまな場で展覧会、トーク、ツアー、科学教育などを企画・実施しています。

実施内容とスケジュール

《クライメート・スピークス》プログラムは3ステージで構成されています。
※ 会場での実施については、新型コロナ感染状況によってオンラインに変更する場合があります。

ステージ1|気候危機をテーマに詩をつくる
参加者は、気候・環境に関する専門 家によるレクチャー、詩人による詩作レクチャーをオンライン会議システムで受講。その後、各自気候危機をテーマとする詩を書きます。 別日に参加者は自分の詩を持ち寄り、詩人と共に相互のディスカッションをへて、原稿をさらにブラッシュアップしていきます。

環境・気候に関するレクチャー
講師:野村涉平(国立環境研究所 高度技術専門員)
5月16日(日)10:30-12:00 オンライン

詩作に関するレクチャー
講師:藤原安紀子(詩人)
5月16日(日)13:30-15:00 オンライン

詩作に関するワークショップ
講師:藤原安紀子(詩人)
A日程:6月13日(日)10:30-12:00 会場:ECOM駿河台(予定)
B日程:6月27日(日)13:30-15:00 会場:アーツ千代田3331 B105室
※ A日程、B日程のどちらかを選択してください

ステージ2|詩の朗読を習う ※希望者のみ
ステージ1の参加者のうち公開パフォーマンスに出演を希望する人は、プロのパフォーマーによるポエトリー・リーディング(詩の朗読)の指導を受けます。

ポエトリー・リーディング コーチング 
講師:山谷典子(劇作家 俳優)
日程:8月1日(日)13:30-15:00 会場:都内の小ホール

ポエトリー・リーディング公開に向けたリハーサル 
日程:8月8日(日)13:30-15:00 会場:ワテラスコモンホール

ステージ3|舞台で詩を朗読する ※希望者のみ
10名程度の最終選考に残った人が、都内の小劇場で自作の詩を読むパフォーマンスを披露します。パフォーマンス終了後には、コメンテーターを交えたアフタートークをおこないます。

公開パフォーマンス 
コメンテーター:石黒広昭(教育心理学者)/ 上野行一(美術による学び研究会 代表)/ 浦嶋裕子(MS&ADインシュアランスグループホールディングス総合企画部 サステナビリティ推進室 課長) / 藤原安紀子(詩人) / 山谷典子(劇作家 俳優)
日程:9月19日(日)14:00-16:00 会場:ワテラスコモンホール

募集要件

・ 東京都内・近郊在住の10代若者40名
・ 上記スケジュール「ステージ1」のレクチャーとワークショップの両方に参加できる人 
※ ステージ2, 3は希望者, ステージ1日程 : 5月16日(日)オンライン・レクチャー , 6月13日 (日) または6月27日(日)のいずれか都内指定会場でワークショップ実施

参加申込方法

・ 参加無料、事前申込制(先着順)
特設ウェブサイト内の申込フォームよりお申し込み下さい

講師プロフィール

野村渉平 Shohei Nomura
1984年にニューヨークで生誕。幼少期から青年期にかけて、両親に連れられ様々な自然公園で過ごし、自然と人間との関りに興味を持つ。2012年に国立環境研究所に入所。現在、気候変動の主因である温室効果ガスの動態を明らかにするために、温室効果ガス観測の空白域であるアジア域とオセアニア域での観測点の展開、観測維持および観測データの解析を担当している。

藤原安紀子 Akiko Fujiwara
1974年京都府生まれ。2002年、第40回 現代詩手帖賞受賞。詩集に『音づれる聲』(2005年・歴程新鋭賞)、『フォトン』(2007年)、『アナザミミクリan other mimicry』(2013年・現代詩花椿賞)、『どうぶつの修復』(2019年・詩歌文学館賞)。詩誌『カナリス』編集同人。2016年より学園坂スタジオにて詩のワークショップ講師を務める。

山谷典子 Noriko Yamaya
劇作家、俳優。文学座附属演劇研究所を経て、文学座座員となる。2011年、演劇集団Ring-Bong(リンボン)を立ち上げ、劇作家として活動を開始。劇団俳優座、椿組、Pカンパニーなど外部からの依頼も多い。NHKラジオドラマも執筆。桜美林大学非常勤講師。都立総合芸術高校市民講師。日本劇作家協会協会員。

フライヤー(PDF)のダウンロード

主催|特定非営利活動法人アート&ソサイエティ研究センター
助成|公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京
協力|環境総合誌BIOCITY、美術による学び研究会
協力|立教大学文学部石黒研究室

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A BLADE OF GRASS ア・ブレイド・オブ・グラス 第3号 2019年秋
—ソーシャリー・エンゲイジド・アートについてのマガジン—

『ア・ブレイド・オブ・グラス』 日本語版第3号を発刊


『ア・ブレイド・オブ・グラス』は、ソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)に取り組む米国のアーティストに対し、プロジェクト資金の助成と活動支援を行っている非営利芸術団体「A Blade of Grass (ABOG)」が2018年秋に創刊し、ウェブサイトで公開している年2回刊のSEA専門マガジンです。アート&ソサイエティ研究センターでは、ABOGの協力を得て、このマガジンの日本語版を編集・公開しています。

第3号のテーマは「規範に挑戦するアーティストたち」。身体的、経済的、制度的な理由で社会の「標準」からはずれ、「周縁」に位置づけられた人たちの経験と創造性を肯定し、彼らに対する人々の見方や態度を変ようと挑戦しているアーティストに焦点を合わせています。日本語版には、社会復帰に困難がつきまとう元受刑者、ジェントリフィケーションで追い立てられる極貧層やホームレス、差別や搾取の対象となる移民労働者の問題に取り組むプロジェクトについての記事を掲載しました。連載の「アーティストに聞く」では、メアリー・マッティングリーが読者からの質問に答え、ABOGのエグゼクティブ・ディレクター、デボラ・フィッシャーは、芸術機関を原子炉に喩えた興味深いエッセイを執筆しています。

Contents
▪︎ 第3号イントロダクション
▪︎ 未来の自分を思い描く:投獄後のアイデンティティの再生
▪︎ スキッド・ロウの低所得層住宅(アフォーダブルハウジング)を創造的に
▪︎ 移民の抵抗と連帯による協働のアート
▪︎ アーティストに聞く:メアリー・マッティングリーが質問に答える
▪︎ 芸術機関(アート・インスティチューション)を原子炉に喩えてみよう

PDFダウンロードはこちらから (9.4MB)

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私自身の言葉:COVID-19(新型コロナウイルス感染症)に対するハノイの反応 サバイバルと長期的発展のための教訓—ウット・クエン(Út Quyên)

本稿は、ハノイ在住のウット・クエンによるテキスト、「My Own Words: Hanoi’s response to COVID-19」を邦訳したものである。友人であるクエンから文章を書いたと知らせをもらったのは、6月下旬のことだった。まだ世に出ていない原稿を光栄にも受け取ったのだが、ベトナム人以外の反応を知りたいという思惑も彼女の中にあったのかもしれない。
現代アートスペースのスタッフとして、またアート分野のライターとして培われた視点やネットワークをもって書かれた原稿からは、未曾有の状況を書き留めることに対する彼女の熱量を感じた。ハノイの芸術文化スペース、団体によるCOVID-19への対応を文章の核としながら、それらが抱える恒常的な課題についても述べられている。局所的な事象が描かれているが、他の場所でも起きていることかもしれないとも思った。多くの読者が待ち望んでいるはず、とクエンに向けて読後のメッセージを返信した。推敲を経たクエンの最終稿が書き上げられてからも、ハノイの様子は日々変化している。99日間の平穏ののち、ベトナムでは7月下旬より再び新型コロナウイルスの感染者が増え始め、感染拡大の第2波に見舞われた。現在ハノイの状況は落ち着きつつあるが、公共の場でのイベントに対する一定の制限は解かれぬまま、スペースや団体は活動を続けている。
本稿内でCOVID-19の一過性に言及したハー・ダオの言葉は力強く響く一方で、クエンは持続可能な活動の難しさを記す。両者とも文化芸術活動を取り巻く環境に対する危機感は共通している。クエンが言うような文化芸術に関する体系的な働きかけの実現に向けては、個人や団体間の水平的な連帯が重要度を増すだろう。COVID-19がもたらした繋がりの変化、繋がるものや方法の変化は、明らかに個々の活動に影響を与えていることが本稿からも読み取れるが、より大きなうねりに波及するだろうか。これまでも常に戦術を駆使してきたに違いないハノイの実践者たちから、新しい生活様式の下で生み出されるものを、今後も辿っていきたい。

拙訳の掲載を快諾してくださったアート&ソサイエティ研究センターの皆様に心より感謝申し上げます。
(金子望美)


 

ベトナムはCOVID-19の抑え込みに成功したといってもさしつかえないだろうが、世界的なパンデミックの影響はこの国の生活のあらゆる面に及び、軽視できない。芸術文化産業も例外ではない。本稿はハノイの芸術文化関連のスペースへのインタビューをまとめたものであり、彼らの懸念や、変動する世界で持続的な将来を構築するために彼らがとった短期的・長期的対応を明らかにすることを狙いとした。

「レッド・ダスト・ホライズンズ」コンサートの観客。Photo by Le Huong Quynh. Image courtesy of DomDom.

「新しい日常」
ベトナムで全国的なロックダウン1)措置が解除されたのは2020年の4月下旬だった。5月末には公共の場での芸術文化活動が慎重に再開され、公共の場でのイベント開催は徐々に以前の頻度に戻りつつある。実のところ、芸術文化関連の団体の多くは、オンライン上や現実空間でのイベントに対する関心の高まり、参加者の増加を感じていた。例えば実験音楽のような、挑戦的な芸術形式(art forms)もその一つである。実験音楽とアートのハブであるドムドム(DomDom)によるライブパフォーマンス「レッド・ダスト・ホライズンズ・コンサート(Red Dust Horizons Concert)」には、300人が来場した。

参加者の急増は、参加可能な公共の場でのイベントが少ないためと考えられる。これは好ましい兆候であるとして、ローカルのアーティストたちは歓迎しているものの、一方では、一過性のものかもしれないと慎重に見ている。

 

孤立する芸術文化コミュニティ

トークイベントの司会を行うグエン・アイン・トゥアン氏(右)。Photo by Nguyen An. Image courtesy of Heritage Space.

先日、シンガポールの『ストレーツ・タイムズ(Straits Times)』紙は、生活に必要不可欠なサービス(essential services)に関する調査記事を発表し、必要不可欠ではない職業(non-essential jobs)ランキングの1位に「アーティスト」を挙げた。これは他国の記事にもかかわらず、ベトナムのアートコミュニティの人々の間に怒りや皮肉といった反応を次々と引き起こした。しかし、この調査が明らかにしたのは、COVID-19の流行に対処するにあたって芸術文化コミュニティがいかに孤立しているか?ということだ。インディペンデントな現代アートスペースであるヘリテージ・スペース(Heritage Space)のディレクター、グエン・アイン・トゥアン(Nguyễn Anh Tuấn)は言う。「芸術は社会の上部構造の総体に属しており、それ独自のインフラや経済的・精神的価値体系を備えているが、国や人々から適切に注意を払われるのはいつも最後になる」。さらに、「我々は常に最低限のリソースしか与えられず、社会的な危機が訪れる時はいつでも、それどころか平常時においても自力で何とかしなければならない」と付け加える。

このパンデミックによって、アートコミュニティとベトナムの政策立案者との折り合いの悪さは浮き彫りになるばかりだ。文化スポーツ観光省は、インディペンデントな芸術文化コミュニティを支援するための緊急対応策をいまだに講じていない。政府による620億ベトナムドン(およそ260万ドル)もの金融支援パッケージ(Financial Assistance Package)は、COVID-19の影響を受けた人々に向けて打ち出されており、清掃員から食料雑貨店の販売員、個人事業主の運転手まで、幅広い職種をその対象としている。しかし、ザ・ベトナム・ナショナル・インスティテュート・オブ・カルチャー・アンド・アーツ・スタディーズ(the Vietnam National Institute of Culture and Arts Studies、以下VICAS)のリサーチャーであり、ヴィカス・アート・スタジオ(VICAS Art Studio)のマネージャーであるグエン・ティ・トゥ・ハー(Nguyễn Thị Thu Hà)は、インディペンデントなアーティストはこの対象外であることを指摘している。

 

共通の状況に対する様々な反応

ザ・ベトナム・ナショナル・インスティテュート・オブ・カルチャー・アンド・アーツ・スタディーズ(VICAS)のリサーチャーであり、
ヴィカス・アート・スタジオのマネージャーであるグエン・ティ・トゥ・ハー博士。

ロックダウン後のVCCAでの展示ツアー。Image courtesy of VCCA.

国から支援を受けている組織は、経済的な安定を得ている一方で、危機に素早く対応する力を犠牲にしている。2017年に設立されたヴィカス・アート・スタジオはベトナムで唯一、政府が支援している現代アートのスペースである。外から見る分には、彼らは恵まれた立場にいるように思える。インフラへの支援があり、従業員の給与は保証され、活動やプロジェクトの予算は確保されている。3ヶ月の社会隔離期間中でさえ、VICASのスタッフはリサーチャーとして国の予算から給与が支払われていた。将来のプロジェクトはどれも中止を免れており、既存のプログラムは再開されるはずだ。パンデミックが終わればVICASは運営を再開し、鑑賞者やコレクター、コミュニティとの結びつきは以前と変わらぬままだろう、とVICASの協働者やアーティストの皆が確信していた。

しかしグエン・ハー博士2)は、国からの支援を得ているがために、危機に対応する能力を構築することに対してメンバーがかなり消極的になっていると言う。スタッフ全員は研究所のリサーチャーとしての職務を優先させなければならない一方で、ヴィカス・アート・スタジオの運営を無償のボランティア活動として行う。したがって、アートスペースのためのチームを安定して維持することは難しく、メンバーは過重労働になることが多い。パンデミックの間、彼らは組織を変えるための解決策を積極的に提案することはできなかった。

ベトナム最大の企業の一つであるビングループ(Vingroup)傘下のビンコム・センター・フォー・コンテンポラリー・アート(Vincom Center for Contemporary Art、VCCA)もまた、先行き不透明な状況に直面している。彼らの活動は企業の決定に左右されるためである。もし経済状況が悪化すれば、非営利事業のアートセンターは真っ先に閉鎖される可能性がある。

マッカ・スペースの展覧会ツアー。Image courtesy of Matca.

資金提供の削減と移動の制限に見舞われ、文化芸術関連のスペースや団体の大半は、プログラムの延期や中止を迫られている。しかしながら、パンデミックの有無にかかわらず、芸術文化のためのインフラが不十分であるという状況の中で自分たちが活動していることを、文化芸術の実践者は理解している。写真家であり批評家、またマッカ・フォトグラフィー・スペース(Matca Photography Space)のマネージャーでもある、ハー・ダオ(Hà Đào)は言う。「おそらく、インディペンデントなアートスペースは激変する生活に慣れすぎている。アンダーグラウンドで活動していて、生き残るための方法を常に探す必要があるので。そういった意味では、COVID-19はすぐに過ぎ去る出来事でしかない」。アートギャラリー兼カフェのマンジ(Manzi)はいち早く活動を取り戻した場所の一つで、展示のオープニング、イベント、トークイベントの予定が詰まっている。経済的に自立し続けること、そして地元当局とうまくやる方法を知ることは、スペースの存続に初めから影響を及ぼす課題である。

 

サバイバルのための改革

TPDの映画制作クラス。Image courtesy of TPD.

ハノイの芸術文化関連のスペースの多くは、ロックダウンの期間を運営の見直しや能力開発のための機会とみなした。建築とアートのためのスペースであるアゴハブ(AGOHub)は、パフォーマンスの向上とリソースの十分な活用のために、仕事を特徴的なカテゴリーに振り分ける必要があることに気がついた。現在アゴハブは、物理的な施設を管理するチーム、専門分野のイベントを企画するチームという2つの独立したチームを抱えている。ザ・センター・フォー・アシスタンス・アンド・ディベロップメント・オブ・ムービー・タレンツ(The Centre for Assistance and Development of Movie Talents、以下TPD3) )のディレクターであるグエン・ホアン・フォン(Nguyễn Hoàng Phương)は、人的・金銭的リソースが限られている組織にとって、共同体の形成(community building)は最も重要であると述べている。ロックダウン期間中、TPDは組織内のコミュニケーションを深めることや、彼らのサポーターに無料で授業を提供することに力を尽くした。

ATHの子ども向けの演劇プロジェクト。Image courtesy of ATH.

デジタル化は、COVID-19への対応にみられる世界的な傾向である。パフォーミングアーツの団体は、ライブイベントに代わるものとしてのデジタルの有効性に当初は疑いをもっていたものの、現在はより多くの観客の獲得や、より活発で国際的なプログラムを可能にするという利点を見出している。例年のパフォーミング・アーツ・スプリング・フェスティバル(Performing Arts Spring festival、PAS)に代わり、そのオンライン版を2020年6月に2日間にわたってZoomで開催したことで、ATH4)はいつもより多くの専門家をゲストに招くことができた。その中には、英国とフランスから招待した影響力のある演劇とダンスのアーティスト2名が含まれ、彼らによるワークショップが行われた。この仕組みにより、生徒によるパフォーマンスや舞台新作についての録画配信や、本フェスティバルのために特別に行われたコンサートや演劇2本のライブストリーミングも可能になった。

数々の団体は、協力する機会や潜在的なパートナーも新たに獲得した。ヘリテージ・スペースはゲーテ・インスティトゥート・ハノイ(Goethe-Institut Hanoi)とのコラボレーションにより、映画『ザ・スペース・イン・ビトウィーン:マリーナ・アブラモヴィッチ・アンド・ブラジル(The Space in Between: Marina Abramović and Brazil)』を上映した。観客とオンラインで共有するこの試みに、思いがけずアブラモヴィッチが参加した。ヘリテージ・スペースのグエン・アイン・トゥアンは言う。「アブラモヴィッチと連絡を取ったのはイベントのほぼ1週間前だったが、こちらの出演依頼に応じてもらえるとはあまり思っていなかった。いつもなら彼女のスケジュールは1年先まで埋まっているはずなので」。レジデンススペースのバー・バウ・アーティスト・イン・レジデンス(ba-bau AIR)は、外国人アーティストへ宿泊施設を提供する方針から、ローカルのアーティストや団体を招いてのイベントや短期のワークショップに施設を利用する方針へと移行した。旅行が制限されているゆえにコラボレーションの機会を国内で探さざるを得ないことが、結果的に地元の芸術文化の実践者、スペースや団体間のつながりを強めている。

パンデミックに対処するためにそれぞれのスペースが取った即時の行動もまた、長期的に運用されるモデルになる可能性を秘めている。例えば、ア・スペース(Á Space)はオンラインプラットフォームであるバーチャル・ア・スペース(Virtual Á Space)を展開し、現実空間のスペースから独立して運営している。アーティストでア・スペースを設立したトゥアン・マミ(Tuan Mami)は、「バーチャル・ア・スペースは若手のアーティストやアートの実践者がプロジェクトを発展させたり、展示を企画したりする可能性や、物理的な空間に関しては通常よりエスタブリッシュな実践者のための場所を使う機会を提供できる」。バーチャル・ア・スペースでの初めての展示となる「アイ、アザー・エグジスタンスィズ(I, Other Existences)」は2019年に結成されたマルチメディア・アートコレクティブであるモー・ホイ・モーモ?(Mơ Hỏi Mở – MO?)がキュレーターとなる予定である。

 

持続可能な将来はあるか?

ロックダウン後のアゴハブ主催によるデザイン思考に関するワークショップ。Image courtesy of AGOHub.

COVID-19が発生して初めて、ベトナムの実践者から持続可能な発展の問題が提起された。アゴハブの創設者兼マネージャーであるグエン・トゥアン・アイン(Nguyễn Tuấn Anh)は、「持続可能であるためには、アートや非営利の活動と実利的で商業的な活動とのバランスを取ることが必要だ」と述べる。しかし、これは他の多くのスペース、特に実験的なアート様式を扱うドムドム、ア・スペース、ヘリテージ・スペースなどにとっては、難しい問題である。さらに、今回インタビューしたマネージャーやオーナーの中で、感染拡大の第2波や再度の長期休業を自身の組織が乗り越えられると確信している者は一人もいなかった。

サバイバルと長期的な発展に不可欠な教訓(lessons learnt)を以下に記す。

・危機に対応する力を高める
・市民との結びつきを強める
・内部のリソースをより有効に活用する
・活動やプロジェクトを局地化(localise)、地域化(regionalise)する
・海外の団体や機関からの資金提供への依存度を減らす
・非営利活動と収益性のある活動のバランスを探る

これらのアクションに加えて、国民への教育やコミュニケーションのプログラムを通じて、文化芸術産業に対する理解を体系的なレベルで向上させる必要がある。

 

筆者について
ウット・クエン(Út Quyên)は芸術分野のライター、芸術文化関連のコーディネーター、オーガナイザー。インディペンデントのライターおよび芸術文化を扱うウェブサイトであるハノイ・グレープバイン(Hanoi Grapevine)の寄稿ライターとして、芸術活動に関する論評を執筆する。また、ハノイのインディペンデントなアートスペース、ヘリテージ・スペース(Heritage Space)でのクリエイティブイベントやアートプログラム・プロジェクトのほか、ハノイ市内にある他のアートセンターと協働する分野横断的なクリエイティブプロジェクトにて、企画・運営に従事する。現在はベトナムのハノイに在住し活動している。

本稿記載の見解や意見は筆者個人のものであり、必ずしもArt & Marketの見解や意見を反映するものではありません。本稿は長さ、明確さのため編集されています。

(訳者/金子望美)


訳者による注釈
1) ベトナムにおいて、全国的な社会隔離措置は4月1日より開始された。政府により、買い出しや救急、必要不可欠な商品・サービス関連勤務以外の外出自粛要請が発出され、また公共の場所において3人以上の集合が禁止された。これに先立ち、グエン・スアン・フック(Nguyễn Xuân Phúc)首相やマイ・ティエン・ズン(Mai Tiến Dũng)政府官房長官は、本措置はあくまで要請であり都市封鎖(ロックダウン)とは異なる旨を強調した。しかし訳者の所感では、ベトナム国内における制限の強さを他国の都市封鎖の状況と比較した場合、隔離措置期間中のバス・鉄道等の公共交通手段およびタクシー・grab等の輸送サービス停止や、ベトナム当局が街中を巡回して監視する様子(報道によれば、複数地域において政府の要請を遵守しない者への罰金例が多数挙げられている)等より、ベトナムもそれに準ずるように感じた。
本文では、筆者が原文内で「lockdown」を使用する限り、「ロックダウン」と訳出している。
2) 既述のグエン・ティ・トゥ・ハー(Nguyễn Thị Thu Hà)博士を指している。
3) ベトナム語の団体名「チュン・タム・ホー・チョ・ファット・ティエン・タイ・ナン・ディエン・アイン(Trung tâm hỗ trợ Phát triển tài năng Điện ảnh)」の略称。
4) 当該団体設立時の名称であるアトリエ・テアトル・ド・ハノイ(Atelier Théâtre de Hanoi)の略称が転じて、現在はATHが団体の正式名称となっている。団体設立当初は活動の主眼を演劇に置いていたが、現在は音楽・ダンス、アートやクラフトにまで活動領域を広げている。それに伴い当初の名称であるアトリエ・テアトル・ド・ハノイの使用をやめて、代わりにアトリエ・テアトル・エ・アーツ(Atelier Théâtre et Arts、ドラマ・アンド・アーツ・スペースの意)という説明が用いられるようになった。

金子望美 (Nozomi Kaneko)
都市、文化、資本とその関係性を関心の軸に据えながら、文化芸術分野の翻訳やリサーチに従事する。パフォーマンスアートのデジタルアーカイブ、Independent Performance Artists’ Moving Images Archive (IPAMIA)のメンバー。ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ、Culture Industry(MA)修了。現在ベトナム・ハノイに在住。

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自然農とアートにみる生物多様性という生存戦略

2020年オリンピックイヤーが幕をあけた。東京では様々な文化イベントが予定されている。これは2012年のロンドンを参考にしていると言う。私は以前、ロンドンのNPOでコミュニティアートを実践する現場に数か月立ち会った。2004年当時は、オリンピック開催の最終候補都市に選ばれ、早くもカルチュラルプログラムが意識され始めていた。当NPOはイーストロンドンの、移民や低所得者層の多い地域にあった。地域の若者たちの文化的体験を支援しており、あるプロジェクトでは「NEW ROOTS- Young Hackney Voices」として音楽が好きな若者たちに対し、プロで活動するアーティストをコーチに迎え、詩をつくるワークショップから本格的な録音スタジオでの楽曲の収録、CDの制作、それをライブという場で表現するまでの機会を提供した。NPOのギャラリーで行われたライブには、区長や地域の人々が訪れ盛況だったが、ラップまじりのヒップホップを聞いて、涙を流すほどの衝撃を受けたのは私だけであっただろう。そこにはいわゆるマイノリティである彼らの「生きるための表現の場がある」と強く感じたのだ。アートが生き方の多様性を保障しているように見えた。

NEW ROOTS-Young Hackney Voicesライブの様子(2004年)


左:ライブの後は区長と若者たち、地域の人々が歓談 右:プロが立ち会い本格的に仕上げられたCD

さてここから農の話をしよう。「切り干し大根をつくる」と聞いて直ぐにアートのような創造性を、あるいはアートに触れたときのようなひらめきや高揚感を想像できるだろうか。

秋空の下で切り干し大根をつくる

2019年秋、北信州に住む私たちは切り干し大根を作るワークショップを行った。湖と森と山を抱く小さな町での小さな出来事だ。その日、自然農法で米と野菜を栽培する農家「りんもく舎」の畑に集まったのは、鍼灸師、絵本作家、元教師など数名。職種や働き方も様々な人間が集まり、畑から大根を引き抜き、水路で泥を落とし、空の下で包丁やスライサーを持ってひたすら大根を切る。ただそれだけのことだが、皆で手作業を共有すると普段はしない対話が自然と生まれる。
例えば、皆で昔の暮らしを想像してみる。保存食や伝統料理、その背景にある資源循環型の生活が当たり前にあっただろうことに話や想像は及ぶ。あるいは、そもそも切り干し大根を作ることとなった発端を自然農家とともに話し合う。出荷されずに畑に根付いたままの大根たち。自然農は農薬や肥料を使わないため、天候の変化による微生物の動きの影響を受けやすい。その結果、今年は大根の肌がきれいに仕上がらなかったというのがその理由だ。そこには気候変動も身近なものとして浮かび上がり、また、画一的に整うことが求められるスーパーマーケットの野菜たちの姿も、さらには学校教育のなかにある子どもたちの姿も重なってみえてくる。
この体験は、ひとつの作業や事柄を通して、多くの想像を引き出す、新たな視点を得るという点において、まさしくアートにおける体験と似たような感覚をもたらした。

切り干し大根づくりの一連の作業風景



自然農の農家との対話では世界の真理の一端をみるようなことが起きる。ある時、畑の一角で団粒化した土を見せ、バクテリアの仕業なのだと教えてくれた。それは作物の栄養分を生成するバクテリアが生息し、住みやすい環境を生成していることを意味する。
「慣行農業ではいかに害となる菌を排除するかと考えるけれど、ぼくら自然農では、いかに多種多様な微生物を土のなかに生かすかと考えるんだ。多様な微生物が生息すれば一種だけが突出して繁殖し栽培に害を及ぼすということが起きないから。」と言う。彼の畑ではキノコも時折顔を出す。キノコ(糸状菌)が優位に働く土は自然のバランスが整っている証なのだと嬉しそうに話す。「土も草木も野菜も人も、それだけで生きている訳ではなく、いろんなものに生かされて生かし、持ちつ持たれつしながら生きている。単純、単一であることは効率的で便利かもしれないけれど、とても弱い。」ということを畑は教えてくれる。そして、多様性のある世界(土)がいかに美しく、その一部として育ち、共存する様々ないのち(野菜や雑草)の力強さを語ってくれた。
この対話を通して、彼がアーティストと同様な立場にあると感じた。アーティストはいわば世界の多様性を表す存在だ。定常化した社会の理を見つめなおし、異なる角度から表現し、私たちにあらゆる世界の在り方を提示してくれる。

左:枯草や稲藁の下で団粒化した土 右:キノコが生える畑の土 (りんもく舎提供)


自然農では野菜も雑草もいきいきと共存する (りんもく舎提供)



この自然農とアート、あるいは農家とアーティストの共通点は何だろうか。現在日本で自然農を含めた有機農家の割合は農家全体の0.5%に過ぎない。年々増加傾向にあるそうだが全国でわずか1.2万戸だ。(*1)一方アーティストの数は定義があいまいで計り知れないが、国税調査によると「文筆家・芸術家・芸能家」という社会経済分類で871,910人。(*2)ここで想定するアーティストの範囲はその中のさらに一部であるため、随分荒っぽい比較だが、少数派だと思われるアーティストと同様に、もしくはそれ以上に有機農家は極めて少ないことがわかる。有機農家もアーティストも選択的マイノリティとでも言おうか、オルタナティブな視点をもって社会を見てきた少数の人たちなのだ。彼らは今ある社会やシステムに違和を感じとり、ある人は自然農法という技法で、ある人はアートという表現方法で、問いを投げかける。それは藤浩志が自身の作品を「OS作品」というように、あるいは『藝術2.0』(熊倉敬聡著)のなかで小倉ヒラクが「OSとしてのアート」と表現しているように、OSの違いこそあれ、そこにある精神性や創造性という点で共通しているのではないか。そしてさらに言うならば、今まさにそれぞれのOSを持ち寄り、新たな価値を共有する、新たなOSを作り出すといった、いわば創造性の複合形がアートの文脈の内にも外にも増えつつあるように思う。
彼らは、多様性をもち、すべてが循環して複合的に関わり合うなかで奇跡的に世界が成り立っていることを知っている。そして自らも多様性を表出する一部となり、同時に、世界の多様性を持続することを助けているという意味で二重に役割を担っているのだ。
今私たちはとても不確かな時代にいる。グローバル資本主義が引き起こす経済格差、環境汚染、気候変動、自然災害、エネルギー問題、政治的緊張関係から移民、貧困、孤独まで世界共通の課題は枚挙にいとまがなく、しかもそれらは複雑にからみあい、決して他所の問題とは言えない関わりをもって私たちの眼前に立ち現れる。当たり前だと思っていた価値観をこのまま続けていいものか。それに気づいた人から行動を始めている。依然少数であることに変わりはないだろう。しかし、不確かで複雑で先行きがわからない時代だからこそ、少数のオルタナティブな視点をもった人々が新たな光をもたらすかもしれない。生物は時に脆弱な種や能力も持ち合わせながら生き延びてきた。それは変わりゆく世界で何が生き残る手段に変貌するかわからないからだ。生物多様性を担保することこそが不確かな時代を生き延びる戦略であり、それを知っているのが農とアートなのかもしれない。
(文:天野澄子)


*これは決して慣行農業を否定するものではなく、また自然農に携わる農家がすべてこの通りであるとは限らない。アートやアーティストに対する考え方もここで示すものは一部である。
*1)農林水産省平成25年8月発表「有機農業の推進に関する現状と課題」より
*2)国勢調査 平成27年国勢調査 抽出詳細集計(就業者の産業(小分類)・職業(小分類)など)より
参考文献:
『藝術2.0』熊倉敬聡 著(春秋社)
『発酵文化人類学』小倉ヒラク 著(木楽舎)
取材協力:りんもく舎 http://rinmoku.com/

天野澄子(Sumiko Amano)
横浜国立大学教育学部総合芸術課程卒。1997~2013年まで株式会社タウンアートにてアートプロデューサーとしてパブリックスペースにおけるアート計画の企画から作品設置まで多数のプロジェクトに携わる。2004年文化庁芸術家海外研修によりロンドンのアートNPO「Free Form Arts Trust」にてコミュニティアートについて学ぶ。2013年子育てを機に長野県へ移住。現在は公共文化施設計画の設計支援等、アート思考をOSとしてフリーに活動中。

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A BLADE OF GRASS ア・ブレイド・オブ・グラス 第2号 2019年春
—ソーシャリー・エンゲイジド・アートについてのマガジン—

『ア・ブレイド・オブ・グラス』 日本語版第2号を発刊

『ア・ブレイド・オブ・グラス』は、ソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)に取り組む米国のアーティストに対し、プロジェクト資金の助成と活動支援を行っている非営利芸術団体「A Blade of Grass (ABOG)」が2018年秋に創刊し、ウェブサイトで公開している年2回刊のマガジンです。アート&ソサイエティ研究センターでは、ABOGの協力を得て、このマガジンの日本語版を編集・公開しています。

第2号のテーマは「WHO(誰)」。「SEAは誰がつくり出すのか」に焦点を合わせた6本の記事が掲載され、「アーティストに聞く」では、アクティビスト・アーティストとして知られるドレッド・スコットが読者からの質問に答えています。また、ABOGの創立者でエグゼクティブ・ディレクターのデボラ・フィッシャーによる芸術機関の在り方に関する連載エッセイが始まりました。日本語版第2号では、以下の記事を翻訳掲載しています。  

  • 第2号イントロダクション
  • パートナーとしての市:行政機関とコラボレートする3人のアーティスト
  • 「金継ぎ」というアート:若者、警察、馬がケアの政治を覆す
  • とどまり、聞き、統合する:アパラチアの過去と現在を音でつなぐ
  • インスティチューションを進化させる:誰が帰属するのか?
  • アーティストに聞く:ドレッド・スコットが質問に答える

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